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2005年12月19日 (月)

悲惨な事件を考える

幼児の虐待や、小学生の殺人事件など、大変ショッキングな事件が多すぎる。なぜ、このような事件が多発するのだろう。文部科学省もいろいろ対策を考えているようだが、文部科学省だけで解決する問題でもない。そこで流風も少し考えてみた。

① 犯人のパターンに計画的犯罪と衝動的犯罪がある。それぞれの個別に対応方法を講じる必要がある。但し、事件に対処するだけでは、根本的解決にはつながらない。ⅰ 社会的問題なのか、ⅱ 犯人個人の特殊な問題なのか、それぞれに検討が必要である。

② 根本的な社会の変化を再認識する必要がある。

   ⅰ まず儒教思想が日本から消えてしまったことがあげられる。
              日本は性善説前提で成り立っているが、それで解決できない。
        残念ながら、欧米風の性悪説で社会の仕組みを変える必要がある。

   ⅱ 日本の文化に馴染まない海外からの労働者の問題がある。
              米国や欧州で起こっている移民問題は他人事ではない。
             長期に彼等を受け入れる素地・体制があるのかどうか考える必要がある。

③ 人間の心理に悪影響をもたらすメディアの自己規制ができていない。メディアの流す情報に自己規制が求められる。

自己規制できないので、規制しようとすると、言論の自由と言うが、「自由」を履き違えている。自由とは社会的責任を伴う。人々に悪影響をもたらすテレビでのサスペンスドラマ、ホラー映画の放映、幼児・若年者虐待有害図書などを基本的に禁止することが求められる。また性描写も制限する必要がある。それらが若い人の精神を蝕んでいることは間違いないからだ。

   ⅰ 出版物におけるホラー、サスペンス、性描写の表現の制限
              規制すると共に、購入規制をすること。

   ⅱ 映画でのホラー、サスペンスは観客の年齢制限をすること。
              映倫規定を厳格に設けること。

   ⅲ 有害図書・ゲームコンテンツの発禁処置をすること。

④ 凶悪犯罪者の更正には期待しないこと。

儒教教育を受けていない世代に更正は不可能に近い。社会から隔離することが求められる。更正は儒教教育社会が前提となっている。儒教社会の崩壊した現代では、社会へ復帰させれば、再犯罪の可能性が高く、社会を再び恐怖に陥れる。よって、まず凶悪犯罪者を生まない社会の仕組みを考える必要がある。そのためには、犯人を作り出した家庭環境、両親の状況を調査・精査することが求められる。

   ⅰ 特に両親に心理的に不安定で問題が多いことが、犯人につながっている。
              夫婦の不和、喧嘩などは子供の前で見せないことが求められる。
              多くの家庭で危険性をはらんでいることを認識する必要がある。
              基本的に家庭の役割を知り、堅実な生活態度が望まれる。

   ⅱ 基本的には幼少の時代に母親の愛情不足が問題をもたらしている。
              家庭内教育の必要性と専業主婦の再評価が求められる。
              以前もブログで述べたが、幼児教育に母親の占める役割が大きい。
              父親は参加するなとは言わないが、過大な役割評価はできない。
              現在専業主婦への風当たりはきつい。
              しかし、子供が小学校を卒業するまでは評価すべきだろう。
             家庭内における子供の人材育成はどんな仕事よりも尊い。

⑤ 子供は基本的に親が守ること。そして子供を守ることは地域社会の問題であること。

  ⅰ 親は子供を守らねばならない。
            映像が自分の子供が将来加害者になる危険性を認識すること。
            それを踏まえて家庭教育を徹底することが求められる。

  ⅱ 文部科学省の施策や学校教育の改革だけでは解決できない。
            これは社会的問題との認識を持つこと。
       また子供は地域で守る意識を持つこと。
            保護者も積極的に地域活動に参加し、他人の子供にも関心を持つこと。
       それが自分の子供を守ることにつながる。

⑥ 基本的に小学校時代の塾通いを禁止すべきである。

  ⅰ 夜遅くまで、子供が繁華街を塾帰りか知らないが、うろついている。
            昔では考えられない。危険極まりないと言える。

  ⅱ 小学生に受験のための塾通いは不要である。
           小学校というのは、基本的に本人の特性を把握する期間である。
           また小学校エリートが社会に貢献する率は低いことの認識。
           勉強疲れの子供たちは大学入学で全てを完成したと勘違い。

  ⅲ ゼネラリスト養成のためだけの教育はいい加減にやめるべきである。
           また母親は子供の特性を把握して、長所を伸ばす視点が望まれる。

⑦ 子供を守るにはマスコミの協力なしでは進められないこと。

マスコミの子供たちへの影響力は大きく、社会に善であることの報道を多くする必要が求められる。危険を知らせる報道ももちろん必要だが、そればかりだと社会が萎縮してしまう。それは結果的には法律や規制で担当官僚の予算増額プランを増やすだけにしかならない。根本を解決するために一般国民は何をすべきかを提言してもらいたい。

ざっと、以上のことが思い浮かばれた。いろいろ問題はあるだろうが、子供は国の財産である。皆が関心を持って、守っていかなければならないと思う。

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