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2006年4月18日 (火)

『糟糠の妻』と『覆水盆に返らず』

今回は有名な話だが、『糟糠の妻』と『覆水盆に返らず』を、夫婦関係のあり方として、あらためて取り上げてみようと思う。まず『糟糠の妻』とは最近はあまり使われなくなったかもしれない。自宅で糠味噌で漬物を作る女性が減っているからかもしれない。本来、この“糟糠”とは、かすやぬかのことで、ひどく粗末な食事のことをいう。

この言葉の語源は、『後漢書』から出ている。後漢の光武帝の頃、光武帝に仕えた一人の人物が毅然たる態度を示したエピソードなのである。話はこうである。

光武帝の姉で未亡人であった湖陽公主が、光武帝お気に入りの一人である宋弘に気があることを知った光武帝が、彼に嫁にもらって欲しいことを、直接言うのは流石に気がひけて、“富みては交わりを易(か)え、貴くしては妻を易う”と暗示をかけた。

それに対して、宋弘は“貧賎の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず”と返事した。こう言われては、さすがに湖陽公主も諦めざるを得なかったという話である。

苦しい時代に共に艱難辛苦してきた妻は、たとえ夫は出世して富み栄えても、妻を粗略に扱ったり、捨ててはならないということである。よく芸能人などで、それに反することが見受けられるが、世間はそれをしっかり見ており、人気は離散していく。でも、これは別に芸能人だけではなかろう。男としては、心したいものである。

他方、こういう話もある。『覆水盆に返らず』は、殷の頃の太公望・呂尚の話である。まだ彼が周に仕える前、学ぶことが好きで、性格は素直で質朴だった。若い頃、馬氏の娘を娶った。

だが、彼は一日中、家計のことなどまるで知らないように、家にこもって読書三昧。実際は何もやらなかったのではなく、いろいろ事業をやったのだが、天の利、地の利がなく、何をしてもうまくいかなかった。それで、とうとう妻の馬氏は愛想をつかして、自分から三行半を突きつけて離婚してしまった。

しかし、その後、太公望はその貧に耐えて、学識を蓄え、ついに周の文公の知遇を得て、諸侯として斉に封じられ出世していく。彼が斉の国境に着いたとき、一人の老女が前の夫を泣きしのぶのをを見た。夫の名を尋ねると、自分であり、老女は元妻であった。

老女は「もう一度元に戻れるでしょうか」と尋ねると、太公望は「汝は一杯の水を持ってきなさい」と言い、老女が持ってくると、それを傾けて地面に流した。それを悟った老女は「戻すことはとてもできません」と言い、彼は「恩愛の仲でも、一度離れてしまえば、二度と一緒になることはできない」と言い、去って行ったという有名な話である。

女性も、一度見込みがあると思って賭けた夫には、それなりの覚悟で添い遂げることが求められる。現在のように、あまりにも軽く一緒になったり離れたりするのは望ましいことではない。それは両人の責任であるとしても、女性も自覚が必要だ。

以上のように、実際はこのような極端な事例は稀であろうが、そういう可能性はないとも言えない。男女が一緒になるということは、それなりに覚悟が必要である。若い皆さんは、覚悟ができていますか。

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