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2006年4月13日 (木)

小学校時代の思い出 その3

小学校も高学年になると、当時でも学習塾に通う者が増えて(全体の3割ぐらいだったか)、遊び仲間が限られていた。流風は成績は中ぐらいだったが、父親の方針で塾通いはしなかった。

それで、遊び仲間というと、どちらかというと、学校ではあまり勉強のできない奴ばかりだった。彼らは確かに不勉強だったが、家業を手伝うなど、いろんな家の事情もあったようである。それでも、彼らはいろんな遊び場を知っていたように思う。ただし現在のような不健康な遊びではない。舞台は、ほとんど屋外だ。

彼らは、遊ぶ場合は能力をフルに発揮して、広い場所とかが必要な時、大人と交渉して、場所を確保したり、そういうことに優れている人間が多かった。勉強できるだけが能ではないんだと思ったものである。

また彼らが教えてくれる遊び場は、危険な場所も多かった。その危険な場所とは、明らかに危険な場所で、「立入禁止」の札がかかっているところである。例えば、建設資材置き場とか、廃坑になった鉱山跡とか、遊泳禁止地区とか、電車が走る軌道近くなどである。彼らについていくと、そういうとこにどんどん入っていく。鉄条網などがあっても、破れた場所を知っていて、侵入するのである。

建設資材置き場は、「秘密の基地」になったし、「お宝」の隠し場所にもなっていた。時々、建設現場の人が来て、叱られたが、その中を走り回っていた。危険といえば危険なんだが。実際、資材置き場から落ちたこともある。大した怪我はなかったが。そういうことは日常茶飯事であった。だから、擦り傷は絶えなかったと思う。また、ある時、行って見ると、「お宝」を隠しておいた資材がなくなっており、皆で唖然としたことがある。今から考えれば、当たり前のことなんだがね。

廃坑になった鉱山跡は、いろんな石が採掘できるので面白かった。黄銅鉱や黄磁鉄鉱だったかは曖昧で正確に覚えていないが、いろんな色の石が採掘できるのである。金色や銀色に輝くので、ときめいた覚えがある。さらに近くの川原では、漬物石ぐらいの石を割って、水晶を取り出すのである。石に石をぶつけるので、割れた破片が飛び、危険なことなのだが、割れた中から、透明の水晶やらピンクの水晶が出てくる喜びには変えられなかったように思う。

禁止遊泳地域は、流風は泳ぎが禁止されていたので、泳がなかったが、皆は泳いでいた。実際、危ない目にあった奴もいたようである。禁止されてしまうとやりたくなる性、これは皆にあることだと思う。それに岩と岩の間にいろんな生物がいて、その発見も楽しいのだ。また鉄道の軌道内もいろいろ悪さをやった。もう時効なので許してもらえるだろう。ここでは書くのはやめにしておくけど。

その他、危険ではないが、畑のきゅうり、トマトなどを盗み食いして、叱られたり。きゅうりやトマトなんてものは、家では嫌いな食べ物なのに、畑で見つからないかどうかと思いながら食べると、多少スリルがあって、意外と美味しいのだ。それにお腹が空いているし、取れたてだからね。

それもこれも、学習塾に行かなかったから、今もこれらの非日常的な思い出は残っているのだ。小学生時代は、勉強も大事かもしれないが、こういう屋外での思い出が大事なのだ。最近の子供たちは、ほとんど学習塾に行くそうであるが、少しかわいそうな気がする。彼らに子供時代の思い出は残らないからね。遊びも一つの学習であるという認識を親は持ってもらいたいと思う。

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