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2005年7月27日 (水)

戦争と平和を考える

『戦争と平和』と言えば、レフ・トルストイの小説が頭に浮かぶが、流風は、あの登場人物の多さとあちらの人の名前がなかなか覚えられそうにないので、未だ読んでいない。映画にもなり、テレビでも放映された記憶があるが、舞踏会の場面以外、記憶も曖昧だ。よってトルストイが何を言おうとしたのか、ここでは紹介できない。ただ彼は次の言葉を残しているようだ。

「善を行うには努力を必要とする。しかしながら、悪を抑制するには一層の努力が必要だ」

ところで、先日「なぜ戦争がなくならないか」という質問を受けた。少々青臭いが、流風なりに考えてみた。

まず第一に言えることは、私達は常に生存競争をしている。そのため、ある意味、常に「戦争」していることです。

武器で戦うだけが戦争ではない。例えば、経済に関する戦争、政治・外交による戦争、文化に関する戦争などがある。軍事による戦争は、最後の選択と言うことができる。

第二に言えることは、平和は戦争があって存在するものであり、戦争は平和の中に潜むものである、と言えよう。そして、戦争も平和も人間の心に内在しているということである。

すなわち、全ての人間の心の中に勧善懲悪のように正義感がある。それが正義を守るために、闘争本能として、実行に移したものが戦争であり、逆に闘争本能を抑制したものが平和であると言えるのではないか。

問題は戦争を起こした者も正義感を持っていることです。戦争を起こした者は自分が正しいと思っていることです。

第三に言えることは、戦争も平和も十分理解した上で、戦争や平和を超えた絶対平和を目指す必要がある。

そのためには、人々の心の制御が重要になる。心の制御とは、心を治めることであり、心を整えることであり、心を育てることである。しかしながら、人の心はころころするというように、非常に変化が激しく、多くの人が集まって、それらの心を制御することは大変なことです。

以上のことを勘案して、平和を保つためには、やはり各国において人間教育が必要と感じます。人間としていかにあるべきか、という課題を初等教育において、考えさせることが大切です(大きくなってからでは遅すぎる)。生きていくための知育も重要ですが、人間としてどう生きていくか、という教育が全世界に求められています。

日本には武士道というものが、かつてあり、子供の教育にも、それが活かされていました。よく誤解されるのですが、「武士道」とは戦うことだと理解されているようですが、「武」は「矛を止める」意味であり、「士」は「そのことを理解している人」の意味で、「道」は「人の生きる道」と言う意味です。あの大東亜戦争に突入し、負けたのは武士道精神が廃れたからではないかと思っています。

戦争を抑制し、平和を維持するには、人の心を制御する教育が大切である、と結論付けられます。そして、平和そのものが脆いものであるため、多くの人の知恵と継続的な努力が重要なのは言うまでもありません。

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