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2006年1月 7日 (土)

賢婦人とは

山内一豊とその妻千代の物語、司馬遼太郎原作『功名が辻』が大河ドラマで放映されているらしい。流風はテレビはあまり見ない上に、最近の時代劇は時代考証がいい加減なので、見るのも阿呆らしいので、今回も多分見ることはないだろう。役者も当時の空気を伝えることができない。学芸会の延長に過ぎないのだ。

但し原作は持っている。20年以上前に購入したものだが、処分せずに手元に残っている。司馬遼太郎にしては駄作だと思うが、信長、秀吉、家康の時代の匂いが、彼の創作が混じっているとしても、これを読むと概観できるのである。

それはさて置き、この物語の主人公は、山内一豊ではなくて、その妻の千代になっている。ドラマ化されたため、あらすじは多くの新聞に出ていたが、念のため紹介しておこう。

その内容を現代に当てはめて考えると、大企業に勤める凡庸な営業サラリーマンが、妻の母に見込まれて、その娘を妻に迎えるということから始まる。妻の母に見込まれたのは、多分その実直さであっただろう。

妻は「あなたをかならず社長にしてみせます」と結婚時に宣言。しかし、この時、わずか10歳(現代では無理。高校生で嫁ぐとしよう)。これは、妻の母の入れ知恵があったものと考えられる。

その後、妻が自分の情報ネットワークを活かして、若干差し出がましい提言するのを夫が採用し、また優秀な部下と妻の実家の人的支援を得て、混乱の時を潜り抜け、夫は子会社の社長に出世する。

夫婦には子供がないから(一度女の子が生まれるが事故により亡くなる)、妻はより世間の動向に注意し、夫の参謀役になり、夫はさらに大きい子会社の社長になる。夫は、無事、時代の波をくぐり抜けた。しかし、彼女の才覚なしに無理であっただろうというお話。

しかし、実際、千代がどれだけ偉かったのかはわからない。司馬遼太郎は彼女を過大評価しているようにも感じる。確かに二つの出来事は史実として残っているし、その評価は高い。すなわち持参金で当時の一豊ではとても買えない馬を買わせたし、秀吉亡き後の国の情勢を読み取り、徳川への帰参をいち早く提言している。

しかし、前者は彼女の母の隠れ持参金という知恵が活きたということであり、後者は当時であれば誰も感じていたことである。彼女が優れているのは、全体的判断というより、女性特有のカンで空気を読んで、その時々の判断が的確であったという評価であろう。

だが世渡り上手だけでは、戦国時代を潜り抜けることはできなかっただろう。山内一豊が実直過ぎる武将だったから、彼女が余計に目立ったというだけである。

実際、山内一豊は自らの能力の限界を知り、彼女だけでなく、家来や多くの関係者の話を謙虚に聞いて判断しているのだ。そういう意味では、一豊はもっと評価されてもいいのだ。

千代のアドバイスはあったかもしれないが、それを自分で考え、実行している。すなわち、彼らの取り合わせが良かったと理解すべきだろう。

しかしながら、山内家は信長、秀吉、家康は三代に仕えて生き残り、一豊亡き後も明治維新まで生き残ったのも事実である。千代は家宰として山内家をうまく導いた可能性は高い。

後年、土佐に入ってからは、千代の家宰としての役割は限定されたが、その統治の考え方は、その後二代目以降の政治に活かされることになったようである。

一般に『雌鳥が鳴けば凶事がある』とか『雌鳥が鳴く家は栄えない』と言うが、少なくとも千代が増上慢にならなかったことが後世に賢婦人と称えられることにつながったのだろう。

事実、彼女は一豊が亡くなると、無常観があったのか、すぐ出家している。そして、もう一つの要因は彼女に実子がいなかったことが、そのようにさせたのだろう。捉われの対象がいないと、女性も立派に振舞えるということかもしれない。

それはともかく、なんだかんだと言っても、山内一豊にとって女運が良かったのは間違いないだろう。自分のことは棚に上げても、どこかに千代はいないかと思う現代の男性諸氏もおられるかもしれない。ただ、あわよく現代の千代を得ても、結果を得ようとすれば、男は実直性や誠実性が要求されるだろう。

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