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2006年5月19日 (金)

能と小説『歌行燈』

今までに取り上げてきた謡曲の中で、流風が読んでいる小説と関わりがあるのは、『海人』、『松風』、『高砂』である。そして、実際に、この小説の中で舞われるのは、『海人』の一部です。もう、おわかりでしょう。読んでいる小説は、泉鏡花の能を題材にした『歌行燈』です。映画にもされたそうですが、残念ながら観たことはない。

さて、この『歌行燈』は、あらすじに関しては、差し控えるが、鏡花は親戚に能関係者がいたことが、能に関する造詣を深くした理由と云われている。能という芸事に生きる人間の厳しさと、そして男女の不思議な因縁を描いている。それにしても、芸事を極めるには、結局、極限を経験したものでなければ、達することができないというのは、一般人にはなかなか理解しがたいことかもしれない。

また、この小説は、今から約100年前の1910年に書かれたものです。それゆえに、現代小説と違って、読みこなすのが流風にとって難しい。予備知識がないと、なかなか理解できないことが多い。能の知識に加えて、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』もある程度読んでいないと、意味がわからないし、歌舞伎の知識も必要だ。

流風も、最初、さらっと読んでみたのだが、感動が薄い。もちろん、表面的に字面を追っかけても、ある程度はわかるが、理解に深さが伴わない。そういう点では、日本文学に傾倒しているものでなければ、現代人には、なかなか理解が難しいと思う。

こういうのと同様なものとして、漱石や龍之介を読み込むには、予備知識が必要だ。字面だけでは、著者の意図が完全に読み込めない。彼らは、そのように描いている。ただ、若い時のように、素直に単に表面的に、それを楽しむこともできる。それで、後年読み返すと、学生の時に読むのと、今読むのでは、印象が全く異なる。そこに文学の深さがあるのかもしれない。

そこで、今回は、謡曲の理解だけでもと、ざっと調べてみたのが、先日来のブログです。そして、もう一度読んでみると、意味を少し深く理解したような気がする。だが、まだまだ能の理解には、とても及ばないし、歌舞伎の知識も十分ではないし、『東海道中膝栗毛』もまだ読んだことはない。それらを理解すれば、もっと深く理解できるのだろう。このように、読めば読むほど味が出て、一生、楽しめる文学が、『真の文学』なのだろう。

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