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2005年9月29日 (木)

阪神優勝!

ついに阪神が優勝した。熱烈な阪神ファンと言うわけではないが、関西在住の者としてはやはりうれしい。阪神が優勝すると景気が良くなるジンクスがあり、景気は更に良くなりそうである。

でも、今年阪神が優勝するとは、とても思わなかった。パ・リーグとの交流戦がやはり良かったんでしょうね。いろんな要因があると思うけど、スタッフによるパ・リーグの調査とパ・リーグからピッチングコーチを招いたことが勝因なんでしょう。交流戦を通じて、投手の体制が急速に整いましたから。野球は投手だ、と言っていた阪神の熱烈ファンだった父の言葉が思い出される。

まあ、なんだかんだと言っても、優勝おめでとう。今夜は特別番組で久しぶりに夜更かししそう。たまにはいいか。

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士業の危うさ

カネボウ絡みで監査法人の不正が摘発されているが、監査法人は多かれ少なかれ、不正を行っていると感じられる。理由は簡単である。金の出所が担当企業であるからである。そもそも金をもらってまともな監査ができるとは思えない。お客様に逆らえば、顧客との契約がなくなる可能性があるのだから、適当な監査が横行するのである。

一方、公認会計士個人レベルで見れば、彼等は弁護士、税理士などの同様に「士業」と呼ばれる。これらの人々の仕事は大変大きな責任を伴う。故に国家資格を前提に比較的高所得を保証されている。なぜなら、それぞれの仕事は法治国家における、それぞれの分野での最後の砦であるから。ところが、その仕事のもつ意味は大きいのに、それを理解していない士業の方々がいるのは非常に残念である。

多分あの監査法人は事業の継続は出来なくなるだろう。そして担当者は資格剥奪が適切な処置だろう。それぐらいの厳しさは当然求められる。そうしなかったら、金融庁自身の責任が問われることになる。カネボウを国の金で救済したこと自体が問題になるから。

今後、監査の仕組みそのものの改革が早急に求められる。また関係士業の方々に求められるのは、もう一度初心に戻って、自らの仕事の重大性を再確認することだろう。士業の方々は受ける仕事の整理をすると共に、精神的タガをもう一度締めなおしてもらいたい。

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2005年9月23日 (金)

宇宙からの警告

暑さ寒さも彼岸まで、というのに、日中は暑い日が続く。最近の異常気象は確かに尋常ではない。地球温暖化は確実に進行している。その結果、ハリケーン、台風、水位上昇などが大変な被害をもたらしている。大地震も地球温暖化が原因ではないかと思う。信じられないスピードで異常な事態が連続して生じている。

さて中国の古典などを読むと、為政者が悪いと災害が大きいと言っている。災害は人災であると。それは首肯できる。為政者の配慮が足りないと大きな災害は起こりやすい。自然災害は起こるべくして起こっている。為政者はもちろん、私達ももう少し謙虚になる必要があると思う。つまり人間は宇宙の子とよく言われるが、現在私達は宇宙から警告を受けているのだと思う。それを素直に心で聴くことができるかが大事と思う。

例えば、人間は宇宙をさわるな、と警告しているように感じる。科学者からは非科学的と言われるかもしれないが、宇宙開発がオゾン層を破壊し、地球温暖化を促進しているのではないかと疑っている。宇宙開発を即時停止しない限り、地球温暖化は続くような気がする。確かに石油等のエネルギー消費が問題なのも事実だが、多分それは地球内でバランスを取ると感じる。地球を覆っている層を破壊しないことが人類の延命には必要なのではないか。

宇宙開発はしなくても、人間は生きられる。人間は宇宙開発や遺伝子組み換え等やってはならないことに手を出した結果、それらに強いしっぺ返しを受けることになるだろう。

それを避けるには、為政者だけでなく、私達はもう少し見えないものに対して謙虚になるべきなのかもしれない。その時はじめて宇宙の怒りが解けるのだろう。

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2005年9月22日 (木)

大きな声

最近はどうか知らないけれど、企業において大きな声の主の意見が良く通っていたものである。その意見の内容より、声の大きさが優先順序を決めるこの理不尽。今はそんな企業ないでしょうね?まあ、流風も声は比較的大きい方だけどね。

ところで、話は変わるが、先日喫茶店(スタバだよ)に行っていたら、中年の女性3人組の大きな声には、本当に参ってしまった。周囲など全く見えていない。ここは公共の場だぞ。困ったものだ。

更に、電車に乗っていたら、女子大学生風の四人組が大きな声でおしゃべりしている。あまりにも無遠慮ぶりに腹を据えかねたように高齢者の方が注意していた。一体どうなっているのでしようね。公共心が欠如している。

こういうのは女性ばかりと思っていたら、マクド(東京ではマックとか)でお茶していたら、男性の高齢者が大きな声で話している。これは拷問だ。すぐに店を出た。これらの高齢者は耳が遠くなっていると思われるが、彼等が憩えて、他人に迷惑をかけない場所の提供はできないものか、と思った。

大きな声は場所によっては元気があって宜しい。しかし、それに不都合な場所があるとことを知るべきだろう。果たして、日本人のレベルはそこまで落ちたのだろうか。あらためて公共心教育が必要なのだろうか。

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2005年9月21日 (水)

米国産牛肉は必要か

流風は牛肉を毎月そんなに頂く方ではないが、これからはすき焼きがおいしくなる時期である。牛肉はだいぶん値上がりしているようだが、信用のある店で、少し高くても安全性のある方を選ぶ。

ところで米国の圧力で、BSEの検査対象が全頭検査から20ヶ月月齢に変更されたようだ。一部の学者の方々は食物に絶対の安全はないのだから、それで十分だとか言われているが、いまいち信用できない。特に御用学者の場合。コストはかかっても全頭検査して欲しい。

米国産牛肉なんて全く信用できないから、輸入されても買うことはないだろう。外食産業でそれを使うようだったら、多くの人々は、そこは多分利用しないだろう。BSEは日本人の遺伝子に関わる事で、日本人を守ろうとすれば当然の選択だろう。できるだけ輸入しないで欲しい。

それに健康のことを考えれば、そう頻繁に牛肉を頂くことは必要ないだろう。日本人が適切に食事すれば、日本産牛肉で十分だと思う。

また米国が日本への輸出ができない制裁として、日本産牛肉の輸入制限をするようだが、そもそも日本産牛肉を輸出する必要があるのかとも思う。

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2005年9月18日 (日)

名前の重要性

個人の場合、名前は大切で、他と区別することや一生呼ばれる続けるなど、その影響力は大きい。それは政治の場でも同様ではないか。

ところが、日本の政党の名前は本当に紛らわしい。例えば自民党と民主党。自民党は自由民主党が正式名だから、民主党と非常に名前が似ている。民主党は自民党より後からできた政党だが、もっと違う名前にできなかったのかも思う。民主党では自民党の一派としか捉えられない。政策に大きな違いもないし。米国では民主党と共和党だから、それに倣って民主党は共和党にすれば良かったんだ、と皮肉も言いたくなる。

党名は基本理念から導かれ、その党の基本方針であるから、軽々に名づけられないだろうが、やはり考えて欲しいものである。すべてはそこから始まるのだから。

それにしても、自民党は自由党に変更する時期に来ていると思うのだが、どう考えられているのでしょうね。

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2005年9月17日 (土)

国の再建とリストラ

国のリストラが民間と比べて遅れている。国の借金(現在国債等で1000兆円)を次世代に残さないためには、相当思い切ったことをやる必要がある。数年前にネバダレポートなるものが国会で取り上げられた。日本の財政が破綻した場合、IMFが日本経済再生に乗り出す時の方策を述べたものであるが、今は、国がその方策を先取りして実施する必要がある。基本は政府予算を縮減して、国債の発行を停止が求められる。そして、それには国や地方公共団体のリストラが求められる。

しかし、ネバダレポートの示した方策(下記参考参照)を全部やっても、借金はまだ返せないかもしれない。更なる追加措置が求められるだろう。

例えば、

 ⅰ 特殊法人及び独立行政法人への予算全額カット

 ⅱ 所得税の累進課税の強化見直し

 ⅲ 国や地方公共団体の資産売却。あの立派な官舎は要らないと思う。

 ⅳ 法人税等の増収分は全て国債の早期償却に割り当てる。

 ⅴ 公務員の人員削減

 ⅵ 公務員の俸給体系の見直し。総支給額の制限。実績主義導入。

 ⅶ 予算削減評価制度の導入

そうすることで、いろいろトラブルが生じるかもしれない。しかし、そうすることによって、国民は国の危機が理解できるのである。そして、国民が国や地方公共団体に頼らない意識を作るのである。

そうすることで公共サービスをリストラし、公務員を削減できる。また特殊法人・独立行政法人は無駄な仕事を作り出している。郵政同様完全民営化する方向で検討すべきだろう。これらの中には、役割を終えたNHKも含まれるだろう。もちろん民営化で消滅する組織もあるだろう。

そのことが、これからは国や地方公共団体を頼れないという意識を根づかせ、私達一般国民はより一層相互扶助組織を作る必要に迫られるかもしれない。

(参考:ネバダレポートの示した方策)

1  公務員の総数、給料は30%以上カット、及びボーナスは例外なくカット。

2  公務員の退職金は一切認めない、100%カット。

3  年金は一律30%カット

4  国債の利払いは5年から10年停止。

5  消費税を20%に引き上げる。

6  課税最低限を引き下げ、年収100万円以上から徴税を行う。

7  資産税を導入し、不動産に対しては、公示価格の5%を課税。債券、社債については5から15%の課税。

8  預金については、一律ペイオフを実施し、第二段階として、預金を30%から40%カットする。

*2006年11月4日追記

現在、当時とは、経済状況は改善しているとはいえ、財政は依然として危険な状況にある。国や地方の無駄遣いはなくなっていない。それは根本的な組織改革を怠っているからだ。屋上に屋を重ねる組織を簡素なものにしなけば、財政状況は改善しないだろう。

それは、リストラした民間企業同様、中間的な役職をなくすことにある。部長クラスの管理職は、決済を早くする必要がある。そして、国や地方が、国民を「顧客」として、何をすべきかを明確にして、実行すべきだろう。そうすれば、政策的効果はてきめんに出るだろう。それが改革につながっていく。

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2005年9月16日 (金)

話すスピードと理解

時々機関銃のように話しまくる人に出くわす。頭の回転が速いためか、彼等は話し出すと止まらない。聞き手が聞いているかどうかはお構いなし。彼等はただ話すことに喜びを感じているようだ。話すことに意味を感じず、コミュニケーションできないこれらの人はどの世代にもいる。

流風はどちらかというと、ゆっくり話すタイプ。だから、初めての人には、「流風さんの話を聞いていると眠くなる」と冷やかされる。まあ、頭の回転が速くないんでしょうね。でも今更速く話せといわれても、難しい。

でも、流風に慣れてくると、相手も不思議と割りにゆっくり話し出す。だからコミュニケーションはうまくいく。変わらない人もいるけど。そういった人とはだんだん関わりが薄くなっている。

演説などで自分は頭がいいと思っている人々は概して早口だ。だが、彼等が理解されているかは疑問だ。ビジネスでも同じことが言える。企画倒れのビジネスが失敗するのは、顧客の理解のスピードと一致しないからだ。

ついでに言えば、奥様方も。夫に理解できるように話そうね。そうすることがお互いのためだと思うよ。あっ、失礼、ブログを読んでいる方にそんな方はいませんよね。

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2005年9月15日 (木)

歩く速さに思う

若かった時、流風は結構早足だったのだが、今では、それがもう通用しないことを最近、理解した。というのは、歩いていると、若い人々がどんどん追い抜いていくのである。それも短足の流風と違って足の長い方々が。ああ、スタイルがいいなあ、と見とれていると、どんどん距離が遠くなっていく。

それにしても、今から考えると、若い時は、なぜか急いでいたなぁ、と思う。なぜあんなに急いだのか、今でもわからない。余裕がなかったとかもあるだろうが、それだけではない。やはり若さがそうさせたのかもしれない。

今までも、比較的自分のペースで生きてきたが、ままよ、これからもペースを崩さずにやっていこう。

とは思いつつ、先日早朝の散歩をしていると、同年輩の男性に追い抜かれたので、癪だから、追い抜き返したら、また追い抜いてきた。最終的には追い抜いたが、全身が汗びっしょり。さてさて、健康にいいのか悪いのか。ガキの気分が抜け切らない流風でした。

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2005年9月11日 (日)

誤訳によって築かれた文化

流風が翻訳書籍を読むとしても、経営関係が多いので、あまり文芸作品の翻訳モノを読む機会はない。読書傾向の偏りを修正しようと思うので、いずれ文芸作品にも挑戦したいと思っている。

ところで、経営書と言えば、米国あたりのものが多いのだが、時々変な翻訳に出くわす。前後関係がどうも合わないし、意味も不明。英語力からして滅多にしないが、原書にあたると全くそんなことが書いていない場合もある。

いわゆる、翻訳者の意思による意訳の場合である。もちろん、それが適切な場合もあるだろうし、頓珍漢でそうでない場合もあるだろう。そのように考えると、翻訳書は著者の本当の意向が正確に伝えられているか疑問であるかもしれない。

根本的なことを言えば、英語を日本語に翻訳することが既に問題なのかもしれない。例えば、よく指摘されるように、フリーダム(freedom)とかリバティ(liberty)は日本語では、「自由」と翻訳されているが、その意味は根本的に異なる。

「フリーダム」とか「リバティ」とかは、束縛・拘束されていることから解放されることを意味する。それに比して「自由」は出典は漢語から出ており、「みずから、おのずから」出てくるものである。すなわち、本来、束縛・拘束もなく、抑圧・牽制もない。

もう一つ、例を挙げれば、ネイチャー(nature)という言葉がある。これは日本語では「自然」と翻訳されているが、「ネイチャー」の意味は人間に対する客観的存在で、人間と相対的存在である。それに対して、「自然」は人間は自然と一体であり、根本的に意味が異なる。

以上のように見ていくと、外国語がまったく違う意味の日本語に翻訳されていることになる。明治時代に誰かがこのように翻訳し、それが綿々と続いている。私達は何も考えることなく、イメージで使っているが、その本来の意味を知らないで、果たして真の国際交流ができるか疑問である。日本にはカタカナがある。翻訳せずに、フリーダム、リバティとかネイチャーでよいのではないかと思う。

このようなことは、別に英語に限らず全ての言語に言える。最近読んだ本では、『老子(全)』(地湧社刊)がある。日本生まれの華僑の王明氏による翻訳であるが、従来日本で漢文として解釈されていた意味内容と全く異なる部分が多くある。

王明氏によると、学者によって誤訳が延々と日本では続けられていたと指摘する。確かに『老子の講義』(諸橋轍次著、大修館書店刊)と読み比べてみると、ところどころに意味が異なる。それは無理な解釈が含まれているように思う。

それに比べて、王明氏の翻訳は、さらりと読めて、無理がない。もちろん、王明氏も時々意訳が含まれているので、それには注意がする必要があるが、原文が書かれているので、それと照らし合わせれば、問題は少ないだろう。

私達は、結果的な日本文化の良し悪しは別にして、海外文化の間違った翻訳理解で、歴史的に文化を形成してきたのかもしれない。誤訳によって日本文化が形成がされていたとしたら、逆に正確な翻訳がされていたら、どのような日本文化が形成されていたのかも興味深い。

翻訳は文化に対する影響力が大きい。翻訳者に求められることは、外国語の表面的な解釈だけではなくて、文化も含めて、言葉の持つ意味を深く理解していないと、翻訳は無理だということだ。そして、場合によっては翻訳せずに、カタカナ表示で、注意書きに留める姿勢が求められるのではなかろうか。翻訳者の今一度の頑張りと、学者の方々には、革新的な古典の翻訳の見直しに期待したい。

*平成19年11月18日追記

拙ブログで、具体的な例を取り上げました。

「智と『老子』第65章の誤解釈」(2007.11.18付)

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2005年9月 5日 (月)

お客様が好きですか

商店街をうろうろすると、時々新しい発見がある。現在都心に近い商店街は店の入れ替えも進み、新しい風景が見られる。皆さん、頑張っておられるのでしょうね。

最近は見なくなったが、以前商店街の店の入り口によく貼られているものがあった。それはよく知られた標語である。あーここにも、あそこにも、という具合だった。それを最近久しぶりになつかしく目にした。実はその標語とは『日常の五心』のことで、内容は次の通りである。

一 ハイ という素直な心

二 スミマセン という反省の心

三 ワタクシガシマス という奉仕の心

四 アリガトウ という感謝の心

五 オカゲサマ という謙虚な心

多分、多くの方が知っておられることだろう。接客業の基本と言われているものである。

子供の頃、祖父が「商売に難しい勉強はいらない。心がけと読み書き計算ができればできる。人の心を知ることが大事だ。それには、早くから人と接して商売を覚えることだ」と言っていたのを思い出す。

人の心を知るには、まず自分の心がけが大切で、早くから人に揉まれることが意味を持つのだ。結局、流風は大学進学して、商売の道を歩まなかったが、日常生活でも、この『日常の五心』は役立つと思う。結局は自分の心がけ次第で相手は動くということだ。

今、商売がうまく言っていない方、あるいは人間関係で迷われている方は、この標語の原点に戻って、自らを見つめ直して欲しい。そうすれば、何かが見えてくると思う。

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2005年9月 4日 (日)

りんごとりんごジュース

流風は果物の中でりんごが比較的好きである。りんごと言えば青森がまず頭に浮かぶが、長野のりんごが好きである。青森のりんごと微妙に味が違う。すなわち青森のりんごはどちらかと言うと“素”かもしれない。それに比べて、長野のりんごは“加味”かもしれない。しかし、これは好き好きである。

だが、この暑い時期には、さすがに、りんごは市場に出回っておらず、あっても値は高く、味もそれほどではない。やむなく、この時期はりんごジュースを味わっている。

このりんごジュースでも、味はいろいろで、種類もある。当初米国産のりんごのジュースを飲んでいたが、どうも軽い痒みを伴ったアレルギーが出るようなので、飲むのをやめた。何回飲んでも同じ結果が出たから、米国産のりんごを使用したジュースには何か問題があると思う。

そこで、飲んでいるのが『らくれん 濃縮還元 純国産 青森りんご果汁100%』である。これが実においしい。青森のりんごとは思えない。青森のりんごはジュースに適しているのかもしれない (もちろん、アレルギー症状は全くない)。

さて、味覚には個人差があるが、果物も加工することによって、味が変わって、おいしいと感じる人がいることを産地の人は知って欲しい。

そして、それは多分、人にも当てはまるかもしれない。素朴な人も良いが、人は人に揉まれることによって成長し、社会に役立つことも多いだろう。

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2005年9月 1日 (木)

防災の日

本日9月1日は防災の日。同時に関東大震災記念日でもある。

寺田寅彦が関東大震災の悲惨さと自然の回復力の強さを語っているが、人間は自然ほど強くない。だが、人間には知恵がある。でも1人ではどうにもならない。結局は、皆で助け合わなければならないようである。

近年、日本は地震が多い。その他の自然災害も規模が大きい。個人では対処には限界がある。そこで、兵庫県では、「阪神・淡路大震災」の教訓を活かして、今月から「兵庫県住宅再建共済制度条例」に基づき、『兵庫県住宅再建共済制度』が開始される。こういった制度は他の自治体でも必要のように思う。今の日本では、どこで災害が起こっても不思議ではないから。その内容の概略は次の通りである (より詳しいことは兵庫県県土整備局 住宅復興局 住宅防災課へ)。

1 住宅の所有者同士が助け合いの精神に基づいて負担金を出し合い、自然災害で被災した住宅の再建・補修等を支援しあう制度である。
2 全ての自然災害が対象で、加入日以降に発生した自然災害が対象である。
全ての自然災害とは、地震・津波、豪雨・豪雪、暴風・洪水・高潮、噴火・地割れ・落石等、などを指す。
3 住宅の規模・構造や老朽度に関係なく、定額の負担で定額の給付をする。
4 損失補てんではなく、再建・補修等を支援する制度である。
5 地震保険や他の共済制度との併用も可能である。
6 年5000円の負担で、最高600万円(県内で再建の場合)給付される。

ただ、今大きい地震の予測がなされているが、予測が当たっても、人間の対応には限界があることを記しておきたい。特に都市のリスクは大きい。同じ規模の地震でも都市では被災の規模が大きいからだ。私達はこのような共済制度だけでなく、分散の発想が求められているのかもしれない。

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