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2005年7月20日 (水)

大東亜戦争と私達

学生が夏休みになるこの時期になると、日本はなぜ戦争に負けたのか、と毎年思う。しかし、若い世代の人々は戦争があった歴史的事実も知らない人がいるようだ。ただ戦後生まれの戦争を知らない世代の流風にとっても、知っているようで十分には知っていないので、少しまとめてみることにした (しかし、専門の近代史研究家ではないので、明確な知見は述べられない)。

両親からよく聞かされたのは、戦時中、それも戦争の終わり頃、B-29によって焼け野原にされ逃げ惑った恐怖のことである。そして戦後の食糧難のことである。幸い両親は助かったが、このB-29の本土都心部攻撃、広島・長崎への原爆投下、沖縄決戦での巻き添え、ソ連による日ソ不可侵条約の一方的破棄により、戦争を仕掛けてきたことによる被害などにより、民間人約60万人が亡くなっている。この戦争で、軍人が約230万人亡くなっているから、合計で約300万人が亡くなった。

この悲惨な戦争を知らない世代は、多くの書籍に頼るしかない。しかし、多くの戦記が書店に並んでいるが、それだけでは全体像はつかめない。戦争体験は父もそうだったが、関係者は多くは語りたがらない。また仮に聞いたところで、全体像はつかめなかっただろう。

そこで、流風は一冊の本を参考にしようと思う。ただ、これさえも、著者により主観が多く入っているかもしれないし、情報の偏りがあるかもしれない。しかし、何かの手がかりは必要だ。

その一冊とは、瀬島龍三著『大東亜戦争の実相』(PHP研究所刊)である。瀬島氏陸軍最高統帥部の作戦部に勤務し、全軍企画立案指導し、のち満州の関東軍参謀に転じ、終戦後ソ連シベリアに11年間抑留された軍人である。シベリア抑留に関しては、毀誉褒貶の多い人物でもある。戦後は、商社に招かれたり、後に、国の仕事に関わっている。

私たちが「太平洋戦争」と習ったのに対して、彼がなぜ「大東亜戦争」と言うかについて、こう語っている。大東亜戦争とは「中国に対する軍事行動+米英蘭三国に対する戦争+終戦近くのソ連との戦争」である。また太平洋戦争とは米英蘭三国に対する戦争を指すのみであり、当時はそういう呼び名はしていないとのことである。

この本では、大東亜戦争の前の満州事変から開戦までが述べられている。ただ流風が思うに、日清戦争、日露戦争から述べなければ、この戦争の真の原因の理解は戦後世代には難しいと思われる。その関係の書籍を読まれて、この書籍を読むと理解が深まると思う。

この書籍について、詳しい内容は避けるが、流風の関心ごとである、なぜ戦争に負けたかについて、瀬島氏は挙げているので、一部紹介しておく。

<大東亜戦争の性格>(括弧内、流風記)

① 日本にとって、自存自衛の受動戦争だった

(現在の歴史観で当時を語ることはできない。底辺に、明治維新前後から、欧米列強の植民地支配に対する恐怖感がずっと横たわっていた。そして、それを外交努力で克服することは甘いと見られた。軍部の台頭は、当時の日本としては止むを得ない選択の雰囲気があった。もちろん、軍による対抗意識を後押ししたマスコミや無知な国民の支持も影響している)。

② 日本は米国との戦争を望まなかったが、米国とのコミュニケーションがうまくいかなくなって、首脳会談が実現しなかったことが日米開戦につながった 。

(大きくは、①の理由だが、中国による米国に対する外交工作が日本より優れていたことも影響している)

③ 戦争の責任は日本に一方的にあるのではなく、日本の在外資産の全面凍結などで日本を窮地に追いやった米国にも戦争の責任はある 。

(米国は現在でもこの手をよく使う。米国は平気でルール違反をする傾向がある。追いつめられれば、窮鼠猫を咬む。米国は「孫子」を理解していなかったのだろう)

<大東亜戦争の教訓>

① 賢明さを欠いた日本の大陸政策

(英国帝国主義とロシアの南下政策に対する恐怖心が日本の大陸政策の動機づけであるが、周辺国家への説明が不足していた。それは朝鮮、中国に対する蔑視感があったことは否めない)

② 早期終結を図れなかった支那事変

(一部の軍部の暴走を止められなかったし、その後の処理もおかしい。戦争は終わりを常に想定しなければならないのに、それができていない。日本の特質として、始めると終わりを想定できない。しかし、明治の元勲たちは、日清戦争、日露戦争共に、始めると共に終わりを考えている。彼ら以後の人材に問題があったことは間違いない)

③ 時代に適応しなくなった旧憲法下の国家運営能力

(明治憲法がシビリアンコントロールでできないものであったことが大きな不幸を招いた)

④ 軍事が政治に優先した国家体制

(明治憲法がシビリアン・コントロールでできないものであったことが大きな不幸を招いた)

⑤ 国防方針の分裂

(海軍と陸軍で国防に関する考え方が分裂していた。これもシビリアン・コントロールが欠如していることの表れ)

⑥ 的確さを欠いた戦局洞察

(外交情報も含めて戦局が客観的に把握されていない。主観による希望的観測が多すぎる)

⑦ 実現に至らなかった首脳会談

(面子ばかりに捉われて、戦争を終わらせるということの重大性を理解しないトップ・指導層の資質の問題が露呈している)

このように指導者層の大きな過ちのために、大変多くの国民の屍を重ね、生き残った人々も多大な苦労をすることになった。

現在の日本の繁栄は多くの屍の上に成り立っている。私達はもう一度、彼等がどういう思いで亡くなっていたかを慮り、供養をしなければならないと思う。私達はこの教訓を十分に活かして、日本を繁栄させなければならない。

そして戦争を知らない世代は、ある意味この戦争を客観的に見ることができる。それぞれが、どのように知見に高めていくかが、世界の中での今の日本人に問われていることだと思う。新しい気持ちで終戦記念日を迎えたいものです。

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