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2005年11月15日 (火)

医療・介護体制に対する疑問

医療費・介護費の問題が最近マスコミによく出てくる。高齢社会における医療費の増大が予測される中、国の歳出削減問題も絡んで、この問題は取り上げられやすい。そこで流風も何が問題なのか少し整理してみた。

まず第一に、医療費の問題である。

医療行為に対する対価が患者には不明朗なことである。例えば治療費の明細が患者に示されていない。大体大病院では明細が示されることが多く、診療所クラスになると、明細が示されないことが多い。

また薬局で薬代は大体レシートに明細が記されたことはない。医師はすでに患者に対して指針を示しているのに、医薬分業を楯に取り、薬局が患者に指導して指導料を取っている。無駄というしかない。薬局を救済する医薬分業の悪い面が出ている。

患者にすれば医療機関や薬局のやることには間違いがないだろうという暗黙の了解がある。その結果、このような慣習になってしまったのかもしれないが、現在のような情報化社会においては、無駄ははっきりわかっているのだから、皆の意識が高まり、、医療機関も考え直さなければならないだろう。

第二に、検査中心主義ということだろう。

何でも、検査、検査である。患者の方を見ようともせず、問診、触診もいい加減。とりあえず、まず検査してくださいという。あなたは医師かと問いたい。これは特に大病院の医師は病人を診るというより、病気を診ることに意識が行ってしまっているからである。

また診療所で検査済みなのに、大病院ではまた検査する無駄。患者の検査情報がきちんと利用されていない。診療所の設備では細かいことはわからないからというが、細かい検査をやっても結果は同じという話はよく聞く。地域医療体制ができていない証拠である。非常に遅れた業界だと感じる。

第三としては、国も気づいているようだが、介護費の問題である。

一度介護業者の手にかかると、介護される人の状態がよくならない問題がある。介護業者としては、ビジネスとして、顧客を逃したくない意識が働く。結果として、過剰介護になり、介護される人は状況が改善されるどころか、その依存度が高まり、状態は悪化する。

一体どこまでが奉仕で、どこまでがビジネスなのか、非常に曖昧になりやすい。明確な区分は難しいかもしれない。しかしながら、介護される状態が悪くなるのでなくて、良くなることによってインセンティブがもたらされるような仕組みが必要と思う。そうしないと、いつまでも過剰介護の問題が生じやすい。もちろん、老齢化により状態は悪化すると考えるのが普通かもしれないが、何らかの基準を設けるべきではなかろうか。それは簡単な作業ではないが、改善の余地はあると思う。

第四に、終末医療の体制である。つまり延命医療をどこまで認めるかという問題である。

病院に入院した場合、人は自分で自分の死を選べない。実質死の状態であっても、延命治療は「本人が苦しまないように」という家族の依頼を元として、続けられる方向にある。本当に延命治療は必要なのか。それは個人や家族によって、いろいろな考え方があるだろう。しかしながら、各人は「死計」は考えておく必要がある。そうすることが、国や家族の医療費の負担を軽くするのではないか。

第五は、医療体制・医療プロセスにも無駄があるのではと思う。

医師や看護師の不足がよく言われる。確かに絶対数で足りないだろう。多くの医師や看護師が過酷な労働に従事されていると思う。

しかしながら、例えば、大病院の医師の場合は、先程も触れたが、病人を治すというより、病気を治す意識が強い。そのほとんどがまず検査により診療にかかる例が多い。患者の総合状態の把握・生活指導はかかりつけ医に任して、大病院は総合病院ではなくて専門病院の位置づけにすればよい。そうであれば、地域医療体制を組みなおして、患者の総合状態の把握・患者日常指導→検査→診療→再度総合状態の把握・患者日常指導、の早期徹底が望まれる。現在はまだ中途半端な感じがする。

そのためには、かかりつけ医と大病院の連携・役割分担、カルテの共用システムの推進が望まれる。そうすれば、かかりつけ医は「病人」を診て、大病院は「専門の病気」を診ることで役割分担ができる。

また医療業界では、そのような動きのようだが、患者には十分理解されていないように思う。それを一般に周知徹底させることが、全体のロスを小さくすることができると思う。

また大病院で治療の目途が立てば、事後のことは診療所に任せる姿勢も求められる。大病院は診療所から来た患者をずっと抱え込もうとする姿勢に疑問を感じる。総合状態の把握は診療所の医師に任せるべきだ。もっとも、それには診療所のレベルアップが望まれる。

また看護師の場合では、外来で診療を受けると、必ず看護師がついている。しかし、そのやっている作業は極端に言えば、事務系のアルバイトでもできそうな作業である。そんな仕事に看護師をはり付ける必要があるのだろうか。看護師は看護婦ではない。医師の付属ではないのである。独立した責任ある仕事である。

看護師の役割は医師の治療後、患者の任意で時間を十分とって(現在はせいぜい次の予約程度でしかない)患者の生活指導まで踏み込むべきだと思う。そのことに対して、指導料が必要なら支払ってもいい。そのことを医療機関が理解していないのではないか。そこに改善の余地がある。

以上、気づいたことを列挙してみた。日常考えていることだけなので、実際はもっとあるかもしれない。そういったことが新規に出てきた場合は、後日検討してみたい。

ただ言えることは、私達は、一般に医療機関に対して発言してこなかったことだ。だが自分の身体は結局自分でしかわからない。そういう意識を持って、今後は全てを任せるのではなくて、患者としての意見も言うことが、必要と思う。また比較的健康な時には、医療体制の問題も他人事と思わず、意見を述べることが医療機関の発展・改革につながっていくという意識を持ちたいものである。

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