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2005年11月 1日 (火)

真に強いとは

競争社会でいかに生き残るかということは大切なことかもしれない。しかし、真に強いリーダーは限られている。いそうでいない。それが現実の世界のような気がする。

中高年の方には、ほとんど知られている話で、『木鶏』という話がある。若い人に聞くと意外と知らない方がいるので念のために紹介しておく。この話は『荘子』とか『列子』に載っている。話の概要は次の通りである。

紀渻子という人が闘鶏の好きな王のために軍鶏を養って調教訓練していた。王は矢の催促でまだまだかと言ってくる話である。

王が10日ほど経つと「もうよいか」と聞くと、紀渻子は、「まだ駄目です。むやみに威張って俺がというところがあります」と答えた。

さらに10日経って王が聞くと、「まだ駄目です。相手を見たり声を聞きつけると、興奮するところがあります」と答えた。

さらに10日経って聞くと、「まだ駄目です。相手を見ると睨みつけて気勢を張ります」と答えた。

王が更に10日経つて聞くと、「どうにかよろしいでしょう。他の鶏の声がしても、もう何も反応することがありません。これを離れて見ても、木で作った鶏と何らかわることはありません。その徳は完全なものになりました。もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものはなく、背を向けて逃げてしまうでしょう」と答えた、という物語である。

流風には、とても考えられないことだが、会議などして侃々諤々論議して一向にまとまらない感じがしていても、ある人が席に着席しただけで、自然と何かが決まってしまう人物は確かにいるし、そんな経験もある。「ある人」は、必ずしも、特別、地位が高いわけでもない。

そのようなリーダーは全てを知っていて、なおかつ人間的に魅力のある人が多い。若い時から、人間的な努力を積み重ねて、信用を重ねてきた結果ともいえる。

ところが世界の大国のリーダーを見ると、木鶏とは程遠い。彼等は木鶏になろうともしていないし、木鶏という話も知らないのかもしれない。この話の出所の中国のリーダーさえも。

そういう状況下で日本が生き残るにはいろんな知恵が必要な気がする。果たして、私達は国に「木鶏」となりうるような知恵を提供できるのであろうか。

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