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2006年5月14日 (日)

先生と呼ばれる人々

先生と呼ばれる人々には、学校の先生や大学の教授以下教員の人々以外に、政治家や医師、設計事務所の設計者やデザイナー、弁護士や税理士などの士業の人々などがそうであろう。

それは年齢や経験に関係なく、そのように呼ばれているようである。周囲は別に先生と思わなくても、先生と言っている場合も多い。ある意味、馬鹿にしている場合もある。先生と呼ばれて喜んでいてはいけない。先生と呼ばれたら警戒しなければいけないのだ。

それにしても、なぜ、これらの方々が先生と呼ばれているのだろう。見渡してみると専門の仕事が多い。そして社会的に重要だと考えられているためかもしれない。だが、これらは、西欧の職業を真似て作ったものがほとんどである。

いわゆる階級社会の職業差別感に満ちていると言えないこともない。儒教社会の戦前では、そのようなことは素直に受け入れられたが、戦後の民主主義の下では、「先生」というのは違和感のある職業も多い。

本来、職業に貴賎はない。人は自分で全てのことはこなせない。誰かに依存しなければ、この社会では生活できない。ということは、自分にとって、他者は全て先生のはずである。特定の人々だけが先生ではない。

そのように考えると、上記の方々だけを先生と呼ぶのはおかしいとも言えるかもしれない。もちろん、これらの人々の中で、滅私奉公されている方々を見つけると、それは自然と「先生」と呼びたくなる。それは自然の感情であろう。職業という「立場」で先生と言うのは現代ではおかしいかもしれない。あくまで、個人の生き方に対して、尊敬できる方々は真に「先生」と呼ばれるだろう。

先生と呼ばれている職業の方々で、「自分が先生と呼ばれるけれど、なぜ尊敬されないのだろう」と思う人々~まだ自覚しているだけましだが~は、是非自分の仕事振りを反省してみることだ。

では自覚しない先生方はどうなるかって。人々から嘲笑されながら、周りの人間には迷惑なことだが、本人は気づかずに一生を終えるのだろう。そのように、人々は見ていないようで、見ている。それが世の中だ。甘いようで辛い。人間修業は一生続くのかもしれない。

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