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2005年7月23日 (土)

曖昧な言葉の悲劇

日本語はそれが文化だと言えばそうだが、曖昧な言葉が多い。また地域によって、曖昧な言葉がある。

だから違う地域から別の地域に行くと、今でもコミュニケーションが十分でない場合がある。例えば東京のビジネスマンが大阪に営業に行って、相手から「よう、考えときます」と言われて、再度営業に行って、「あの件、どうなりましたか」と聞くようなものである。

また政治の世界では、「慎重に検討させていただきます」とか「配慮いたします」とか「鋭意努力します」とか言う。ところが、その内容・程度は全くわからない。断っているのか、実際検討するのか、わからないから、受け手は自分の都合のよいように理解して、後日トラブルが生じる。日本国内であれば、まだ、なあなあで通じる部分があるが、海外とのやりとりとなると、大変なことになるケースが多い。

しかし、この程度なら、まだ何とかなるかもしれないが、昭和20年7月に大きな悲劇を引き起こす発言があった。すなわち、連合国側が日本に対して、降伏を求めるポツダム宣言を発したことは皆様、ご存知だろう。

これに対して、日本は内部でいろいろ協議して、次の回答をした。

「政府はポツダム宣言を黙殺する方針である」

問題になったのは、この「黙殺」と言う言葉である。これは「黙って取り合わない」という意味合いだったようだが、英語では「ignore」と翻訳された。当時、米国大統領は、各戦場で日本の強い抵抗に合い、多くの戦死者を出したため、国内から厭戦気分と批判が高まっており、あせっていたと言われている。そこに日本からこの回答だ。米国は日本が徹底抗戦すると理解した。

その結果が、数日後、広島、長崎に対する原爆投下だった。

当時の政府はなぜ「黙殺」と言う言葉を使ったか、わからないが、曖昧なことは確かだ。政府に戦争を止める意思決定をできない仕組みが、この言葉を選択させたのかもしれないが、やはり曖昧な言葉は国際社会では通用しない。

現在でも、「イエス」「ノー」をはっきり言うことができない政治家は多い。国内ではまだ許されるが、海外ではトラブルの元になる。これは単に英語圏だけでなく、中国のような国に対しても、英語のような明確な言葉で話す必要がある。

ただし、常に「イエス」「ノー」を明確にするため、激論になるだろうから、担当の方々はそれに耐えうる知見とタフな交渉魂が求められることになるだろう。よって「高い知識と見識を持って英語が話せる人材」がより求められることになる。

以上のことをまとめると、今では常識かもしれないが、海外交渉で悲劇を生まないためには、高い知識と見識を前提に、明確な言葉で考え、話す習慣が求められる。次に海外交渉に日本語は不適切で、英語で話し、英語で文書を作成することが求められる。

*追記

但し、英語であれ、どんな言語であれ、曖昧な表現はある。背景の違った文化の国がコミュニケーションをとる場合、自国の表現方法に捉われてはいけないというのが、本論の趣旨である。単に外国語が読み書き話せても、その言語の立脚している文化を理解していないと、誤解を招きがちだ。このように外国語を学ぶということは、本来大変なことだ。

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