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2006年5月18日 (木)

縁と謡曲『高砂』

多くの男女は縁に結ばれて夫婦になる。人間には、宿命と運命があるが、それが絡まりあって、人の一生は決していく。宿命は変えられないが、運命は自己の努力で変えられる。因縁はそういうところに働くのであろう。

さて、今回取り上げるのは謡曲『高砂』である。結婚披露宴でよく謳われた定番である。最近は、どうなのだろう。昔は、男であれば、謳えるのは常識であったという。流風の年代では常識でなかったが。その歌は次のようである。

         高砂や この浦舟に 帆を上げて

         この浦舟に 帆を上げて

         月もろともに 出汐(いでしお)の

         波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて

         はやすみのえに 着きにけり

         はやすみのえに 着きにけり

         四海波静かにて 国も治まる時つ風

         枝を鳴らさぬ 御代なれや

         あひに相生の松こそ めでたかりけれ

         げにや仰ぎても 事も疎(おろ)かや

         かかる代に住める 民とて豊かなる

         君の恵みぞ ありがたき

         君の恵みぞ ありがたき

さて、高砂の浦(現在の兵庫県高砂市)には松の名木があり、古来「尾上の松」として知られている。また摂津の国住江の海岸の松(住吉の松とも。現在の大阪市の住吉神社)と共に「相生の松」として知られている。

そもそも、「松」は天上から来臨する神の通路であると云われる。そして松は一年中その色を変えないので、不易の道徳の象徴でもある。

また、あの「尉(じょう)と姥(うば)」の人形をご存知の方も多いことだろう。子供の時、どういう意味があるのだろうと思ったが、夫婦仲良くというぐらいの意味しか親は教えてくれなかったと思う。

実際の謂れは、一本の根から雌雄の幹が左右に分かれた松が生え、「尉と姥(老翁と老婆の意)」に姿を変えたイザナギ・イザナミの二神が現われ、夫婦のあり方を説いたということが始まりらしい。それで、この二神は縁結びと夫婦和合の象徴になったという。ちなみに、この松は高砂神社に保存されている。

さて、謡曲『高砂』(世阿弥作)のあらすじは次のようになっている。一応、念のため挙げておこう。

一 九州の内陸部にある阿蘇宮(現在の熊本県)の神主の友成は、旅の途中、あの有名な高砂の「尾上の松」を見ようと、高砂の浦に立ち寄った(*注)。

二 友成が、その松を探していると、老夫婦が熊手と箒を持って、松の木陰を掃除していた。そこで、彼らに相生の松の謂れを尋ねた。「尾上の松と住吉の松は遠く離れているのに、どうして、どちらも相生の松というのか」と。

三 尉は、古今集の仮名序(下記*参照)を引用して、説明する。尾上の松と住吉の松とは相生の松である。その意味は、夫婦というものは遠く離れていても、心が通じ合うからそう呼ばれていると説明する。そして姥は松の永遠を説く。すなわち、松は四季を問わず、一千年も緑をたたえ、大変めでたいとされていると。そのように夫婦があるべき相老の仲睦まじさを語る。

四 そして、あなた方は、どちらの方々であるかと問うと、老夫婦は、実は、相生の松の精だと明かし、住吉で待つと言い残し、小船に乗り、追い風をはらんで、沖に消えていく。

五 そこで、友成は浦人に相生の松のことを尋ね、先程の老夫婦のことを話すと、住吉に行くことを進められる。

六 友成は高砂の浦から、船に乗り込む。そして、先に紹介したあの有名な “高砂や この浦舟に 帆を上げて” と謳いながら住吉に向かっていく。

七 住吉神社に着くと、

   『われ見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いくよへぬらむ』

という歌に返して、住吉明神の御神体が一時的にその姿で現われ、颯爽と神舞を舞って千秋万歳を祝う。

   “千秋楽は民を撫で、萬歳楽には命を延ぶ、

    相生の松風、飄々の声ぞ楽しむ、飄々の声ぞ楽しむ”

そして、

    『むつまじと 君は白波 瑞垣の 久しき世より いはひそめてき』

と住吉明神(航海の守護神)はお詠みになったという。

縁は異なものである。そこには、見えない大きな力が働いている。それが何なのか、この歳になっても未だわからない。まさに神のみぞ知る、である。だが、一旦、縁を結べば、『高砂』のような考え方をするのが望ましい。結ばれた以上、それは大きな意味があるのだから、それを大事にしなければならない。

現代では、夫婦が添い遂げることは難しいといわれているが、考え方次第であろう。『高砂』のような謡曲の内容を知って、夫婦が相和すということの意味を深く考えるだけでも違うと思う。最近は、バツイチが当たり前のように語られるが、決して望ましいことではないだろう。

*注

阿蘇宮は、古代から知られた名社であった。そして、その神主は、神に仕える教養人として、神や、その化身と問答するのに相応しい人物であったところから、この話は、友成が選ばれているとのこと。

*注記

最初に挙げた婚儀の祝の歌は、謡における、二つのものが合わさったもの。すなわち、「高砂や~住吉に着きにけり」と「四海波静か~君の恵みぞありがたき」で、謡では、後者が先に謡われ、前者は、後で謡われている。

*参考    古今集仮名序

 「高砂・住江の松も相生ひのやうにおぼえ男山の昔を思ひいでて、女郎花の一時をくねるにも、歌をいひてぞなぐさめける」

*参考  詩吟 『四海波』 本宮三香

      四海波恬(しず)かにして瑞色披(ひら)く

      相生の松は茂りて枝を鳴さず

      高砂の一曲喜び極り無し

      契(ちぎり)は固し三々九度の扈(さかづき)

*参考  高砂神社
                     http://www.eonet.ne.jp/~sinzenkyosiki/

*平成26年3月29日追記

高砂市では、この4月から婚姻届を提出したカップルに、謡曲『高砂』のCDを贈るようだ。4月1日以降に、市民課窓口に婚姻届を持参したカップルに渡される。

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