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2005年6月30日 (木)

ニュースとは何か

ニュースとは何なんだろう。テレビやラジオ、新聞で報道されるニュースを私たちはなんとなしに見たり聞いたりしている。

でも大切な内容ばかりとも言えない。どうでもよい報道が圧倒的に多い。流風の感ずるところでは、重要な情報は一日に1~2本あればいいほうではないか。ということは、その他のゴミの情報で私たちの脳は汚されるということだろうか。

報道関係者によると、ニュースの生命はスクープだそうである。いかにスクープを抜くかということに命をかけている。スクープのために人員を配置し、金をかけている。

つまりニュースの構造は、大半の無駄な報道や記事で視聴者や購読者を集め、スポンサーから広告料取ったり、購読者から購読料を取ったりして、記者を養い、スクープに備えるということのようだ。

ということは私達は、効率的に情報を取るには、マスコミからの情報は避けて、ネットからの見出し情報で十分ではないかということになる。

ところが、脳はそう単純ではなくて、ある程度の無駄な情報も役に立っているのではないかと思うときがある。私達はそれぞれの情報媒体の特性をよく理解して、「適当に」つきあうのが良いのかも知れない。

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2005年6月27日 (月)

クーラーのない家

流風のマンションには、去年まで、クーラーがなかった。正確には一部屋には設置されているが、壊れている。熱帯夜にも負けず、汗たらたらの生活をしていた。

さすがに、昨年はあまりの暑さに耐えられず、居間に取り付けを依頼したのだが、今時の関西の蒸し暑さにクーラーなしとはと、取り付け業者の方は絶句された。しかし、実際使ったのは10日間程度であった。

ところで、日本の家の構造は何かおかしいんじゃないですかね。『徒然草』でも指摘されているように、「家のつくりやうは、夏をむねとすべし」というのは、正しい見方だと思う。今の日本の家はみんなこれと逆のようだ。

5~6年前だったか、あるハウスメーカーに「クーラーの要らない家」を設計されては、と提言したが、結局うやむやになった。流風は別に建築家でもないし、設計家でもないので、軽く見られたのかもしれない。また全国に通用する規格型住宅としては不適切と判断したのかもしれない。

でも、全国では無理としても、温暖な地域で、そのような家が造られれば、かなりの環境改善に貢献すると思う。それとも、これは机上の話なのだろうか。建築基準法も大幅に変更しなければならないのだろうか。あるいは、クーラーの売上が落ちるから、住宅関係者は誰も望まないのだろうか。

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2005年6月25日 (土)

方言と文化

最近、日本の古典文化を方言で表現する試みがあるようだ、とラジオで聞いた。瞬間耳に入っただけで、通しで聞いていないので、ラジオの放送内容とはピントがずれているかもしれないが、多少気になった。

例えば、『源氏物語』や『枕草子』『徒然草』などを方言で翻訳するのだろうか。でも、そうだとすれば、ややおかしいような感じもする。源氏物語の現代語訳を読むとわかるのだが、標準語のため、微妙に受ける感じが違う。それをもとに方言に更に翻訳すれば、ぜんぜん違う文学になってしまうのではないか。遊びとしてなら、受け入れられるかもしれないが、文学そのものとしては、何かしっくりこない。

なぜなら、平安文学は京都が舞台で、当時の「京ことば」で表現されている。おそらく京都人独特の行間に多くの意味が含まれているはずだ。それは多分現代までも受け継がれている京都独特の「いやらしさ(性的いやらしさ、とは異なる。言葉の二面性のこと)」であるはずだ。となると、まず「京ことば」で現代語訳して、それから方言訳に進める必要があるのではないか。

古典文学を理解するためには、その舞台となった人々の感性を知るため、まず文学が発生した地域の「ことば」を真に理解しなければならないようだ。

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2005年6月21日 (火)

蟻の社会と人

京都の研究者が蟻の“こっつんこ”には意味があることを解明したそうだが、それから中国の故事を思い出した。大体のあらすじは次のようだったと思う。

ある男が木の下で眠っていると、国王からお迎えの使者が来て、ついていき、エンジュの木の穴に入っていくと、国王は喜んで迎えてくれて、娘を娶わせた。

二人の友人ともめぐり合うが、国王より政治がうまくいかない地域を太守として治めて欲しいと依頼され、二人の友人の協力を得て、苦難の上、その地域は安定する。しかし、外国が攻めてきて、友人は将軍として、防戦するが、失敗し、敵は戦利品を獲て引き上げた。友人は心痛から病死し、男の妻もその後亡くなる。

男は失意の中、太守を辞し、都に向かうが、声望高く熱烈歓迎される。それがため、国王は不安になり、男を幽閉する。やがて誤解も解け、家に帰される。

と思ったら、エンジュの下で目が覚めた。夢だったのだ。でも不思議な夢だったので、エンジュの穴を掘ってたどっていくと、広々としたところがあり、蟻が群がっており、その中に大きな蟻が二匹いた。また別の穴をたどると、そこにも平らなところがあり、ここにも蟻が群れていた。夢で見た世界はこれが舞台だったのだ。

男は穴を埋め戻したが、その夜大雨が降り、翌日見ると蟻は退散していた、というお話である。

さてさて、更に研究が進んで、蟻語がわかれば、蟻社会も人間社会も同じという共通認識を持つのだろうか。

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2005年6月20日 (月)

引き際

全く日本のトップ層はどうなっているんでしょうね。関経連の秋山喜久会長(関西電力会長)に対して、奥田日本経団連会長が早期退任を促したそうな。政治音痴でトヨタさえ良ければよいという奥田氏はあまり好きではないが、今回の指摘は正しいと思う。秋山氏は関西電力の会長職も関経連の会長も辞任すべきだ。

だいたい出処進退の哲学も持ち合わせていない輩がトップになるから、第三者から指摘を受けることになり、恥の上塗りをすることになる。

まず関西電力の会長職について、関西電力の問題が生じた時点で、秋山氏は辞任すべきだったのだ。トップというのは、就任した時点ですでに、次のトップが決められていなくてはならない、ということだ。関西電力の社内改革は次のトップに任せればよろしい。

大体言い訳としては、自分で改革してから、辞任を考えるなどと、とぼけた発言が多すぎる。事故や問題の処理を自分自らがやるという不遜な態度がいけない。トップか残れば、改革などできやしない。トップが辞めてくれて、部下も遠慮なく改革に取り組めるのだ。その点を理解していない。

トップは実際は自分の蒔いた種でなくても、自分が責任者であれば、潔く辞任する方が多分社会から評価され、いずれまた社会が必要とするときが来るだろう。しかし、現在の地位に恋々とするなら、もうそれは社会からの引退しか認められないだろう。

関経連が人材不足のため、秋山氏を必要としているとのことだが、それは大きな勘違いで、時代はすでに変わっていることを理解すべきだろう。上の重石が取れれば新しい人材が活躍するだろう。秋山氏に拘りつつけることは関西経済の地盤沈下を更に推し進めることを肝に銘ずるべきだ。

これらのことを他山の石(本来の意味と少し異なるが)として、私達も出処進退には潔くありたいものです。

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2005年6月16日 (木)

ご苦労様でした

先日、ある公的機関に行って、資料をコピーしてもらった。コピー内容の確認をして、代金を支払った時、担当の若い女性から、次の言葉をかけられた。

  「ご苦労様でした」

流風は少しカチンときた。流風が彼女に「ご苦労さん、有難う」というのは良いが、彼女が目上に向かって「ご苦労様」とは何事かと。それとも、お上意識が抜けきらないのか。

「ご苦労様」とは同僚や部下に言うねぎらいの言葉。目上に言う言葉ではない。仮に「でした」をつけて、丁寧に言って、それでよいというものでもない。

それでは、どういえば良いのかと言うと、なかなか難しいが、民間であれば、「ご利用頂き有難うございました」ぐらいが適切だろう。公的機関は官だが、官は民の僕なのだから、それでも問題は無いと思う。

まあ、流風も言葉ではいっぱい失敗している。今回のケースでは、彼女だけを責めることはできない。ただ誰が注意するかだ。

さて、皆様はどのように考えられていますか。皆様の会社ではどうですか。あなたは部下に「ご苦労様でした」と言われてなんとも思っていませんか。

*10月23日追記

文化審議会の国語分科会は、「目上の人をねぎらう時に、『ご苦労様』はふさわしくない。『お疲れ様』を使いましょう」という敬語使用法の指針を示したようだ。

しかし、上の人に向かって、『お疲れ様』というのも、少しおかしいと思う。では、どう言えばいいか。それはケース・バイ・ケースで判断しなければならない。いずれ、またブログのネタにしてみたい。

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2005年6月15日 (水)

郵政民営化について

郵政民営化について、専門家の方々も含めて、侃々諤々と議論されている。流風は民営化は必要と思うが、世の中はなかなか複雑である。流風の一般国民レベルの理解での郵政民営化を少し整理してみようと思う。

まず第一点は「民営化」という言葉がわかりにくいことである。これはある人も言っていたが、「株式会社化」と言った方がわかりやすい。今まで官でやっていて、税金も納めていない組織が、株式会社にすることで、国には税収が見込まれ、厳しい財政再建に役立つということ。これ自体、国民にとって悪いことではない。

第二に、株式会社化することで、国は株式売却益が得られ、それは財政再建に役立つ。これも国民にとって悪いことではない。所得税や消費税を上げ幅を小さくできる。

第三に、株式会社化することで、公務員は会社員になり、国家債務が減る。すなわち歳出を減らすことができる。

第四に、株式会社化された会社は、今までやれなかったことが比較的自由にできる。しばらくは法律的縛りが続きそうだが、ある程度やりたいことができる。従業員は活性化される可能性がある。また郵貯の資金が民間でさらに活用できる可能性がでてくる。

第五に、郵便貯金や簡保が民営化されることにより、金融サービスは競争が激しくなり、サービスレベルの向上が期待できる。民間金融機関・保険会社の怠慢により、金融・保険サービスは国際レベルで考えても、まだまだ低い。これが改善される。郵政民営化に反対する議員は、多分そこら辺から反対を依頼されていると思う。

以上のように見てくると、一般国民にとって、郵政民営化は悪いことではない。もちろん、財務省により国債を持たされることへのリスク懸念はある。またどの程度の経営自由度が確保できるかという問題もある。国が経営に口を挟むことを極力制限することが望ましいが、一挙には無理だろう。

しかし、あれこれ考えていては、何も進まない。ここは、民営化で押し進むべきだろう。民営化後諸問題が出てくれば、微調整すれば解決できると思う。小さな政府は今の日本にとって、死活問題なのだから、反対議員は国賊と呼ばれないようにしてもらいたい。

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2005年6月11日 (土)

美人の条件

今回は男の目から見た美人について、少し触れてみたい。

美人とは女性だけに言うようである。また美女とニュアンスが異なるように思う。そのことは寺田寅彦も指摘していたように思う。そして男性に対しては、美人とは言わず、せいぜい美男、男前程度である。つまり男には「美人」を期待していないということだろう。

そんなことを思っていたら、先日ある所で頂いた小冊子『嗜好』に柴田洋一氏が「ひとの美とその周辺」の中で、美人の条件が記されていた。ただ、これらは、柴田氏の形象美という研究内容から外観に焦点が当てられている。いくらか抜粋すると、次のようになる。

  ① 第一印象は顔のため、男性は丸顔の女性を好む傾向がある。

  ② 健康なのが美しい

  ③ 近視のほうが円らな瞳になり、きれいに見える

  ④ 唇は上唇結節が明瞭だと美しく感じられる

  ⑤ 頬は人体の中で美しい部位であるが、そこが美しい

  ⑥ 肌そのものが美しい。もち肌。

  ⑦ 大根足のような白い脚 等々

でも、美人というのは、外観だけでは決まらないと思う。

男性が一般に求める美人の条件は、

    ⅰ 上記のように容姿が美しいこと、

    ⅱ 性格が良いこと、

    ⅲ 賢いこと、

 と言われる。

だが、全ての用件を満たす女性は現実にはほとんどいない。もし全ての要件を満たすなら、それは国を傾け、城を傾けるだろう。若い男性は夢を見ないことだ。

であれば、いかに優先順序を持たせるかが、課題になる。しかし、どれも一長一短がある。たとえば、

  ⅰ 容姿が美しいと周囲に自慢できる。美人を獲得した満足感に満たされる。
          しかし、容姿が美しいと、金がかかる。浮気も心配で、仕事も手につかなくなる。

  ⅱ 性格が良いと、安らぎを得られる。
     しかし、男がそれに甘えてしまうと、仕事で一流にはなれない。

  ⅲ 賢いと、あらゆる面で任せると楽である。
     しかし、男性を馬鹿にするようにな.る。
      男性はストレスを溜め込み、家庭生活は円満にはいかない。

さあ、若い男性諸氏は、どのように選択されるのか。どうも、それは投資と同じで、自分自身の性格の見極めによる相性の確認と長期的見通しが必要なようだ。

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2005年6月 9日 (木)

商売における独創性

現在、景気が良いのか、悪いのか判断に迷うところだが、中小企業にとっては、本来景気の良い悪いは関係ないはずである。確かに、銀行の不良債権が多かった今までは、多少の言い訳は許されたかもしれないが、それも解消されつつある現在、中小企業にとって、景気は自ら創るものと考える。

ところで、ある商業施設で、スローガンの垂れ幕がかかっている(*注)のであるが、多少気にかかった。その内容は次の通りである。

      「とんがりすぎず へいぼんすぎず」

このスローガンの意図はどういうことだろうか。時代の最先端を行くわけでもなく、平凡な商品を扱うわけでもなく、その中間品を扱うという意味だろうか。

流風は、このスローガンを見て、若干不安に感じた。現代のビジネスにおいては、独創性のないビジネスは成功の可能性はほとんどない。私達消費者は、トンガリも平凡なものも、どちらも選択しているが、独創性のない中途半端なものは選択しない。

現在のようにモノがあり余っている時代に、顧客にモノを選択してもらうには、モノの提供者の独創性がなければならない。もちろん、独創が過ぎれば、顧客は限定される。しかし、それでいいではないか。八方美人的に全ての消費者を量的に確保しようとする売上至上主義の時代はもうとっくに終わっている。

その商業施設の実績は知らないが、スローガン一つで、自らの景気を変えてしまう危険性があることを十分考慮すべきだろう。

*注

2008年現在、このスローガンは既にはずされている。テナントも大きく入れ替わっている。

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2005年6月 6日 (月)

米国に対する認識

流風は、どれくらい米国について、知っているのか、整理してみた。政治的には日米安保条約とか日米同盟とかいって、深いつながりがあるように演出されているが、果たして日本人は米国を知っているのだろうか、理解しているのだろうか、少し考えてみた。

現在、日米関係はうまくいっているようだが、中国とはまた違った難しさがあるようである。以下、十分な理解とは言えないが、米国に対する認識を一般国民レベル?でまとめてみた。

まず第一点は、民主主義を信奉していることであろう。表面的には合議制であるが、リーダーシップが重要な役割を果たしていること。そして、民主主義を輸出している。世界に民主主義のシェアを拡大することに熱心なこと。

第二点は、資本主義で、資本が中心で、人より資本重視であること。民主主義の輸出先に資本主義を根づかせること。領土的野心より、資本主義が根づくことによる、ビジネス機会を増やすことに野心がある。

第三に、自由主義で、競争による効率を重視している。その結果、インターネット等システム開発に熱心である。日本が米国から学べる唯一のことである。

第四に、最も国際化が遅れていること。彼等は相手国の事情を無視する傾向が強い。相手国を理解しようとする努力は基本的にないと言うと言い過ぎだが、それに近い。

第五に、力を信奉する傾向が強いこと。軍事だけでなく、力は最大の外交と思っている。脅し、ハッタリ、強硬さは常套手段になっている。

第六に、アジア蔑視であること。米国とかかわりのある人は感じておられるだろうが、基本的にアジア蔑視姿勢がみられること。また日本に原爆を落とし、ベトナムには枯葉剤など化学兵器を使用し、イラクでは劣化ウラン弾を使った。これらはアジアに対してのみであること。

第七に、各政権はいろんな強力な支持母体を持ち、大統領は繰り人形であること。言うことを聞かなくなると、選挙で落選させるか、最悪暗殺される。よって、大統領に深い見識があるとかを期待してはいけない。支持母体で政策作りが決まってしまう政権と考えたほうがよい。

第八に、彼等が恐れるのは世論である。自国の世論も、相手国の世論も、さすがに無視は出来ないと感じているのではないか。中国の反日デモにも敏感に反応していたではないか。

まだまだいろいろあるであろうが、以上、独断と偏見でまとめてみた。日本は最低限度、こういったことを理解した上で米国と付き合う必要がある。そうすれば、彼等の要求事項の事情が飲み込めるはずである。そして一般人も、そういった事情を知っておくとよいのではないか、と思う。

その上で、米国には、日本の理念を明確にして、論理的に主張・説明しながらも、日米関係を良好にすることは、日本にとって依然重要なことであろう。そのためには、もう少し、米国に関心を持って、各階層の人脈を更に強化することが求められると思う。

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2005年6月 4日 (土)

勘違い

「パパー」と誰かが抱きついてくる。はて、流風には、そんな女に覚えはないが。

と思ったら、かわいい2歳ぐらいの坊やが足に抱きついているのだった。どうも、お父さんを間違ったらしい。困ったなぁと思っていると、お父さんらしき人が急いで、やってきて、「違う、違う」と言いながら、引き取っていく。坊やは「あれっ」という感じで流風を見つめている。

こんな経験ありませんか。流風は、公園とかフリーマーケットに行くと、よくこんなことがあります。そして、大体がかわいい坊やのことが多い。お嬢ちゃんの場合は、直前までは来ても、瞬間に気づいてUターンすることが多いようだ。どうも目線の違いによる勘違いだけではなさそうである。

このことから、わかるように、どうも勘違いするのは、いつまでも男であると思う。流風の若い時の経験でも、女性の外見やちょっとした素振りで、ラブ・レターを送って、散々な失敗をしたことがある。その点、女性は個人差はあるだろうが、勘違いは比較的少ないのではないか。

これは、やはり男女の脳の構造が違いからのようで、男性は左脳で分析的に判断するのに対して、女性は右脳で直感的に全体的な雰囲気で判断するからのようである。

男女間の認識の差は、女性が社会進出著しい現代でも、トラブルになりうる。よって、お互いの特性を十分に理解することが大切と思う。特に女性は男性が勘違いしないように注意すべきだろう。

また職場における仕事の配分も、「男女雇用均等法」のような法律的な解釈だけでは限界があると思う。男女の特性を活かした仕事が望まれると思う。つまり脳の構造差を性差と共に考えることは、男女の今後の課題ではなかろうかと、ちょこっと考えてみた。

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2005年6月 1日 (水)

ノータイ、ノー上着

ノータイ、ノー上着が推奨されている。国会でも、そのように対応するようだ。流風は今週から、ノータイ、ノー上着。楽ですね。

ノータイ、ノー上着はだらしなくするという批判はいまだにある。それは、わかる気もするが、健康的には、ノータイ、ノーネクタイが本来相応しい。

なぜなら、ネクタイは体感温度を上げるし、ネクタイは血圧を上げる。つまり体感温度上昇は、必要以上に、冷房温度を下げさせ、内外温度差が大きくなり、健康を害し、血圧は高血圧の人々にとっては、健康を更に悪化させる道具になるからである。

ノータイ、ノー上着にすれば、特に冷房については、室内の冷房温度も上げられるし、交通機関の冷房温度も上げられたら、経費の節減にもつながり、企業にとっても、望ましいことである。こんないいことに、なかなか気づかなかった私達は、どこか既成概念に囚われていたということだろう。

私達は、度々常識と思っていることに囚われる。心したいものである。次は企業の対応がどのようなものになるか、見ものである。これによって、企業の変化に対する柔軟性が測られる事になる。あなたの会社はどうですか。

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