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2005年5月 6日 (金)

イエスマン

どこの企業にも、あるいは組織にも『イエスマン』はいる。それは「イエス」と言う方が楽だからだ。自分は何も考えなくて済むし、責任は相手に押し付けることができる。

逆に「ノー」と言うのは日本社会では勇気がいる。『ノーマン』は組織では冷や飯を食わされる場合が多い。しかし、企業に残り続けた結果トップに登りつめた人々も多い。

トップは周囲に『ノーマン』を配置することが望ましいが、孤独なトップにとって、『ノーマン』だけではストレスがたまる。そのバランスをどう取るかは、トップの人生哲学に左右されるだろう。

それはそれとして、組織のトップにとって、『イエスマン』ほど危険な存在はない。「イエス」と言う言葉はトップにとって蜜の味のようである。「イエス」は心地よく心に響く。実は誰でもはじめは『イエスマン』を警戒するものであるが、長くその地位にいると、感覚は麻痺してしまう。その結果、周囲に『イエスマン』を侍らせて、蟻地獄に陥ってしまう。

そのことが、弊害として国レベルでも起こっている。米国に対して日本は『イエスマン』である。政治家の皆さんは『ノー」と言うのを恐れているように思う。米国に睨まれれば、政治生命を失うリスクを政治家は本能的に感じ取っているのだろう。

しかし、実際は米国の政治状況を十分把握して、理詰めで問題提起すれば、彼等は多分聞くだろう。政治家には物を言う勇気が求められる。また国民はそれで仮にその政治家が失脚しても守る度量が求められる。

今のように、米国の提案に無条件で「イエス」と言うことは、米国にとっても実はあまり良いことではない。例えば、外務省辺りは日本の常任理事国入りに米国に『イエス』と言ってもらうために、米国の要求に何でも「イエス」と言っているように感じる。よく考えた上での「イエス」とはとても考えられない。それは結果的に、日本の国益だけでなく、米国の国益にも良い影響を与えないだろう。

日本が主体的に世界に平和構築のために提案のリーダーシップを発揮して、初めて世界から認められ、常任理事国に相応しい国になるはずである(ただし、流風は、常任理事国になることを望まない。もっと違った選択肢があるだろう)。現在は常任理事国で話し合われていることがわからないので、常任理事国になりたいという低次元の願望である。そこには高次の理想などは感じ取れない。

是々非々で自らが主体性を以て判断するようになってはじめて、日本も真に大人の独立国として認められるようになるだろう。そのために日本は『イエスマン』から脱却しなければならない。

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