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2005年10月21日 (金)

英才教育の有効性

現在の日本の職業人はサラリーマンが8割を占めているらしい。そのため、戦前や江戸時代のように職住一致の形態は非常に少なくなっている。すなわち職住分離している。子供は親がどんな仕事をしているか、全く知らないことが多いだろう。それが教育に大きく影を落としている。

ただし職住一致は階級社会の名残ともいえなくもない。江戸時代のように士農工商という階級社会では、なれる仕事に制限があった。それは必然的に専門家を育ててきた。それが職人意識を醸成し、プロ意識を養ってきた。そのことは人間教育にもつながっている。

維新後、明治時代もその流れを引き継いできた。その後、産業革命と共に、少しずつ変化はしていたが、儒教思想がその流れを止めていた。

戦後、日本は廃墟から復興するため、職人教育する時間が取れなかったので、必然的に人間教育をおろそかにして、効率で大量の人材を計ってきた。人々はそれに疑問を持ちながらも、戦前の教育を受けた人々がいる間は、問題は表面化しなかった。

それから少し人々が若干気持ちに落ちつきが取り戻せた時に、人々は新しい不安を感じ始めた。当時は女性の社会進出は現在のようではなかったから、彼女等は手に職のない不安をまざまざと感じていた。

自分の子供達(特に女の子については)には早くから手に職をつけさせたいという気持ちがあってもおかしくない。ちょうどその時に、母親達に注目されたのは英才教育ということであった。

それは本や新聞などの紹介で有名になった“鈴木メソッド”というものであった。音楽教育者の鈴木鎮一氏が若い頃のヨーロッパ留学の経験を活かして、禅知識と共に編み出した才能教育手法と言われる。その特徴は次の通りである。

ⅰ 子供の教育は早い方が有効性が高まる。
    できれば胎児の時からその環境を整える必要がある。
ⅱ 子供の能力に差はない。
    すなわち生まれながらの天才はいない。天才は作られる。
    ただ早くから始めないと、余分な癖がついてしまうと、修正に時間がかかる。 
ⅲ 全てはひたむきな努力で報われる。やればできる。
    ただし、希望を持たせることは必要だ。
ⅳ 記憶能力の訓練が才能を育てる基礎である。
    子供には早くから詩や俳句などを繰り返して覚えさす。
ⅴ 遊び心を取り入れ、関心を持たせる。
    子供の目線で考える。

このように見ていくと、鈴木氏の教育の特徴は職人教育に似ている。特に彼は留学時代にユダヤの人々にお世話になって、彼等の教育方法に強く影響を受けているものと考えられる。

ユダヤの人々は階級社会の西欧で差別的に扱われ、その仕事も限定され、そのため自ら仕事を創造する必要があった。限られた仕事の中で確固としたものを作り上げるには、飛びぬけた能力を発揮する必要があった。そのため彼等は早くから教育を重視している。

そういった知識に加えて、禅の知識を絡めて鈴木氏独自の教育法を編み出したようである。ただ、この教育の持つ問題点は、子供の人生を親が決めてしまうことであろう。子供の多くの可能性を早くから一つの型に嵌めて、限定してしまうのは、全ての子供達に適用できるものではない。

しかしながら、最近のサラリーマンの職人意識の低さ(一部の人だけかもしれないが)は、改めて鈴木氏の英才教育があらゆる分野で再評価されてもいいと思う。教育の分野でも集中と分散は時代に応じて求められるということだろう。

参考文献:鈴木鎮一著『愛に生きる(才能は生まれつきではない)』講談社現代新書

 

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