« サマータイム法案 | トップページ | 水虫の季節 »

2005年5月17日 (火)

村上華岳展

京都に行ったついでに、京都国立近代美術館に行ってきた。現在開催されているのが、「村上華岳展」であった。国立美術館ということもあって、展示品も多く、合間の鑑賞には若干きつく、走り鑑賞になってしまった。

また華岳の絵で知っているのは、「日高河清姫図」ぐらいだが、本物を鑑賞するのは本日始めてであった。新たに見たものがほとんどのようだった。彼の絵を理解するには不勉強で、コメントする能力はないが、気づいたことを記してみよう。

彼の絵は大正時代に描いたものと、神戸に隠棲してからの絵があるようだ。前者の絵は絵が活き活きとしており、躍動感がある。しかしながら、後者の絵は仏画が多く、絵自体も非常に暗く感じる。量的には昭和の時代の絵が多いのだが、宗教性が強くて若干重い感じがする。

大正時代に描かれた「日高河清姫図」(大正8年)は、あーこれこれという感じで鑑賞。清姫の顔の表情が詳しく描かれているわけでもないのに、女の業を感じさせる不思議な絵である。「二人舞妓」(大正7年)「妓女舞踏図」(大正9年)も楽しい踊りの動きの感じが出ている。ただ「裸婦図」(大正9年)はすでに将来の仏画を予測させる感がにじみ出ているようだ。この段階で女性をそのように捉えているように感じた。

その後、昭和に入って、神戸に隠棲したのは、画壇活動などで、自分の描きたい絵が描けなくなったこともあるようだが、持病の喘息が悪化したことが主たる理由のようである。

その結果、表現は悪いが棺桶に足を突っ込んだ状態での絵の表現のように感じる。非常に幽明を行き来して描いたような絵のようなのだ。

また流風の推測だが、晩年後期には、目も相当悪かったのではないかと思う。色彩感が全く感じられないのだ。確かに水墨画であれば、色彩感がないと言われるかもしれないが、躍動感がなく、色彩のない世界で描かれた絵のような感じを受けた。禅坊主の絵とも違うのだ。

しかし、それが華岳の意図であったとしたら、流風はうまく、嵌められたことになる。実際はどうだったのだろう。

絵画の鑑賞は研究者の方は十分知っておられるようなことでも、何も知らない一般の人間が、あーだこーだと思いながら、鑑賞するのも案外面白いものである。事実と大きくかけ離れていても。ただ今回は時間を十分かけて鑑賞できなかったのは心残りだが。

5月22日まで。

|

« サマータイム法案 | トップページ | 水虫の季節 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/99784/4167205

この記事へのトラックバック一覧です: 村上華岳展:

« サマータイム法案 | トップページ | 水虫の季節 »