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2006年5月12日 (金)

大学院の行方

大学生の就職率が上がっている。これ自体は喜ばしいことだ。まあ、これも企業の採用に対する哲学のなさがそうしているとも言える。やれ、団塊の世代の退職だ、景気が良くなったから人が足りない、どうしようと右往左往している経営者の顔が浮かぶ。長期的な見通しの立てられないサラリーマン経営者の限界かも。

そして、いざ採用してみても、大学生の質ということでは問題があり、企業はまた課題を抱え込むことになるだろう。現在の日本の大学そのものが問題かもしれない。少子化だというのに、競争もなく、だらけた大学が多すぎることも問題だろう。リストラも遅れている。

そういった中で、日本の大学の大学院生のレベルが低いと言われて久しい。大学院は、本来、学生の中で研究心の強い者だけが残ると思っていたが、実情はそうではないらしい。希望の就職先に行けなかった者や、就職浪人といわれる学生が、時間を潰しているタイプの大学院生が跋扈しているらしい。

もちろん、真面目な大学院生もいるだろうが、大学生のレベルが、昔と比べて、格段に落ちているため、大学院生のレベルも推して知るべしなのである。現在の大学生のレベルは、国公私立に関わらず、三回生くらいで、やっと大学生の意識を持つようになるという。しかし、その頃には、就職活動に身を挺する必要があり、学問に集中する期間はほとんどないに等しい。そうでなくても、バイトに明け暮れ、勉学に励まない学生は多い。

企業が採用しても、戦力にならないと嘆くのは毎年のことである。せいぜい比較的真面目な女子学生のほうが向上心も強い。だが真面目と言うことだけなら、優秀な高卒や専門学生と同列と考えている企業関係者も多い。そうであるなら、彼らに高い賃金を支払う意味はなくなってしまう。そして大学の存在意義が問われることになる。既に、大卒はあまり意味を持たなくなっている。

話は戻すが、そういう状況下、大学院生のレベルは上がらない。大体、教える方の大学院の教授たちも大学で余ったか、定年になった教授達で、天下りのような人々だから、指導レベルも大学の延長で、必ずしも、すばらしいという状態とは言えない。教える方のレベルにも問題があるのだ。

大学院の教授は、大学の天下り教員ではなく、企業での実績のある人々を大学院で研究させて、教員に据えるべきだろう。机上と実践がわからなければ、大学院で教えることが、実を結ばないのだ。よく産官学などと言うが、大学院に、官・学からの天下りはあっても、産である民間からの採用は限られている。その学問領域においては、民間の採用を増やすべきであろう。大学院そのものの価値を上げないと、その存在は危くなるだろう。至急リストラと改革が急がれる。

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