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2005年11月16日 (水)

手ぶら主義

どこへ行くのも手ぶらが理想と流風は思っている。散歩に出かけるのも、できるだけ手ぶらが良い。買い物も、手ぶらで行きたい。旅行も、手ぶらで行きたい。ところが、帰り道には女性の方々ほどではないが、いろんな物を買い込んでいる場合もある。しかし、基本は手ぶらでありたい。

手ぶらサービスはもっとあっていいと思うのだが、最近はあまり聞かない。以前スーパーがある一定の金額以上を購入すると当日に配達してくれた。だが最近はそのサービスをあまり見かけない。一定の金額(配達料)を支払えば、配達してくれるサービスもあるようだが。

旅行も、できるだけ必要物は宅配で送って、手荷物は少なくし、土産物は宅配で自宅に送ってもらうようにしている方は多いだろう。ビジネスシステムとしてはあるはずなのに、旅行業界を除いては、あまり宣伝もされていない。物やサービスの価格を安くするだけが能ではないだろう。企業はきめ細かい付随サービスの体系をもっとアピールして欲しい。

時代は身につけないという、もっと気楽さを求めているように思うのは流風だけだろうか。ある程度は身につけても、持つには限度がある。そうかといって、いきなり身軽になれないところが日本人かもしれないが。

でも、生まれたときは何も持っていない。死ぬ時もそうだろう。生と死の間で、持つばかりが能ではないように思う。私達も、もう少し自分流で自由でありたいというのは、無理な望みであろうか。

ところで、流風は個展を若干無計画に鑑賞しに行くのだが、時々知的障害者の方々の手によるアートに遭遇する。それは一般の感性とは異なるが、何か純粋なものを感じさせる。アートを学習したものでもなければ、計画されたアートでもない。それは自分流というか、自然な自己主張のような気がする。直接的な感性と言えようか。

以前ラジオかテレビで聞いたのだが、ある織物作家が知的障害者に織物を指導したところ、彼等は熱心に取り組み、またデザインがユニークで、その作品は非常に人気があり引き合いも多かったらしい。

そこで、少しでも彼らの生活の糧にと同じものを作るよう指導をしたところ、作品はできるにはできたが、彼等も楽しそうには取り組んでいなかったし、あまり売れもしなかった。そこで元に戻して、彼等にやりたいようにやらせたら、また元気が戻って、同じものはないが、良い作品ができて、相変わらず引き合いがあったとのこと。

このことは私達の日常でも、そのような気がする。どこか無理をしている。矢張り、やりたいことができるのが一番自然なんだ。現実は難しいと思っているが、意外と簡単なことかもしれない。

そんな彼等の展覧会が下記のところで催されるらしい。興味のある方はどうぞ。彼らの人生が手ぶらかどうかわからないが、何らかのヒントが得られるかもしれない。

ART PARTY 2005 「手ぶら主義~あるがまま、自分流の表現者たち」
主催:西宮甲子園ライオンズクラブ/西宮市
期間:11月29日~12月4日 
    10:00~18:00 初日11:00から/最終日17:00まで)
会場:西宮市立北口ギャラリー(アクタ西宮 東館6階)

(この催しは終了しています)

 

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