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2005年8月27日 (土)

小林古径展~京都国立近代美術館

京都国立近代美術館で催されている小林古径展を鑑賞してきた。7月26日から開催されていたが、『髪』の展示が8月23日からということで、待つことにして、行ってきた。

以下、間違っているかもしれないが、素人的視野での感想を記しておく。

① まず『髪』(昭和6年)はさすがに大作で良い作品だと思う。ただ気になるのは、戦前の大正後期から昭和期の彼の作品の女性の目は全て似ているのである(『少女』『機織』『馬郎婦』『琴』など)。ところが、作品により、受ける感じが異なる。ある作品は何か疑視しているような感じも受け、ある作品は何かに集中しているように見える。どちらにせよ、時代背景がそうさせているのかもしれない。

② 『竹取物語』(大正6年)の受けた印象はどこか宗教的な感じだ。果たして、かぐや姫は異国の国に行ったのか、亡くなったのか。後者のイメージで捉えている。流風はずっと前者のイメージで捉えていたので、この年になって、そうだったのかと思い返した次第。もう一度、読み直さなければ(笑)。

③ 『清姫』(昭和5年)は場面ごとに描かれているようで、挿絵のような感じだ。そのため人物画として、清姫の表情を中心に描いていないため、そんなに思いつめたように感じ取れない。

④ それから『Cat』(昭和21年)は妙な猫であった。気品があるといえば、そうだが、実物の猫とはどこか違和感がある。日本的な感じがしないのである。

⑤ 戦後描かれた絵は全体的に立体感がなく、平面的である。奥行き・深さが感じられない。彼の絵は戦前で終わってしまったかもしれない。

絵全体の構成としてみると、古径の絵は日本画、中国水墨画、洋画などの手法がちゃんぽんになっている。古径がいろんなところから絵を学んだことがわかった。でも消化し切れていないようにも感じる。それがため、日本画の良さの継承が曖昧になっているのが、残念である。絵は上手かもしれないが、その中心になる哲学が弱かったのかもしれない。それは天心の罪なのか。

でも、やはり、『髪』 はよかったなぁ。

9月4日まで。

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