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2005年11月18日 (金)

縁の不思議さ

流風は人の縁で助けられたことは多い。ただ、それがどういう機縁でそうなったのかわからないことが多い。考えられるのは、まずマスコミ等での情報、知り合い等関係者からの情報、たまたま出会った人からの情報、そして単なる閃きからヒントを得たものが機縁になっているかもしれない。

そして得た情報に基づき、他者に働きかけた時のみ結果が生じる。その結果はすぐ出る場合もあれば、十数年経ってから結果が出る場合もある。この人間関係は非常に不思議で、未だ原因や理由がわからない場合も多い(仏教で言う因縁結果)。

また情報源が多いから、よい結果がもたらされるということもない。結果的に良質だった情報はすごく限定される。だが、多くの情報を得たことは無駄にはなっていないかもしれない。

脳は日々、情報のより分け作業をしていると思うが、その判断基準はどのように形成されるのだろうか。それは親による幼児教育のような気がする。逆に考えれば、それがその人間の限界を作っているかもしれない。社会に限界がある以上仕方のないことだが。それが縁の限界かもしれない。

ブログの場合も、縁になりうるのだろうか。ブログは、ネットで空間的にも時間的にも広い。それは縁的空間を広げているかもしれない。これは基本的に匿名性が高いが、その情報価値はあると思う。ただコンテンツの内容に責任が問われていないことが、情報価値として問題かもしれない。ただその気楽さからか本質を突いている場合は多いと思う。

すなわち、人々はその広がった縁的空間に自分の隠された部分の表現として評価されるのを期待しているのかもしれない(全てをさらけ出している人もいるだろうが)。それに対して、縁が動くかもしれない。

ただ良質の縁を求める場合の、人物判断は難しい。人間の評価は総合的判断に委ねられるから、ブログだけの一面的な判断はその人物判断としてはやや危険ではなかろうか。

実態とは異なるイメージ作りが可能だ。文章力でその人柄はわかると判断するのは、やや早計に過ぎるようにも思う。匿名だと文章に作為が生じやすい。判断するには、コンテンツの継続的評価が求められる。

ただ流風にとってブログは、偶然見つけたブログを読むことで、いろんな人の考えに接し、世の中には面白い考え方をする人がいるなあ、という程度で遊びの道具になっている (ただ、たくさんあるブログの中でどのように選択しているのかが不明でも不思議である)。そして、他方、日頃考えていることの意見表明でストレスを解消している。

今後、ブログがどのように進化していくのかわからないが、単に「覗き見できる日記帳」から「新しい価値」が生まれることを期待している。しかし、それが縁につながるのかは、未だにわからない。

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