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2006年3月15日 (水)

外国人への接し方

英語を共通言語とする時代は終わりつつある。多文化国家の米国でも、英語を話せないことを前提に多言語教育が始まっている。その他の国々でも、母国語教育が中心になりつつある。だから外国語教育も、その目的に従って、多言語教育にすればいいという認識だろう。

さて、流風の住んでいる地域は、外国人が多くいるので、彼等を特別意識することはない。街を歩けば、いろんな国の人々が行き来している。そしていろんな言葉が聞こえてくる。だから基本的に、彼等との交流は“日本語”である。日本にいる以上、日本人に話しかけるなら、当然日本語ぐらいは勉強していて当たり前なのだ。英語を母国語とする人たちに、話しかけられても、日本語で対応するようにしている。そうすると、彼等は、どうしても聞きたいことがあれば、身振り手振りで知りたいことを示す。それは人間、誰でもそうだと思う。ビジネスで日本に来ているのであれば、なおのことである。

もちろん、観光客に対しても、同様にしている。ここは日本なのだから。そうすれば、彼等はどのようにすればいいか考える。別に無理して英語で話す必要はないのである。確かに観光ガイドとか、標識は英語で示していた方がいいかもしれない。それも考え方である。せいぜいローマ字で表記しておれば問題はない。

ただ観光業者や土産物業者の考え方は違うかもしれない。新たな顧客を招くには、言葉のサービスも必要と考えるかもしれない。しかし、それも旅慣れた人々とあまり海外旅行していない旅行者とでは、対応をそれぞれ考える必要があるだろう。旅慣れた人にとっては、日本語や日本語表記のものが歓迎され、旅行経験のないものにとっては、母国語が安心をもたらすかもしれない。

だが日本人は、あまりにも海外からの来訪者に対して、言葉の配慮をし過ぎていると思う。そんなことをしていては、真の交流はできない。彼等には、日本語のシャワーを浴びせかけるのがいいのだ。それが第一の異文化体験につながる。そして、そこから、お互いの言語を通してコミュニケーションが始まるのである。

むしろ、今、日本人とって、問われているのは正しい日本語を話し、使うことだろう。いずれ日本語を勉強した外国の方々から、「その言い方はおかしいのでは?」と問われかねない日本語の乱れの状況が感じられる。日本の学校教育でも、英語の時間を減らして、美しい日本文化・日本語教育の徹底を図るべきだろう。

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