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2006年1月20日 (金)

貢献の測り方

人々の存在価値は、それぞれ意味があり、外見とか評判だけなどで単純には評価できない。そういうことは、わかっていても、普通、よく目に見えるものや、よく聞こえるものをよく評価しがちである。成果主義が言われて、割と時間が経ったが、その考え方には、未だ若干偏狭さが感じられる。経済界は評価しているようであるが、果たして、それは正しいのか。

プロセスと結果のバランス評価が大切だが、現実は結果だけの評価ということもよくある。それほどにプロセスの評価は難しい。人のプロセスをもらったり、盗んだりして、要領よく成果を挙げる人だけが評価されることが多ければ、その組織は崩壊するだろう。そうかといって、プロセスは努力の跡が見られて立派だが、成果が出せなければ、企業では評価されないだろう。

確かに、一人の人間で、他の協力者なしで、成果のあげられる職種であれば、それは成果主義が望ましいかもしれない。ただ、そういった職種であっても、見えない誰かの協力を得ていることがままあるものである。成果主義には、人間は一人で成果をあげられるという何か錯覚のようなものがあると思う。

私達の存在価値は、それぞれにある。それが、たまたま同じ組織にいれば、お互いに影響しあう関係であることは間違いないだろう。もちろん、組織に悪い影響を与える個人は投げ出されるであろうが、そうでない、それぞれが努力している人たちは、それぞれの存在価値をお互いに認める必要がある。共通の目的に対して、正しい努力をしていれば、評価は同じであることが望ましい。

結局、何が大事かと言えば、企業が成果をあげるには、お互いの存在価値を認めつつ、その中で最適の人の組み合わせが大切であるということだろう。それほどに、トップは人員配置には、もっと頭を痛めなければならない。そうすれば、成果主義という言葉もなくなるだろう。

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