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2005年12月25日 (日)

教育改革の前に考えること

現在の日本の教育は日本の将来に対して危険な状態にある。現在の教育体制は戦後復興において戦争で失った多くの人材を補うための促成栽培教育の名残である。しかし、それは現在の状況に全く当てはまらなくなっている。

それにもまして、一体、現在の教育の中身は何なのか。学校教育だけでは不十分として、受験用の学習のために塾通いをして、意味のない学習を続けることが大勢になっている。

そのような受験テクニックは、結局彼らの生涯には、あまり役立たないことは明らかである。そして、結果的には、子供たちは一番大事な時期に無駄な時間を過ごしている。

学校の授業は一体何なのか。母親は子供に塾に行かせるために、塾代を稼ぐためにパートで働き、そのため子供たちとのコミュニケーションは十分でなくなる。当然夫婦の会話も短くなって、家庭崩壊の危険性をはらむことになる。何かがおかしい。

他方、企業ではIT化の進展により、事務的仕事の占める割合は減っている。日本の教育は高級事務員の育成だから、今の企業にはあまり必要がない。

企業が求めるのは創造的な仕事ができる人間である。自ら情報を収集し、分析し、自分なりの考えをまとめて、それに基づき行動する人間が求められている。すなわち、自ら課題を課すことができる人間が求められているのだ。

ところが日本の大学はそういった人材は提供していない。長年の偏差値教育で受験疲れしたゴムの伸び切った人材しか提供していない。大学では受験勉強の反動からアルバイトとサークルの遊び場になって本来の勉学に励んでいないのだ。

それは私の世代でもそうであったが、現在では大学生としての意識も低い。そして大学院はもっとひどい。学問が地に足がついていないため、中身が伴わないのだ。もちろん教える側にも問題がある。

結局、企業としては大学院卒は大卒より出来が悪いと言う評価なので、基本的に採用は慎重になる。更に、今、大卒は専門学校の卒業生より質が悪いと言われる。このように人材の需要と供給が非常にアンバランスになっている。日本の教育が行き詰っていることは間違いない。

教育改革が叫ばれているが、人間教育をベースに、再度『礼記』の基本に戻って、小学校から教育の仕組みを考え直す必要がある。よく米国のやり方を見習えと言われるが、あれは、そもそも中国の『礼記』に載っているやり方なのである。すなわち

①まず子供の悪習を断つ。
②学習意欲に応じた教え方をする。
③思考力の程度に応じた個別の教え方をする。
④学生同士の議論により、理解を深める。

というものである。このようにすれば、小学校の段階では塾などいらない。後に大学生になってからも、自らの課題を設定して、追い求めるようになる。そういった学生を大勢にしなければならない。教育の基本は、昔も今も変わらないのだ。

日本は一度体制が出来上がると、ずっとその体制を維持したがる傾向がある。時代に合致した教育体制にしないと日本の将来は危うい。もう一度原点に戻って、人間教育をベースとしながら、時代の求める多様な人材づくりに励むべきであろう。

また、そのためには、民間企業等の定年退職者などの補助教員・ボランティア教員の採用も積極的に考えるべきであろう。なお、彼らには、教員免許は不要であることを付け加えておく。

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