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2006年1月28日 (土)

二大政党の時代なのか

最近の日本人は大体、曖昧なものを嫌う傾向がある。それゆえ、世論が極端から極端へ心理的に流れる。おそらく、政治についても、そうだろう。国民はそのようにして、バランスを取っているともいえる。

そして現在は保守合同の時代から、より二分化した政党が必要な時代になってきたように感じる。二大政党が現実的になってきたと認識している。政策的にも、自由主義と民主主義を分離して、政権交代することが望ましい時代になっている。

ただ日本の現状の二大政党の場合は、その政党の主張の相違点が見つけにくいし、その主張に主体性がなく節操がない。二大政党が本来好ましいかもしれないが、基本主張の対立軸が見えにくい。

そのことが国民から見て政党が見えにくくなっている 。実際、それは投票率の低さにつながっている (そもそも投票率が50%以下であれば、その選挙は実質無効だと思う。そのような状態が実に多いことが嘆かわしく、放置されていることが最も危うい)。

これを解消するには、政党の主義・主張の整理は必要で、お互い基本線はぶれないようにする必要がある。ライバル政党の政策をずるく取り入れて政権を維持するという時代ではなくなりつつある。お互いの主張は尊重すべきだが、自党の主張は曲げないようにすべきだ。

そのためには、各政党の基本的理念と政策を整理すべきだろう。例えば、両党共に、党内に、改憲と護憲が一緒になっているのはおかしいし、党内で全く反対の政策を打ち出すのも矛盾している。そういったことは国民に政治不信を植え付けるだけなのだ。

このように考えていくと、曖昧な政策は今後支持されないだろう。お互い、党是に従いメリハリのある政策でぶつかる時代になっているのだ。そうすれば、国民が真に望んでいることが浮かび上がってくるだろう。

当然、ある時代には支持され、ある時代には支持されないだろう。政権交代は定期的に起こるかもしれない。そういう意味では、お互いの党は冷や飯を食うことを怖がってはいけないのだ。そういう期間があってこそ、切磋琢磨して初めて政党は成熟するのだし、日本に真の民主主義が根づくことを忘れないで欲しい。

そこで、流風の独断で、異論はあるだろうが、一国民の視線で、自民党、民主党それぞれの政党の色分けをしてみた。

●自民党は日本自由党へ名称変更が望ましい。

①自由主義中心
②米国重視、新しい世界組織を創造するポスト国連主義、現実路線
③憲法改正主義
④国際競争重視
⑤成長路線重視
⑥市場競争原理重視、絶えざる改革、規制緩和
⑦組織重視・企業重視 企業献金重視
⑧支持母体をエリート都市住民に変更。中高所得者にターゲット。

課題 :出来上がった人材を選挙に投入するため、派閥解消論以来、新しい人材が育っていない。どのように自前で立候補者を育成したり、議員を教育するかが今後問われる。立候補者に経済人、官僚や学者を過大評価している。自前の政治家の育成が望まれる。

●民主党は日本民主党への変更が望ましい

①民主・平等主義中心
②米国重視でありながら、国連主義ともバランス
③憲法は基本的に護る。平和主義堅持。但し加憲を容認。すなわち拡大平和主義。
④国内政策重視
⑤安定成長重視
⑥緩やかな改革、改善重視、所得再分配重視
⑦個人生活重視 個人献金重視
⑧支持母体から労組を廃し、中低所得者の個人中心に。特に地方都市と郡部中心に。また大都市圏勤労者も。

課題 :立候補者の人材育成は一部整いつつあるが、組織としての足腰の強さにまだ欠ける。政策が個人に浸透せず、支持母体が弱い。若い人が多いためか、自民党との政争におけるずるさ、駆け引きに対して脆さを感じる。自前のシンクタンクを作ったことは評価できる。

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