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2006年4月26日 (水)

格付け評価の有効性

最近は、第三者評価といって、格付けばやりである。格付けが有名になったのは、金融不安の時代の金融機関の格付けであろう。当時、海外の格付け機関が作為的に格付けをしていたと思う。格付けなど、あまり信用できないものだと思ったものだ。

ところが、最近では、範囲が広がり、企業の格付け、医療の格付け、介護業者の格付けなど、多彩になってきている。特に形のないものを販売しているサービス業関係に多く見られるようだ。だが、この格付けは、その前提条件も、内容の調査の仕方も偏りがあり、どうも十分でなく、奇妙である。

例えば、どのような組織も、運営も、多面的であり、外部からの格付け指標には限界がある。一番良いところと、一番悪いところは、確かに明確になるであろう。だが、そんなところは、格付けしなくても、わかっていることである。その他の中間層に含まれるものを格付けしないと意味がないのだが、これらは多分に恣意的である。

多分、外部からは正確に評価できないのだろうと察する。それ故、調査する人間の意思が働く。だから評価する人間によって、格付け結果にズレが生じる。仮に数値化されているとしても、それは100%信用できるものではない。かえって、数値に騙されるのがオチである。それに、仮にどんなに公平に評価しても、それは最大公約数的な判断になりがちである。

そうなると、そういう格付けは、未来に対しては、あまり意味がないことになる。あの偏差値というものもそうだろう。あれは人間の評価を一時点において一面的にした評価法である。将来を踏まえた全人格的評価など数字でできるものではない。格付けも同様で、そういうものをあまり信用しない方がいい。仮に過去のことがわかっても、未来はわからない。

結局、自分の五感で確かめて、個別に評価するしかないのではと思う。もちろん、格付けが全く無意味とは言わないが、その利用価値には限界があることを知っておくべきだろう。人間社会に対してデータ依存症にならないようにしたいものである。

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2006年4月25日 (火)

ビュッフェ・サービス

最近は、外食産業において、顧客が参加するのは当たり前になっている。古くは、ウエイター・ウエイトレスのいないセルフサービスの外食産業がその走りであろう。最近はそのセルフサービスも進化している。ビュッフェ形式(別の表現ではバイキング形式)のセルフサービスも、従来はホテル等で多かったが、一般の外食産業でも多く見受けられるようになった。

このビュッフェ形式に、高齢者が群がっている。その理由は、彼らの食欲には個人差があり、定食のようなものはなかなか食べきれない人も多いからである。未だに豪華料理にこだわる旅館も多いが、そういう所は高齢者に敬遠されて久しい。食べきれない料理をいかに彼らが嫌うか、わかっていない旅館も残念ながら多いのだ。

高齢者が外食に望むのは、結局、美味しいものを少しずつ、という考え方でそんなに間違いはないだろう。高齢になると、楽しみは食事だけだ、とよく父が言っていたが、実際、そのようである。ブュッフェ形式は料理を選べるのが、何といってもいい。それにホテルの立食パーティーと違い、座ってゆっくり食事できる。彼らがビュッフェ形式を選択したがるのも頷ける。どうやらビュッフェ形式は全ての業態の外食産業に有効なようである。

ただ問題もある。一部高齢者のマナーの問題である。食べきれないほど料理を皿に盛り、計画的な食べ残しを持参のプラスチックのケースに取り入れて持ち帰っているのが、時々見受けられるからである。彼女等を見ると、そんなに経済的に厳しい人たちとは思えない。店の方は高齢者ということで、黙認しているようだが、ルールを明確にすべきだろう。一食代浮かせようとする企みはわからんでもないが。

また時間制限90分としているところもあるが、それは正しい方法だ。特に女性の場合は、話が長く、食事が終わっても、なかなか店を出ようとしないから。あの単価(現在のところ、1000円~1500円程度のところが多い)で、店に長く滞留されるのは、店では迷惑であろう。

それはそれとして、ビュッフェ形式の店が、まだ、それほど多いわけでもない。だが、日常的に、ビュッフェ形式は、まだまだ増えていくと思う。またパーティー感覚になりやすいため、いろいろな催し企画も求められるところである。今後の動向に注目したい。

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2006年4月23日 (日)

親学の必要性

少子化問題については、以前も取り上げたが、再度違う角度から取り上げてみたい。少子化問題は国の課題になって久しいが、その取り組みは、若干網羅的で、複雑で、わかりにくいのが実情ではなかろうか。それに現象面に対してスポットが当たりすぎ、その根本が議論されていないように思う。いや、議論されているのだろうが、流風が知らないだけかもしれないが。

さて、一般に官庁から出てくる政策としては次に挙げる兵庫県のようなものが多いであろう。すなわち、兵庫県では、少子化の課題と対策支援取り組みとして、次の四つの切り口を挙げている。

一 晩婚化・未婚化への対応という問題
             →未来の親づくりへの支援
                 ①未来の親への支援
                 ②若者の自立支援

二 子育て力の低下という問題
             →子供を生み、育てることへの支援
                 ①家庭の子育て力の再生
                 ②保育サービスの充実
                 ③地域ぐるみの子育て支援の充実
                 ④子育てと仕事の両立支援

三 子供を育てる環境の問題
             →健やかに育つような環境支援
                 ①子供を守る基盤作りの推進
                 ②豊かな人間性を育む環境の充実
                 ③すこやかに育つためのまちづくりの推進

四 社会の世代構成のアンバランスが、長期に悪影響をもたらす問題
             →社会としての官民による戦略的支援
                 ①社会システムの再構築による子育て支援の強化

一応、行政らしい方策である。だが、行政にできることには限界がある。だから根本的なことが議論されていない。それは『親学』である。親として、子供にどのように接して、家庭教育していくか、ということが示されていない。強いて言えば、「二 子育て力の低下という問題」に含まれる問題で、親力・家庭力の向上という点かもしれない。

少子化の一つの原因は、親が子供に対して、自信を失ったことの反映ではなかろうか。流風の親世代は、戦前の教育を受け、敗戦後、思想体系が民主主義に転換したため、急激な思想転換に戸惑った世代である。そのため、子供の教育にどのように関与していくべきかが、非常に曖昧になった。ある意味、学校教育に任せきりになり、放任状態に近かったのではなかろうか。

いわゆる、家庭教育の崩壊である。それが、戦後第二世代、第三世代に少しずつ悪影響していることは間違いない。その結果、根本的に、どう子供に接してよいかわからないのではないか。

そこで、『親学』の出番である。親として、どうあらねばならないのか。それを私達は、もっと真剣に考えなければならない。例えば、金銭教育は必要だと叫ばれているが、お金だけで世の中が回っているのではない。根本の人としての教育のないままに、金銭教育がだけが先走りすると、子供には悪い影響を及ぼす。そういったことを親として、きちんと教えているか。その辺の課題にも取り組む必要があるのである。

親としての自信を持つことが、自分の後継者として、子供を作ろうという動機づけになる。そのためには、今改めて、『親学』を未青年の間に推進すべきだろう。子供に親としての心構えを教える。それは矛盾していないと思う。一人一人が考えなくてはならない課題なのではなかろうか。

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2006年4月21日 (金)

ITソフト業界の再編は始まるのか

あの日本経済団体連合会(以下、略称 日本経団連)が、4月18日に、ある提言を出した。流風にとっては、あの日本経団連が、と意外な内容である。日本経団連はどちらかというと、ハード業界の団体と思っていたからだ。

その内容というのは、『エンターテイメント・コンテンツ関係者の戦略的コラボレーションに向けて~ユビキタス時代の新たなビジネスモデル構築のための提言~』である。彼らが、明らかに、来るべきユビキタス社会に対して、ソフト業界や通信キャリア業界に強く関与したいという意思表明のように感じられる。ソフト業界や通信キャリア業界だけには任せられないという意識も働いているように見える。そう考えると、あのライブドアを日本経団連の会員にしたことも、そういう意図があったのだと、今になって、やっとわかった次第である。

確かに、ユビキタス社会に向けて、ソフト業界だけでは、市場を拡大するパワーに乏しいことは現実かもしれない。また通信キャリア業界も同様だろう。法制度整備とか、流通プラットフォームの整備とか、ハード業界・ソフト業界・通信キャリア業界などの全体を全体を調整する人材づくりなど、市場拡大をするには多くの課題がある。それらを解決するには、これら業界が一体となって、取り組むしかないが、このレポートは、そのリーダーシップをハード業界が主導権を持って取り組もうとする意思のように感じられた。特にソフト業界への関与はより深くしていくだろう。ソフト業界を押さえれば、通信キャリア業界も押さえられるからだ。

日本は製造業を主体として発展してきたし、そこには深いノウハウが蓄積されている。ハードとソフトは違うという人もいるだろうが、日本のメーカーはサービス化しており、現在の日本企業であれば、ソフト対応は可能であろう。それらを活かせば、彼らの主張は可能だろう。彼らが真剣になれば、時間はそんなにかからないかもしれない。ただ成功するには、ソフト業界のキーマンをいかに手中に収めるかが鍵になろう。

日本の大企業は次への飛躍として、結果的に、IT企業の再編に乗り出すだろう。そして、それが、どのような組織形態で再編し、どのようなユビキタス産業群が形成されていくのか、見守りたい。そして、その程度によって、日本経済にダイナミックに波及していく規模が変っていくだろう。

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2006年4月20日 (木)

買い替えラッシュ?

買い替えについて、うだうだと。

冷蔵庫がつぶれて、止む無く買い替えた。一ヶ月ぐらい前から、生ものはすぐ腐るし、カビが生え、野菜等も駄目になる速度が速いなあと感じていた。「強」にしても、そんなに冷えないし。それを騙し騙し使っていたのだが、流石にもう限界と観念して、買い替えた。

容量も前のよりは大きい。入れるものがなくて、ガラガラ状態だ。大きい方が比較的安くて、電気代も安いということだったのでそうしたのだ。もっともメーカーや機種によっても違うが。それにしても、最近の冷蔵庫は、ちまちまと細かいことが考えられている。主婦の意見がたくさん入っているのだろう。前に買ったのが15年前だから、そのシンプルな内容と比較すると、時代の格差を感じる。

また電気屋の人から、15年もよく使ったねえと感心されたが、実家は20年以上使っているはずだ。こういう電化商品は当たりはずれががある。メーカーは計画商品寿命を設定しているはずだが、使い方や諸環境で商品寿命は異なる。さあ、今度の冷蔵庫はどれくらいもつか。

そういうと、今年は腕時計も壊れた。これも15年前くらいに購入したもの。防水機能はもう駄目らしい。現在のところ、時計は何とか時を刻んでいるが、いずれ駄目になるかもしれない。シンプルだが、気に入ったデザインなので、また同じものを買うかもしれない。携帯をそんなに持ち歩かないので、腕時計は必要な人。まあ、これもとことん駄目になるまで使うのだろうけど。

更に、自転車も15年以上乗っているが、途中でタイヤや部品の入れ替えで何とか使ってきたが、限界に近づいている。最近は自転車をあまり使わず、健康のため歩くようにしているが、それでも流風にとっては、自転車は必需品。車体はしっかりしているので、修理すればまだ使えるかもしれない。しかし、全体的にガタがきていることも事実。矢張り、次はどんなタイプを買うか目をつけておこう。

どうも、今年は買い替えの年にあたっているようだ。だが、次々と壊れて欲しくないなあ。次に何が来るのか。そういうと、流風の気持ちもリフレッシュして、入れ替えないといけないなあ(笑)。

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2006年4月19日 (水)

引退のタイミング

あの新庄が引退声明を出したらしい。「らしい」というのは、彼には失礼だが、少し実行を疑っているから(笑)。しかし、彼はマイペースで独自の道を歩んできたから、それなりの満足感に溢れているかもしれない。また年齢的にも、引退してもおかしくはない。彼はぼろぼろになるまではやりたくなかった、と言っているそうだが、その考えた方は共感できる。

『老子』に、「足るを知ればあやうからず、以て長久なるべし」とか「功成り名を遂げて身退くは天の道なり」とある。新庄の考え方と一致する。面白いキャラクターと言われながらも、彼なりに考えて精一杯やってきたのだろう。お疲れ様と言ってやりたい。

でも、本当に引退するのか。秋まで、関心を引っ張るところは、商売上手。あんたは何をやっても、たぶん成功するよ。

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父と謡曲『松風』

謡曲が趣味であった父は『松風』が好きのようであった。テレビで放送されていると、よくこれはいい、と言っていた。小説の中にも題材として取り上げられていることを時々嬉しそうに言っていた。当時は流風は謡曲には関心がなく、聞き流していたが、今になって時々思い出すことがある。

『松風』は悲しい物語である。平城天皇の孫であり、阿保親王の子供である在原行平と女性たちの物語である。ちなみに彼は在原業平の兄である。彼は親の阿保親王が薬子の変により大宰府に左遷されたことを受け、平城天皇に連なる彼ら一族は冷遇される。

行平は都を離れ、須磨のわび住まいをした(実際、当時の彼の年齢については、いろいろ言い伝えがあるのだが、流風の推定では、35~36歳頃ではと思っている)。彼は須磨のわび住まいについて、『古今集』に次のように歌として残している。

           わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に

                              藻塩たれつつ わぶと答へよ

そこでの物語である。彼が、ある日、浜辺の松林で美しい姉妹に出会った。名前を聞いたが教えてくれなかったので、「お前たちを、松風、村雨と呼ぶことにしよう」と言った (実際は、彼女等は汐汲みに来た多井畑という村の村長の娘で、姉が「もしほ」、妹が「こふじ」という名前であったと伝えられている)。

彼は二人を愛し、彼女等は彼の身の回りの世話をするようになった。時は過ぎ、三年後、行平は許されて都に帰ることになったが、二人の娘は深く嘆いた。そこで、彼女等が浜に出ている間に、こっそりと都に旅立ち、形見の冠と狩り衣を残した。彼はこの時、小倉百人一首として有名な次の歌を残している。

            立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる

                             まつとし聞かば いま帰り来む

因幡守を拝命し任国に赴任したのだろう。その時の心情を歌っている。ただ、この歌をいつ歌ったのかは明確ではない。流風が思うに、彼は70歳で引退後、須磨に戻ってきたのではないかと感じている。その時、改めて当時のことを懐かしんでの歌ではなかろうか。

いずれにせよ行平が都に召された後、どれくらい経ってからかは不明だが、彼女達は無常観を感じ、髪を落として、出家し、行平の住居の傍らに庵を結び、行平の無事を祈ったという。この庵の跡に堂として「松風・村雨堂」(須磨)が残っている。

それにしても、謡曲では描かれていないが、行平をめぐる姉妹の女性としての葛藤はあったはずである。姉妹であれば、それはより厳しい。少しわからないのは、姉妹は行平が去ったから、三角関係の愛憎半ばして、あんなに愛を争っていたのに、肝心の人が去ってしまったら、意味のない無常観を感じて出家したのか、後年、行平の死を知って、人の世の無常さを覚え、出家したのか(当時では、高齢での出家は可能性は低いが)が明らかでないことである。

どちらにしても、こんな複雑な愛情関係は流風としては、避けたいものである。まあ、そんなにもてる要素は全くないので、そんな心配はありえないが(笑)。また、父はこういうスキャンダルはなかったはずであるが、そういうものに憧れたのだろうか。単に『松風』という謡曲が好きなだけであったのだろうか。とうとう聞かずじまいになってしまった。

*5月10日追記

行平の「立ち別れ」の歌に対して、松風の返歌があるらしい。

               三瀬川 絶えぬ涙の うき瀬にも

                              乱るる恋の 淵はありけり

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2006年4月18日 (火)

『糟糠の妻』と『覆水盆に返らず』

今回は有名な話だが、『糟糠の妻』と『覆水盆に返らず』を、夫婦関係のあり方として、あらためて取り上げてみようと思う。まず『糟糠の妻』とは最近はあまり使われなくなったかもしれない。自宅で糠味噌で漬物を作る女性が減っているからかもしれない。本来、この“糟糠”とは、かすやぬかのことで、ひどく粗末な食事のことをいう。

この言葉の語源は、『後漢書』から出ている。後漢の光武帝の頃、光武帝に仕えた一人の人物が毅然たる態度を示したエピソードなのである。話はこうである。

光武帝の姉で未亡人であった湖陽公主が、光武帝お気に入りの一人である宋弘に気があることを知った光武帝が、彼に嫁にもらって欲しいことを、直接言うのは流石に気がひけて、“富みては交わりを易(か)え、貴くしては妻を易う”と暗示をかけた。

それに対して、宋弘は“貧賎の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず”と返事した。こう言われては、さすがに湖陽公主も諦めざるを得なかったという話である。

苦しい時代に共に艱難辛苦してきた妻は、たとえ夫は出世して富み栄えても、妻を粗略に扱ったり、捨ててはならないということである。よく芸能人などで、それに反することが見受けられるが、世間はそれをしっかり見ており、人気は離散していく。でも、これは別に芸能人だけではなかろう。男としては、心したいものである。

他方、こういう話もある。『覆水盆に返らず』は、殷の頃の太公望・呂尚の話である。まだ彼が周に仕える前、学ぶことが好きで、性格は素直で質朴だった。若い頃、馬氏の娘を娶った。

だが、彼は一日中、家計のことなどまるで知らないように、家にこもって読書三昧。実際は何もやらなかったのではなく、いろいろ事業をやったのだが、天の利、地の利がなく、何をしてもうまくいかなかった。それで、とうとう妻の馬氏は愛想をつかして、自分から三行半を突きつけて離婚してしまった。

しかし、その後、太公望はその貧に耐えて、学識を蓄え、ついに周の文公の知遇を得て、諸侯として斉に封じられ出世していく。彼が斉の国境に着いたとき、一人の老女が前の夫を泣きしのぶのをを見た。夫の名を尋ねると、自分であり、老女は元妻であった。

老女は「もう一度元に戻れるでしょうか」と尋ねると、太公望は「汝は一杯の水を持ってきなさい」と言い、老女が持ってくると、それを傾けて地面に流した。それを悟った老女は「戻すことはとてもできません」と言い、彼は「恩愛の仲でも、一度離れてしまえば、二度と一緒になることはできない」と言い、去って行ったという有名な話である。

女性も、一度見込みがあると思って賭けた夫には、それなりの覚悟で添い遂げることが求められる。現在のように、あまりにも軽く一緒になったり離れたりするのは望ましいことではない。それは両人の責任であるとしても、女性も自覚が必要だ。

以上のように、実際は、このような極端な事例は稀であろうが、そういう可能性は、ないとも言えない。男女が一緒になるということは、それなりに覚悟が必要である。若い皆さんは、覚悟ができていますか。

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2006年4月17日 (月)

創業者の苦労話

日本では起業家は成功しないと尊敬しされないが、起業そのものは大変なことである。それに起業しても全ての企業が生き残るわけではない。成功者は一握りに過ぎない。成功者に対しては世間に囃し立てられるが、失敗者には冷たい。

起業したときは、甘い言葉をかけても、失敗すれば人は冷たくなる。確かに、起業者としての心構えは必要だ。だが、起業した人々をもっと支えるという意識があってもいいのではないか。確かに全ての起業が筋の良いビジネスとは限らないので、厳しい起業審査のようなものは必要だろう。闇雲に起業しても、社会全体としてもロスが大きいからだ。

しかしながら、一旦起業すれば、バックアップする仕組みは求められる。経営者は日夜ビジネスに邁進すると、どうしても、時として時代や流れを読めなくなることもある。そういった時、客観的に適切なアドバイスをする人がいれば、経営者は助かるはずである。尤も経営者に聞く耳があるかどうかだが。

そして、起業を志そうとする人々は、先人に学ぶべきだろう。いいことも悪いことも経験した経営者の話は参考になるはずだ。ただ成功だけの話だけでは、それは意味がない。成功の時代背景、ビジネス環境、人材など資源の違いなどで、成功者の経営方法はそのまま使うことはできない。そこでは、経営者の考え方だけが参考になるだろう。現在、起業者は経営の方法の習得には熱心だが、考え方の習得は疎かにされているように感じる。

ところで、神戸一円で展開されている『神戸にしむら珈琲店』のオーナー(正確には、オーナーにヒヤリングしたもの)がホームページで店の歴史を語り始めておられる(*注)。そのような考えるヒントはどこにも転がっている。そういう意識で考え方を探るような習慣を持って欲しいと思う。そして起業されても、そのような初心を忘れないようにしてもらいたい。

*注

ホームページ『神戸にしむら珈琲店』での店の歴史は、中止され、現在語られていない。
      

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2006年4月15日 (土)

気分転換と明石城

桜も咲き終わり、緑の色が少しずつ濃くなってきたような感じがする。こういう季節は、家にいるのはもったいない。あちらこちらに出かけて、思い切り緑を楽しむことにしている。世界全体で見れば、日本はまだまだ緑は多いとは思うが、都市部では緑の部分が少ないように感じる。役所は配慮しているというが、ある程度集中して緑がないと、人には緑が豊かと感じないらしい。

都市における緑豊かな場所としては、神社がそうかもしれないが、流風はお城によく行く。関西では大阪城とか姫路城は有名であるが、今回はあまり有名とは言えない『明石城』を取り上げてみる。

城の規模としては、本丸、天守台、東の丸、二の丸、北の丸、三の丸などがある。ただ天守閣がないので、お城という感じはやや薄い。本来造る予定であったが、太平の世になったので、造る必要がなくなったと言われている。明治以後、いろんな経緯からいろんな人々によって、城や公園が守られ、最終的には国によって緑豊かな場所になっています。それらの人々のお陰で緑豊かなお城という環境を私達は享受できるのだと思います。ちなみに現在は県立公園になっている。

また、この明石城は別名「喜春城」とも呼ばれているらしい。この季節にぴったりだ。だが、その意味は深く、出典は中国の故事『塩鉄論』にあるという。「君主は仁を以て政を行わねばならず、あたかも春の草木を育てるごとく、善を賞するを貴ぶ」からとられているらしい。昔の為政者はそれなりに哲学をもって政に臨んでいたことがわかります。

交通はJR明石または山陽電車明石駅を降りると、すぐ見えるほどいい立地です。現在なら、こんな立地に大きい公園は造れないだろう。私達は先人に感謝しなければいけないのだろう。実際、「日本の都市公園100選の地」に選ばれているし、全国「さくら名所100選の地」でもある。

平日、休日を問わず、天気の良い日は家族連れでピクニックされている風景はよく見受けられる。そういう中を流風は思い切り深呼吸しながら、美味しい空気を味わっている。すこし歩き疲れれば、園内に県立図書館や市立図書館もある。近くには明石市立文化博物館もあり、飽きることはない。それに、流風が好きなのは、それほど人も多くないので、終日ゆったり過ごせることだ。知らない人は、一度行ってみてください。きっとリフレッシュできますよ。

* 明石公園・明石城の参考になる写真
   http://kobe-mari.maxs.jp/akashi/akashi_kouen/index.htm

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2006年4月13日 (木)

小学校時代の思い出 その3

小学校も高学年になると、当時でも学習塾に通う者が増えて(全体の3割ぐらいだったか)、遊び仲間が限られていた。流風は成績は中ぐらいだったが、父親の方針で塾通いはしなかった。

それで、遊び仲間というと、どちらかというと、学校ではあまり勉強のできない奴ばかりだった。彼らは確かに不勉強だったが、家業を手伝うなど、いろんな家の事情もあったようである。それでも、彼らはいろんな遊び場を知っていたように思う。ただし現在のような不健康な遊びではない。舞台は、ほとんど屋外だ。

彼らは、遊ぶ場合は能力をフルに発揮して、広い場所とかが必要な時、大人と交渉して、場所を確保したり、そういうことに優れている人間が多かった。勉強できるだけが能ではないんだと思ったものである。

また彼らが教えてくれる遊び場は、危険な場所も多かった。その危険な場所とは、明らかに危険な場所で、「立入禁止」の札がかかっているところである。例えば、建設資材置き場とか、廃坑になった鉱山跡とか、遊泳禁止地区とか、電車が走る軌道近くなどである。彼らについていくと、そういうとこにどんどん入っていく。鉄条網などがあっても、破れた場所を知っていて、侵入するのである。

建設資材置き場は、「秘密の基地」になったし、「お宝」の隠し場所にもなっていた。時々、建設現場の人が来て、叱られたが、その中を走り回っていた。危険といえば危険なんだが。実際、資材置き場から落ちたこともある。大した怪我はなかったが。そういうことは日常茶飯事であった。だから、擦り傷は絶えなかったと思う。また、ある時、行って見ると、「お宝」を隠しておいた資材がなくなっており、皆で唖然としたことがある。今から考えれば、当たり前のことなんだがね。

廃坑になった鉱山跡は、いろんな石が採掘できるので面白かった。黄銅鉱や黄磁鉄鉱だったかは曖昧で正確に覚えていないが、いろんな色の石が採掘できるのである。金色や銀色に輝くので、ときめいた覚えがある。さらに近くの川原では、漬物石ぐらいの石を割って、水晶を取り出すのである。石に石をぶつけるので、割れた破片が飛び、危険なことなのだが、割れた中から、透明の水晶やらピンクの水晶が出てくる喜びには変えられなかったように思う。

禁止遊泳地域は、流風は泳ぎが禁止されていたので、泳がなかったが、皆は泳いでいた。実際、危ない目にあった奴もいたようである。禁止されてしまうとやりたくなる性、これは皆にあることだと思う。それに岩と岩の間にいろんな生物がいて、その発見も楽しいのだ。また鉄道の軌道内もいろいろ悪さをやった。もう時効なので許してもらえるだろう。ここでは書くのはやめにしておくけど。

その他、危険ではないが、畑のきゅうり、トマトなどを盗み食いして、叱られたり。きゅうりやトマトなんてものは、家では嫌いな食べ物なのに、畑で見つからないかどうかと思いながら食べると、多少スリルがあって、意外と美味しいのだ。それにお腹が空いているし、取れたてだからね。

それもこれも、学習塾に行かなかったから、今もこれらの非日常的な思い出は残っているのだ。小学生時代は、勉強も大事かもしれないが、こういう屋外での思い出が大事なのだ。最近の子供たちは、ほとんど学習塾に行くそうであるが、少しかわいそうな気がする。彼らに子供時代の思い出は残らないからね。遊びも一つの学習であるという認識を親は持ってもらいたいと思う。

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2006年4月11日 (火)

名物とは

旅行すると、土産物屋に、「名物」というものが並んでいる。最近は、観光開発の一環で新しい土産物名物の開発・模索が続いてるようである。でも、「名物」って、何なのだろうか。一般的には、その土地の特産物やそれを材料とした加工品を指しているものと思われる。

ただ、最近は地域に特徴のあるものが薄れている。どの地域も似たようなものが多い。他地域が、売れそうだという評判を聞いて、すぐ真似をするからだ。それに、その地域だけしか購入できないのが望ましいのに、変な欲を出して、全国的な拡販をして、その価値を薄めている場合もある。

だから、地域の名物とは何なのか、わかりづらくなっている。また、地域ブランドと称して、差別化を図ろうとしているが、その中身が少し怪しい。単にネーミングだけなら、いずれ、それは化けの皮が剥がれる。内容が伴わなくて、ただ単に価格が高いだけなら、敬遠されるのは時間の問題だと気づくべきなのだ。

であれば、どうすればいいのだろうか。基本的には、商売の原点に戻って、土産物に対して臨む基本理念に尽きるのではなかろうか。例えば、

  ⅰ いい材料を使って、正しい物を作り続ける。
  ⅱ 外見やネーミングなどで変な付加価値をつけない。
  ⅲ 本来あるべき正直な商売をする。
  ⅳ 牛のよだれのように細く長く、堅実な経営をする。
  ⅴ 世の中の動きは注視するが、流行を追わない。
  ⅵ その地域での経営に徹する。

などが示せると思う。こういうことは、老舗の経営に通ずるものがある。「名物」という名に捉われて、変な商いにならないようにしてもらいたい。

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2006年4月 9日 (日)

兵庫の楽学歴史大学

神戸市の観光開発の一環として、『兵庫の楽学歴史大学』が従来セミナーでやっておられたものが大変評判だったらしく、ネット上で3月31日より公開された。茶谷幸治氏によるもので、非常にわかりやすく解説してある。

神戸は明治以降の外国からの公館など洋風のイメージが強いが、もちろん、日本の歴史がある。残念なことだが、割と知られていないことも多い。一般には、従来は関心が薄く、見過ごされてきていた。確かに平家物語の源平合戦の舞台になったことは有名である。ただ、話の概要は知っていても、詳しく知らない人は比較的多いかもしれない。また平清盛が神戸・福原に遷都したことを知らない人も意外に多い。

それらに茶谷氏が歴史に焦点をあわせて解説しておられる。こういうものがあると、もう一度場所を確認してみたくなる。神戸近隣に住む者だけでなく、旅行者にとっても、こういう知識を事前に入手しておけば、旅の楽しみも増すかもしれない。

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2006年4月 8日 (土)

老人というもの

老人と呼ばれるのは、まだ早いが、お寺に行くと、よく僧が説教されるものに、『老人六歌仙』と『老人述懐』がある。まあ、流風の周りの年寄りを見ても、その傾向はあるかなという内容である。自分自身が高齢になれば、そうなるのだろう。自覚しているうちはいいが。ご存じない方のために、紹介しておこう。ただ、高齢者を、からかう材料にしては駄目だよ(笑)。ただ若い人たちが高齢者と付き合うヒントは含まれていると思う。

 ◎『老人六歌仙』 仙崖義梵 作

     しわがよるほくろがでける腰曲がる
      頭がはげるひげ白くなる

     手は振るう足はよろつく歯は抜ける
      耳は聞こえず目はうとくなる

     身に沿うは頭巾襟巻き杖眼鏡
             たんぽおんじゃくしゅびん孫の手

     聞きたがる死にとむながる淋しがる
      心は曲がる欲深くなる

     くどくなる気短になる愚癡(ぐち)になる
            でしゃばりたがる世話やきたがる

     又しても同じ話に子を誉める
             達者自慢に人は嫌がる

 ◎『老人述懐』 明護院真海 作

     老いの坂登りてあとを見返れば
      あやうく道をたどり来しわれ

     梅干のような婆さんも花咲きし
      むかしは色も香もあった人

     年よりてかわれなすわざは
      やはりむかしのおつむてんてん

     世の中はよい茶よい酒菜一つ
      めしやわらかに合口のとも

     手はふるう足はひょろつしわがよる
      口やかましくきみじかになる

     年よれば頭は禿げる歯はぬける
      目はうすくなる耳とおくなる

     背はかがむ出不精になるぐちになる
      ほくろはできる毛はしろくなる

     老人のとやせんかくと思う間に
      はや暮れて行く今日のたそがれ

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2006年4月 7日 (金)

よい医師の見分け方

日頃、病院や診療所にいろいろお世話になっているが、患者にとって、よい医師とはどのようなタイプを指すのであろうか。一般的には、流行っている医者が良いとされる。最近では第三者による評価もあるにはある。だが、患者本人としては、望ましい医師観は持っておいた方がいいだろう。基本的には、見分け方として、次の方法で選択するのが望ましいとされている。

 ⅰ 患者の話をきちんと聞いてくれるか。

患者の目も見ず、適当に聞き流す医師なら、止めておいたほうがいい。“患者満足”の視点に欠ける医師はパスすべきなのだ。医療は、サービス業ではないという方もいらっしゃるが、医療行為は、患者とのコミュニケーションによって、その効果は増すのは確かだろう。治る、治らないは、その後の問題だ。

 ⅱ 病気や病状を患者のレベルに合わせて、きちんとわかりやすく説明してくれるか。

患者の理解能力は、それぞれ違う。そのことを理解して、それぞれにわかるように説明してくれるか。専門の医療の言葉を滔々と話す医師がいる。それは自己陶酔というもの。患者が、いかに医療の内容を把握するかは、医療行為において重要な意味を持つ。

 ⅲ 患者の考え方を理解してくれるか。医師が独善的でないか。

最近は、患者は病気に対する情報を持っており、それが正しいかどうかも、丁寧に説明してくれる方が望ましい。死生観も時には必要である。医療の観点からだけの独りよがりな説明だけでは不十分である。

 ⅳ 患者の状態の変化を把握しつつ、適切な処置を推薦してくれるか。

患者の状態は刻々と変化する。基本的に、患者は自分の病による不愉快さを一番理解している。患者の状態の変化を細かく把握しつつ、どんな細かいことも書き留めデータ化し、それに相応しい処置の提案があるかどうか。そのためには、患者が医師に伝えたい雰囲気を作ることも大切だ。

 ⅴ 患者と状態をコミュニケーションしながら、患者と一緒に実現可能な方法で病気を治す工夫をしているか。

診察時間の限界はあるが、できるだけ世間話をして、患者の精神状態を把握しつつ、患者の病気を治そうとする意欲を高めているか。患者が真剣に医療行為に参加して、初めて医療活動は前進する。病気を治すのは患者自身であり、医療側はそれを援ける立場にあると思った方がいい。

大体以上の五つにまとめられると思う。流風の経験では、大病院の30代~40代の医師は説明不足の傾向が強い。それにコミュニケーション力にも課題が残る。開業医・診療所の50代以上の医師の方が比較的、話を聞いてくれる印象が強い。すなわち、“患者=顧客”の意識が強いのだ。

医療は単純にサービス業とは言えないが、患者がいなければ成り立たない。医師は患者が何を求め、何をしたいのかをしっかり確認して欲しいと思う。特に若い医師には、患者と医師という関係である前に、お互い一人の人間であることを理解して欲しい。医療技術だけでは、病気は治せないのだ。

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2006年4月 6日 (木)

為政者の心がけ

上杉鷹山公に見出された人物の一人である莅戸善政(のぞき よしまさ)は、生涯、鷹山公を師としたが、為政者の心がけとして、『政語』に次のように語っている。

 国の安危存亡は一に政のよしあしに懸れば、常に怠らず戦々兢々の恐を懐きて、その地位を慎み、安民に思を致すべきことなり。

 安きは一日にして安きにあらず、危きは一日にして危きにあらず。皆漸を積むを以て然りと言えり。

 されば今日この善を為したるをもて、安きにもあらず、今日この悪を為したるをもて、危きにもあらず。悪の積りたまれるが危きに至り、善の積り重なりたるが安きに至れるなり。

 されば安に危を忘れず、存に亡を忘れず、戦々兢々として深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如く、常に戦兢の恐れを懐きて、彌彌(いよいよ)徳を修め、益々行を礪(みが)き、尚も安民の政に思いを盡(つく)し、これに居て倦むことなく、これを行うに以てして政の世話を為すべきことなり。

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2006年4月 5日 (水)

有馬学

有馬学って、ご存知だろうか。「ありままなぶ」さんじゃないよ。実は、ご当地検定の一つで、この『有馬学』は神戸市の有馬温泉が地域再生事業の一環として行っているものです。ちなみに、有馬温泉再生事業として、次の指針が示されています。

①「健康・癒し・美容」をテーマとする外国人に対応した滞在プログラムの開発及び商品化

②有馬温泉の卓越性の情報発信

③外国人旅行者実態調査

④外国人向け観光プログラムの策定

⑤案内サインの充実・多言語化

⑥QRコードによる多言語の観光情報及び音声ガイドの提供

⑦観光マップ、HPの多言語化

⑧通訳ガイドサービスの提供

⑨外国人の習慣についての講習会を開催

⑩「有馬学」の構築と質の高い観光ガイドの養成

⑪外国人旅行者の誘致活動を強化

⑫入初式における外国人対応の実施

本当に、いろいろ考えられているようです。ただ気になるのはターゲットの国(あるいは地域)が明確になっていないことです。例えば、西欧人もアジアの人々も両方迎えるには、それなりの異なった準備が必要です。盛んに多言語化に言及されていますが、ターゲットを絞れば、そんなに多言語化する必要もないと思います。その辺をどう考えられているのか、疑問は残ります。

さて、それはそれとして、指針の⑩への対応として、先日、検定試験がされ、269名の受験者(セミナー応募者の73%)があり、205名が合格したそうです。50問出題で、70%以上が合格だったようです。これは事前セミナー(応募者367名)が約10日前くらいにあり、それに基づいて、有馬の基礎知識を問うものだった。ちなみに今回のセミナーの内容は、有馬の自然、有馬温泉の歴史・文化、有馬ゆかりの人だったようです。

合格者は、認定証を渡され、「有馬“よい湯こ”ガイド」として、有馬の魅力をアピールしたり、おもてなしの街づくりに協力するようです。ただ“よい湯こ”を「よいとうこ」→「よいとこ」と読ますのは少し無理があるように思うが。それから有馬だけのガイドだけでなく、神戸全体のことを知っているガイドも配置すべきだと思う。ご当地検定は、それはそれでいいのだが、もう少し広く捉えて、他地域のガイドとの連携は望まれる。

そういうと、有馬温泉には久しく行っていない。あの地域は温泉に浸かるのもいい気持ちだが、街並みや土産物店は雰囲気がある。また最近は日帰りプランも充実している。うろうろ散歩してみるのは楽しいだろう。詳しく記した回遊コースの地図を配布したら良いと思う。久しぶりに行ってみるか。

*参考
   有馬温泉再生事業
   http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kanko/anken7.pdf

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2006年4月 4日 (火)

ワンセグって

最近はも本当に色々な言葉が出てくるので、新しいものには慎重な流風は、なかなかついて行かれない状態になっている。最近よく言われる「ワンセグ」も何のことかいなと思っていたら「ワン・セグメント」の略で、地上デジタル放送の携帯電話向けということらしい。すなわち、映像・音声・データが携帯電話で得られる。携帯電話でテレビで流している映像が見られ、小型テレビなどより画面も鮮明で、見やすいらしい。

ふむ、そうなってくると、携帯を必ずしも使えこなせていない流風でも何か面白そうで興味がある。携帯電話の形をしたテレビなんかなという気持ちもする。しかし大きな違いはパソコン化した携帯電話の携帯機能に映像・音声・データが付いてくることだろう。これは、いつでも、どこでも情報が入手できるという「ユビキタス社会」へ一歩進むということなのだろう。

実際、パソコンによるネット情報でもそうだが、情報だけだと脳が疲れてくる。そこで、映像などが携帯で楽しめ、気分転換できれば、それに越したことはない。それに飽きれば、携帯の通信機能を使って、双方向でやり取りすれば、いい玩具にはなりそうである (だがワンセグに夢中になれば、電池の消耗が激しくて、肝心のメールや電話ができなくなることも想定できる。結局、電話やメールをする携帯とワンセグで映像を見る携帯と二種類持つ必要があるように思う)。

会社員にしても、仕事をしていれば、意外とテレビを見る機会は少ない。そのことで、情報に遅れることはないと思うが、得意先はテレビを見て知っているのに、営業マンは知らないということもありうる。そういう風に考えると、営業マンにはワンセグは必携のような感じもするが、情報入手という言い訳でサボられてもね。その辺が難しそう。

また、主婦や学生にとっては、欠かせないものになりそうである。パソコンでやっていたことを携帯電話へ移行する一つの材料になりそうである。彼らの生活においても、移動時に刻々と変化する情報を映像で入手できることは大きい意味を持つ。

ユビキタス社会は目前に迫っているのかもしれない。ワンセグ文化がどのように進展していくのか見守りたい。

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