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2006年6月29日 (木)

須磨と敦盛

須磨寺は、お寺としては、かなりテーマパーク化されており、観光を意識していることがよくわかる。大河ドラマがらみで紹介がされたことが輪をかけたのかもしれない。入場料が特にいるわけでもないので、手軽な観光にもなる。

平敦盛と熊谷次郎直実の話は、平家物語を通じて、あまりにも有名であるが、須磨寺には、敦盛の塚がある。ここにあるものは、「首塚」といわれるもので、義経が首実検した場所でもあるのだ。この寺にある「首塚」には、皆さん、よく参られるようである。また、この須磨寺には、有名な「青葉の笛」(『平家物語』では「小枝の笛」)があるし、敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した「源平の庭」などがある。

ところが、須磨浦公園にある「胴塚」はあまり知られていないようだ。山陽電車・須磨浦公園駅から3分のところの国道2号線沿いにある。約3.5メートルもある大きな五輪の石塔である。首実検のため、首は須磨寺の方に持ち帰られたため、胴がこちらに残ったのだそうだ。直実が、出家して、敦盛の菩提を弔い、供養のために建てた塚と云われる。その後、鎌倉時代に執権の北条貞時が平氏一門の供養のため建立したと伝えられる。真偽は定かでないが、流風は、そのまま捉えておこうと思う。

江戸時代には、西国街道を通る旅人や参勤交代の大名がこの塚に手を合わせたという。そして、ここにあった茶屋で「敦盛そば」を食べたという。また大正の頃までは、子供の病気回復を祈願し、平癒したお礼参りに笛の名手であった敦盛にちなんで、青葉の笛になぞらえた竹を奉納した例が多く見受けられたという。

それでは、須磨寺近くで買い求めた「敦盛だんご」をつまみながら、『平家物語・巻之九、敦盛最後』と謡曲『敦盛』を、もう一度読むとしよう。

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2006年6月27日 (火)

郵便サービスについて

流風は今年になってから、郵便を使うことを減らしている。それはなぜかというと、本年は年賀状が着くのが遅かったからである。いつもなら、元旦の午前中の9時半ごろに着くのに、今年は午後3時ごろに着いたのだ。そういうことで、郵便局に不信感を持つに至った。これは郵政民営化の影響とは考えたくないが、郵便局の怠慢であろう。

それに一般郵便物も、先方に着くのが遅いため、最近は郵便局を利用せず、メールを使うか、どうしても送らなければならないものは宅配便を利用している。また当方に着く郵便も、以前は毎日の配達であったものが、週3日になり、最近では雨の日の配達はなくなった。だから、先方にも、急ぐ場合は、郵便を使わないようにお願いしている。

このようなことを感じているのは、流風だけではあるまい。もちろん、民営化により、コストとの兼ね合いがあるかもしれない。しかし、それなら、はっきりとこのようになりますと、利用者に告げなければならない。サービスは利用者の納得である。現状、説明不足の感は否めない。

今後、年賀状は止めようかと思う。形骸化した年賀状もあまり意味がないし。いきなりは無理なので、とりあえず、来年からはメールにするという案内を出そうと思う。郵便局よ、これで、顧客を失いましたな。本当に、これでいいのかね。

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2006年6月26日 (月)

水と竜神 (下)

竜神の気性として、「自由を想う。自在を欲する。気ままを望む」とあるが、竜神というのは、人間そのものと鏡花は考えたのかもしれない。つまり竜神は人間の鏡であると。それがため、自制しないと自滅するとわかっているつもりだ。だが、自制するにも限度がある。そのことが人間の哀しさなのかもしれない。そのため、私達は何をしなければいけないのか。

・・・・「萩原晃」は自分を探しに来た親友の文学士である「山沢学円」に次のように説明をつけ加える。

・・・・そのために鋳た鐘なんだよ。だから一度でも忘れると、立処に、大雨、大雷、大風とともに、夜叉ヶ池から津波が起って、村も里も水の底に葬って、竜神は想うままに天地を馳すると・・・・こう、この土地で言い伝える。・・・・そのためには、明六つ、暮六つ、丑満つ鐘を撞く。・・・・・

ところが、平穏無事か続くと、里人はそのことの意味と大事さを忘れてしまう。老鐘守は亡くなり、誰も引き継ごうとしない。そこで「萩原晃」は、一旦立ち去ろうとするが、神主の娘で身寄りのない絶世の美人「百合」に惹かれ、老人の意志を引き継いで鐘楼守として残ることにする。

そして、まさに寺田寅彦が言ったという「天災は忘れた頃にやってくる」。つまり里人は旱魃で大騒ぎ。ご都合主義の里人は、雨乞いのため、犠牲が必要として、「竜神」に「百合」を差し出そうとする。「百合」は自害し、そのことに怒った「萩原晃」は鐘を撞くことを諦め、竜神「白雪」は、これ幸いと、剣が峰千蛇ヶ池の神の公達に会うため、雨どころか、大洪水を起こして、村を沈めてしまう。

昔の人々が理解した「竜神」とは果たして何だったのか、現代人も噛み締める必要がありそうだ。そしてヤシャゲンゴロウは鏡花風に言うと、「竜神の眷属」なのかもしれない。あまり疎かには扱えないはずだ。眷属から自然の全体である「神」を把握することは大切だ。「ヤシャゲンゴロウを育てる会」の人々に敬意を払いたい。

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2006年6月25日 (日)

水と竜神 (中)

そのような厳しい自然環境の中で、昔の人々は自然と協調することを覚えたようだ。そのことを如実にあらわしている典型が全国にある「竜神伝説」であろう。すなわち、水の神、雨乞いの神としての竜神の言い伝えである。山岳信仰と豊作を願う人々の思いがそうなったのだろうが、より切実であったに違いない。基本的に、いろいろ困難にぶつかり、自然を開発・破壊するのではなく、自然と共にあるという考えに至ったのに相違ない。

そういったことを泉鏡花は数々の小説や戯曲に著している。この地の同じ題名の戯曲『夜叉ヶ池』もその一つだ。多くの舞台や映画で公演されているのでご存知の方も多いだろう。彼は竜神を次のように考えた。

すなわち水害に悩む人々が選ばれた人間を人身御供に出すことによって、竜神の怒りを鎮め、そして、その人身御供も水に浴して、竜神になると考えたようだ。そして人身御供になった人がいたことを後世の人々は忘れてはならないという戒めを表現したかったようだ。それは非常に現代人に対しても、暗示的な戯曲である。

あらすじは主人公の一人である「萩原晃」が、諸国に伝わる不思議な物語を集めようとして東京を発ち、越前国大野郡鹿見村琴弾谷に立ち入る。そこで、五十年間、鐘を撞いてきた老いた鐘守、弥太兵衛から鐘にまつわる話を聞く。

それは、・・・・・・

 ここに伝説がある。昔、人と水が戦って、この里の滅びようとした時、越の大徳泰澄が行力で、竜神をその夜叉ヶ池に封じ込んだ。竜神の言うには、人の溺れ、地の沈むを救うために、自由を奪わるは、是非に及ばん。そのかわりに鐘を鋳て、麓に掛けて、昼夜に三度ずつ撞鳴らして、我を驚かし、その約束を思い出させよ。・・・・我が性は自由を想う。自在を欲する。気ままを望む。ともすれば、誓いを忘れて、狭き池の水をして北陸七道に漲らそうとする。我が自由のためには、世の人畜の生命など、ものの数ともするのでない。が、約束は違えぬ、誓は破らん―但しその約束、その誓を忘れさせまい。思出させようとするために、鐘を撞くことを怠るな。

・・・・のようであった。

(次回に続く)

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2006年6月24日 (土)

水と竜神 (上)

福井県南越前町の夜叉ヶ池で生息する昆虫、ヤシャゲンゴロウは絶滅危惧種に指定されているようだ。マニアの捕獲や登山者による池の水質汚濁で減少しているという。そこで、「ヤシャゲンゴロウを育てる会」を設立して、人工繁殖に取り組むそうだ。

環境汚染の被害は全国で深刻だが、最近は工場廃水とかいうものではなくて、不心得者や多くの人が自然に立ち入ることによる環境汚染が主流らしい。自然を守る意識と人々の少しの心がけで、これらの昆虫が絶滅しないで済むはずだ。

人は全ての動植物と共にある。もちろん、全体のバランスがあるので、全てを保護することはできないが、もっとお互いの存在価値を認めながら共存できないものか。特に水が重要なのは人間だけではあるまい。もっと水を大事にしたいものだ。

かつて農業が中心であった日本は、水との戦いであった。旱魃のように水がなくても困るし、そうかといって、雨が降り続いて、洪水のようになるのも困る。食物が育つ時期に合わせて、日が照ってくれたり、雨が降ってくれるように祈った。それは人間の勝手と言えばそうだが、生きるか死ぬかに繋がること故、止むを得ない。その中で、いかに人間が自然と折り合いをつけるかが大切だった。

次回に続く

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2006年6月22日 (木)

ファンドに関する報道の偏り

村上ファンドがかなりの運用益を上げて以来、また福井日銀総裁がファンドに投資していたことなどから、ファンドは、いつでも儲かるような誤解を与えかねない報道が目立つ。非常に偏った報道だ。

そもそも、投資ファンドは、投資信託同様、リスクマネーであり、いつでも運用益が上がるわけではない。むしろ運用損することも多いはずだ。福井日銀総裁も村上ファンドで損をしていれば、マスコミも取り上げなかったであろう。

村上ファンドは運用の仕方のルール違反をして、その結果としての運用益が批判されるべきなのである。だから投資ファンドについて、国民に誤解を与えかねない報道は慎むべきだ。

むしろ他人にお金を運用依頼する危さを報道しなければならないのに、その点が抜けている。こういうことが続けば、国民に「ファンドはいつでも運用益を上げられる」という間違った理解を与え、結果的に将来「報道賠償責任」を問う声も上がってこよう。

それに日本のマスコミは、一時的に報道で国民を煽りすぎる。残念ながら、程度が低いといえよう。新聞は、大分冷静な報道になってきたが、テレビ、ラジオの報道番組は、ひどい。全てとは言わないが、キャスター、スタッフのレベルの低さは目を覆うほどである。

報道番組に感情はいらない。キャスターやコメンテイターといわれる人たちが罵詈雑言を発するのは、とてもみっともないし、品性も問われる。もっと淡々と報道する必要がある。

事実に対して、国民は主体的に判断する。一般国民を馬鹿にしたような報道はいらない。常に冷静な多面的な報道が望まれる。そして国民は、程度の低いマスコミに煽られないようにしないといけない。

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米国産牛肉の輸入再開と危険対応

来月の7月より米国産牛肉の輸入再開がされるらしい。流風は絶対食べないぞ! 大体、米国産牛肉なんて、輸入再開するのは10年早い。米国内での牛の管理ができない状態で、それを改め、検査体制が十分整備されるには、最低10年はかかるはずだ。それを、輸入再開するなんて、日本政府はどうかしている。

流通産業は、店頭で扱うのは慎重なようだが、外食産業は、そうでもない。流通産業の店頭では、原産地表示がなされるが、外食産業は、その点に関して、一部を除けば、熱心ではない。こういう後進性が、年々外食産業が縮小している原因である。消費者に対して、情報をオープンにし、消費者側に立って、ビジネスを進める心構えが不十分なのである。外食産業といえども、米国産牛肉の採用はボイコットすべきなのである。

さて、再開された場合の、消費者の対応策も考えておかねばならない。流風の基本方針は次の通り。

ⅰ 米国産牛肉は絶対買わない。また店頭で原産地表示のない牛肉は買わない。

ⅱ 信用のある牛肉店で買うこと。

ⅲ 加工品、冷凍品は原産地を確認する。また米国産が混入していないか注意したいが、不明なことが多い。基本的には、原産地が不明な牛肉を加工しているものは利用頻度を減らす。お惣菜にも要注意。

ⅳ 外食産業を利用する場合も、原産地表示のない店は利用しないこと。

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2006年6月21日 (水)

タクシー業界の問題点

タクシー業界が大変らしい。料金の真の自由化はされていないはずだが、それでも競争が激しくなって、経営は大変らしい。

だが利用者の視点で考えると、タクシー料金は適正かどうかの判断は分かれる。利用者にとって、是非利用したい時は、安く感じるかもしれないし、あまり利用したくない時は、高く感じるかもしれない。

初乗り運賃が安くなっていると言うが、海外と比べれば高い。利用者からすれば、利用頻度によって、初乗り運賃300円も可能なはずだ。

そして基本的に、タクシー利用者が絶対的に少ないのでは、と思う。タクシー会社はそれぞれ販促活動しているようだが、流風は、その点が非常に弱く感ずる。販促が弱いのだ。

よくわからないが、運転手も、利用者に販促サービスを積極的にやっていないように感じる。それは、利用者が販促サービスを利用すると、運転手の実入りが減るという仕組みになっているのではなかろうか。

その辺を経営者側が配慮しない限り、販促サービスは適正になされず、利用者は販促サービスに反応しない状態になり、客は増えないままの状態に陥る。悪循環である。

また駐車の取り締まり強化に伴い、流れの客をつかむことがことが難しくなる現在、基本的には、配車中央センターの強化とマーケティングに基づく契約駐車場を借りたタクシーの分散配置が望まれる。タクシーは基本的に呼び出しが中心になると思うからだ。

そして駅に着いても、タクシー無料電話呼び出しのないところは多いので、(携帯で電話する利用客が多いと思うが、広告の意味も兼ねて)その充実も求められる。

それに運転手も積極的にタクシー会社の名刺を配布して営業する人も少ない。更に販促サービスの説明もこちらから聞かない限り、説明もない。

これらのことを積み重ねるという少しの意識変化で、経営状況は変るはずだ。そのためにも、経営者は報酬の伴う運転手の営業企画参画を積極的に求めるべきだろう。

経営者の顧客サービス意識の向上とリーダーシップで、運転手の意識を変えれば、経営状況も大きく変るだろう。そうすれば、こんなに大変だと騒ぐこともなくなるだろう。

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2006年6月20日 (火)

阪神が消える

阪神電気鉄道が、阪急ホールディングスに統合される。経営内容のよい企業が、それほどでもない企業に統合される。何か腑に落ちない嫌な気分だ。こんなことが横行してよいのだろうか。村上ファンドの罪は大きい。付け込まれた阪神の経営者にも問題があったかもしれないが、不正はしていない。そう考えると、対等合併にできなかった、この統合は一体何なんだと言いたい。

いずれ阪神の名は消えることだろう。阪急のベースで経営され、今までの経緯からすると、阪神タイガースも売却されるかもしれない。それは仕方ない。電鉄会社が球団を持つ時代ではないから。だが、何か得心がいかない不愉快な統合だ。

しかし、結局、阪神も、阪急も、両方とも名前が無くなるのかもしれない。一つの時代の終わりを告げているかもしれない。全く新しい統合名称ができるかもしれない。そう考えて、新しい時代を歓迎すべきなのかもしれない。

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2006年6月19日 (月)

小説『吉野葛』とルーツ

『吉野葛』は谷崎潤一郎の小説である。流風は学生時代の図書は、全て親に処分されてしまったので、ほとんど手元に残っていない。それが、この本だけは不思議に残っていたので、再読してみることにしたのだ。学生時代、一度ぐらい読んでいるはずのだが、筋は全く覚えていなかった。

谷崎潤一郎の評価は、基本的に分かれる。説明が長すぎて、行間を楽しめないということもある。読んでしまえば、何も残らないということもある。ある意味、気楽な小説が多い。大衆小説の運命かもしれない。だが、流風は嫌いではない。なんとなく、ほっとさせる人間性を持っていたのではと思う。

さて、この小説の内容は、吉野が舞台だ。吉野の地は潤一郎は相当関心が高かったらしく、小説の材料として、色々調べたようだ。その一部が、この小説に紹介してある。

吉野といえば、南朝が拠った場所であるし、義経が逃亡した先でもある。義経のことは、先のブログでも紹介した謡曲『二人静』で若干触れた。また、吉野川では、下流では「くず」を「葛」と表記し、上流では、「国栖」の字を充てている。後者の地の謡曲『国栖』のことも先日のブログでも紹介した。

小説の題名は、実は、筋から行くと『吉野国栖』の方が適切だと思うのだが、谷崎はなぜか『吉野葛』としている。「国栖」という文字が一般には馴染みが薄いからそうしたのかもしれない。他に理由があるのかもしれない。

簡単な筋としては、「私(谷崎)」が吉野に関心を持った頃、大学の同窓で、家庭の事情で中途退学して大阪に帰った友人「津村」が、「国栖」に親戚があるらしいということで、これ幸いと同行することになった。

実は、その「津村」氏は大阪で祖母に育てられ、母親のことを詳しく教えてもらえなかったので、祖母が亡くなったのを機に、出生の秘密と母親のことを知りたくて、祖母の遺品を調べると、母への手紙を見つけ、故郷らしき「国栖」を訪ねることになる。それ以上の詳しい内容は差し控えるが、谷崎独特の取材記事のようなものである。

人間というものは、ある年齢になると、自分のルーツを知りたがるものらしい。流風も一度調べてみたくなったが、大したことがなかったので、止めにした。それは日本人であれば、大差ないからだ。せいぜい祖父母までのことが、わかっておれば別に問題はない。それ以上知ったところで、どうなるものでもない。

先祖供養をきちんとやっておけばいいのだ。だが、親を早く亡くしてしまうと、親の詳しいことを知りたくなるかもしれない。それが人としての普通の感情なのだろう。それはそれとして、いずれ気が向いたら、吉野に行ってみようと思う。

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2006年6月18日 (日)

習慣ということ

左手は不浄とされて、左手でものを食べてはいけませんと、子供の頃、教えられた。現在は、どうなのだろう。トイレに行ったとき、どうされているだろう。こういうことは、国により考え方が違うかもしれない。

上記の例ではないのだが、日本では、男がトイレに行ったとき、小便の場合、大体用が済んでから、手を洗う人が多いだろう。ところが、ユダヤ人は手を洗ってから、用を足すという。男の大事なイチモツを触るのだから、手は清潔にしなければならないという考え方らしい。確かに、これは理にかなっている。流風も、その点は理解できるのだが、やはり用が済んでから、手は後で洗ってしまう。

習慣というものは恐ろしい。子供の頃、用を済ましてから手を洗うように教えられたからだ。そして、習慣を変えるのもなかなか難しい。頭で理解できていても、そのように行動できないのだ。だから習慣の打破には、強い動機づけ、強い意志と実行力が求められる。

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2006年6月16日 (金)

陳進展

兵庫県立美術館で開催されている『陳進展』を鑑賞してきた。台湾美術界の足跡を残された方で、日本の植民地下の時代に日本に留学して、日本画を学ばれたようです。

日本の和服姿も初期は描いていたものの、その後は、台湾人としてのアイデンティティーに基づく絵画を描かれた。だから、日本画でもなく、中国画とも異なるものになっている。それは「台湾画」というべき「陳進派」を最初は無意識に形成しようとしたのかもしれない。

さて、その絵はというと、日本画法を取り入れながら、中国服を着た台湾の女性のモデルが非常に多い。そして皆、遠くを見通すような強い眼差しである。

すなわち、日本画の人物像は、相対的に伏目がちにしたものが多いが、陳進氏の絵は直視したものが多いのだ。そのように心がけたのかもしれない。だが、その直視にも高い品性を感じられるのは戦前の日本画の影響を受けているのかもしれない。もちろん台湾の上流階級育ちの影響もあると思うが。

また別の特徴として、モデルをそのまま描いていない。モデルとは全く違う絵になっている。彼女の姉をモデルにしても、美人の姉とは違う顔つきになっている。どちらかというと、本人の自画像に近い(『悠閒』)。これは全ての絵に言えるのではないか。モデルに全て彼女自身を投影しているように感じる。

それに女性らしく、指輪、腕輪、イヤリング、ブローチ、ネックレスを描かれており、また色彩のバランスにもきめ細かく配慮されている。子供と一緒の絵は、母親が子供に細かく配慮している様子が描かれている。こういう点は女性ならではのことだろう。

陳進氏が日本に滞在中の、日本画も紹介されており、まずまずの展覧会である。

*『陳進展』 前期     開催中~7月2日(日)まで  後期 7月4日~7月23日(日)

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2006年6月15日 (木)

医療ネタ?パート2のその3

医療に関するスペインのお気楽ジョークの前回の続きです。今回で最終です。カッコ内は流風のコメント。

◆専門医

若い医者の診療室にいた時、患者が一人入ってきたと考えてくれたまえ。

「どうしました?」と医者が訊いたね。すると、

「先生、風邪がひどくて」と患者が説明していた。医者は考えたね。4~5分もたったろうか。やっと、

「さーてと、さしずめ家に帰って熱いお風呂にでも入るんですね。それから、身体をふかずに、風の中にしばらく立っていてください」

「それで風邪引きが治るんですか?先生」

「いいえ、そうすれば肺炎に罹ると思うんです。私は風邪引きについては、全然わからないんですけれども、肺炎ならどう治療すればいいか知っているんです」と答えていたよ。さすが専門医だね、彼は。

(ジョークとは思えない、流石だね。こうして患者と専門医の距離はどんどん遠くなる?)

◆診察

「奥さん舌を出して・・・・。はーい、しばらくのそのままでいてくださいよ。私にも少ししゃべらしてもらわないとね」

(医師じゃないけど、その気持ちわかる。おしゃべりの女性患者を黙らせるには、舌を出させたらよいのだ。これは妙案。だけど肝心なことを何も話さない患者も困るだろうけど)

◆妙案

「先生、不眠症で困っているんです」

「じゃ、この水薬をどうぞ。30分おきにこれで、うがいをするんですね」

「それで治るでしょうか?」

「さあね。しかし、一晩中それで気がまぎれることだけは確かですよ」

(現在の日本でも、中高年のこの悩みは深刻です。ただ気にすると眠れないのは確か。)

(番外編)

◆ネクタイ

「夫は失神状態で臥せっておりますの」

「お医者さんは、どう言ってて」

「二度とあんなネクタイの締め方をしないようにって」

(医師で、女性プロレスラーと結婚された方がいらっしゃいましたね。目に浮かぶ)

◆診断結果

「あなた、お医者さん、どう言ってらっしゃるの?」

「うん、食後に胃腸薬を匙一杯飲むようにって。そして、君には、料理の勉強をさすようにだって」

(新婚さん? 最近は新婚さんとは限らないか)

◆ぜひ聞きたい

「先生、夫は毎晩、寝言を言いますの、でも一言も十分には聞き取れないんです。もう少しはっきり言わすような処方箋頂けません?」

(危ない、危ない。そういう薬があるらしい)

◆用心深い男

医者は夫人を診察してから、夫を別室へ呼んで診察結果を告げた。

「奥さんに仰ってください。ただ年の故で、たいしたことはありませんって」

すると旦那は、頬をぴくぴくさせながら、呻くにして言った。

「それは、そのおー・・・・ 先生、駄目でしょうか? 先生が仰ってくださいということで・・・」

(恐妻家)

◆本当のことを言う時

「なあ、お前、わしがもう死んでいくんだから、これまで、わしに嘘をついていたことがあるんだったら、この際、言っておくれ」

「いいわ、あなた。・・・でも、もし、あなたが死ななかったらどうなるの?」

(やはり、あるんだ)

◎出典
  『スペインジョーク集』(山田善郎訳編、実業之日本社。1980年刊)より抜粋

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2006年6月13日 (火)

相談相手

ここへ来て、色々な相談を受けることが多くなってきた。流風は別にそれを生業としているわけではないのだが、知人や友人から、相談事を持ちかけられることが増えたのである。相談内容は様々である。事業承継の悩みや、子供との関係のこと、親の介護、夫婦のことなど若干深刻な内容が多い。

だが先日は、しばらく音信不通の会社員時代の先輩から連絡が来たのには少し驚いた。今年、定年退職するらしいのだが、仕事一筋にやってきたため、今後どう過ごせばよいかわからない、ということだ。

本当に人の悩みは様々だ。他人から見れば、どうってことないのに悩んでいる。悩みというものは千差万別のようだ。そういうと、流風も、後から考えると、どうでもいいことをくよくよしたりしていたことを思い出す。

相談は基本的に会って話を聞くことにしている。電話でもいいのだが、やはりこういうことは顔を見ないとわからない。大体が食事をしながらということになる。酒が入ると本音も明らかになる。そして皆、それなりに答えを持っている。流風は結局、聞き手に回って答えを引き出すだけだ。

ということは、友人や知人は、話を聞いてもらいたいだけなんだとも思う。それでも、帰り際には、心持、顔の表情が明るくなっているのは幸いである。流風としては、食事をおごってもらって喜んでいるのだが(笑)。

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2006年6月12日 (月)

お局様パーソナリティー

お局様といえば、大奥における春日の局が有名だが、一般企業においても、いつ頃からか、古手の女子社員を指して「お局様」と呼ぶようになった。だが、古手だからといって、全てが全て、お局様になれるわけではない。彼女たちは一種の能力が評価されて、そのように言われる。

もちろん、先輩社員として、仕事のことは詳しい上に、在籍年数が長いため、社内事情に明るい。また特に私情報もよくつかんでいる。

「私」の部分での“秘密諜報員”の長として、隠然たる力を持っている場合が多い。配下の諜報員を手なずけておいて、社員の私生活について詳しい情報が入るようになっている。

一般にトップとしても、社員の情報を握ることは貴重であるため、彼女等と直結する場合も多い。それを背景として、彼女等は絶大な陰の権力者になるのだ、と言えば言い過ぎか。

さて、マスコミも、最近は局も考えて、女性のアナウンサーの起用が多い。パーソナリティーとしての起用も増えているようだ。世の中、女性の時代だから、それに対応するには、女性を起用せざるを得ない事情もあるのだろう。

ところで、あるラジオ番組は、早朝に報道情報番組であるにもかかわらず、お局アナウンサーらしき女性を起用している。かなり厳しい社会問題も、女性が取り上げると、言うことは辛口で、結構きついのだが、ソフトに聞こえるのは不思議だ。

あれが男性アナウンサーが、朝から論理的にがなり立てれば、うるさいなあと感じるはずが、女性の声だと、適当に聞き流しつつ、割と聞いている自分に気づいた。もちろん、スタッフのバックアップ体制がしっかりしていることが、番組を作っていることは間違いないだろう。

聞き終わる頃に、やっと目が本当に覚めてくる。そういうことで、朝は、適当にいい加減に聞いている。そういうありがたさがある。多分この番組が、夕方だと、きっとかったるい感じがするだろう。

早朝ということで、意外なお局効果が出ている。だが、お局様が表面に出ているということは、本来おかしい。そういうことで、あの女性パーソナリティーは、単にお調子者で、真にお局様ではないかもしれない。お局様は、局の奥深くに潜んでいるのだろう(笑)。

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2006年6月 9日 (金)

医療ネタ?パート2のその2

医療に関するスペインジョークの続き。少し人間味があるのが、スペインジョークかな。あまり辛らつではない。

◆それは無理

診察室で医者が患者に言った。「長生きしたいのなら、ぶどう酒より水をもっと飲むんですね」

「先生、そんなことをしたら、私は死んでしまいますよ。なにせ私は毎日5リットル以上もぶどう酒を飲んでいるんですから」

(スペインのぶどう酒は確かに美味しいが・・・・)

◆よき仲介人

「で、僕の紹介だって聞いた時、お医者さんは君に何て言った?」

「前払いでお願いしますってさ」

(日本でも支払いの悪い患者が問題になっているようだが)

◆同い年

「この右足の痛みは心配いりませんよ。きっと年のせいですな」

「しかし、先生。左足の方も同い年ですが、全然痛まないです」

(なるほど、そう言われれば、そんな気もする)

◆暇つぶし

狩り好きの医者が友人と話していた。

「狩りは暇つぶしにもってこいだ」

「君は患者と暇つぶしをいつもやっているんじゃないのか?」

(患者との会話も見ようによっては)

◆人間ではない

「先生、朝は鶏の鳴き声と共に起き、ロバのように働き、ライオンのように食べ、鶏の寝るのと一緒に、まるでモルモットのようにぐっすり眠ります。それなのに、どうも身体の具合が良くないんです。どうしたらいいのでしょう?」

「わかりませんな。一度、獣医と相談しておきましょう」

(人間の域を超えている)

◆他人事

兄「注射なしで歯を抜いてもらいに来ました」

歯医者「ほお、君のように勇気のある子は大好きだよ。さあ、どの歯かな?」

兄は弟に向かって、「おい、どの歯か、お見せ」

(日本でも、実際そういう方がおられるのには驚きです)

◆固定

医者「さあ、舌を出してごらん。もっと、もっと。もうちょっと出してー」

患者「無理言わないで ! 反対側は固定されているんですから」

(舌の長さは個人差があるようで)

更に次回につづく。

◎出典
  『スペインジョーク集』(山田善郎訳編、実業之日本社。1980年刊)より抜粋

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2006年6月 8日 (木)

吉野と謡曲『二人静』

今回取り上げる謡曲『二人静』は、場所は吉野で、旧暦1月7日の出来事だ。少し時期はずれなのだが、関心を持ったので、この時期に敢えて、メモ的に取り上げてみた。

謡曲の内容は、現実に静御前が二人いるわけではなく、静御前の霊が菜摘女に乗り移った上に、魂だけが生体分離して、第三者には二人に見えるという怖いお話である。

よく巫女に過去の人物が乗り移って、変な声で、その人物の意思を伝える様子が、ドラマなどで表現されるが、霊感の強い人は現代でも感じ取るらしい。見えない世界が、現実の世界を支えていることは何とかわかるが、流風は、その方面には、とんと鈍いので、何も感じない。だが、その方が気楽で助かっている。

さて、この謡曲も、他の謡曲同様、よくあるタイプで、基本的には魂を鎮めるということが底辺にある。あらすじは次のようになっている。

一 吉野勝手明神の神職は、旧暦正月7日に神社にお供えする若菜摘みを女に命じました。その後、若菜摘みに行った女を呼び戻しに、下人を遣わす。

二 その頃、菜摘女が若菜を摘んでいると、一人の女が現われて、菜摘女には正体は明かさず、神社の人々に「自分の跡を、1日経をあげて回向して欲しい」と言伝を頼み、「もし信じてくれそうになく、疑う人があれば、菜摘女にとり憑いて名乗って説明する」と言い、消えうせる。

三 驚いた菜摘女は神社に帰り、事の次第を神職に告げるが、自分でも半信半疑で不思議だと言った瞬間、物に憑かれたようになり、驚いた神職が尋ねると、判官殿に仕えていた女だと答える。

四 それが静御前だとわかると、神職は舞を所望し、弔いを約束する。

五 昔の舞装束を取り出し、それをつけて菜摘女が舞い始めると、同じ装束の静御前が現われ、昔の思い出を語り~義経の吉野落ちの辛苦の様子や、頼朝に召されて舞を所望され、舞わされたことを語り~「しずやしず」の歌を謳って、女の影に寄り添う如く共に舞う。

六 やがて、回向を頼みつつ、消え去る。

義経と静御前の別れは有名だが、静御前が義経への愛を貫き通したことも悲しみを誘う。これくらい彼女に愛されれば、義経も本望だろう。でも引き裂かれた愛だから、想いはより深くなるのだろう。

静御前は、吉野で義経と別れて後、捕らえられて、北条時政に引き渡され、更に鎌倉に送られる。その後、京に帰されるが、消息は不明との事。彼女が、無事な人生を送れば、このような謡曲は作られなかったかもしれない。いや、案外生きていることも多いのだが、何とも言えない。

静御前にとっては、義経は初めてのいい男だったのだろう。それだけに想いも深かったようだ。謡曲にもあるように、頼朝の前で義経を慕う歌を歌い、頼朝を激怒させつつも、舞ったことは有名だ。義経との間に子供を身ごもって男子を産むが、殺される。それがますます彼女の悲哀さを増している。

折角いい話なのに、脱線的に付け加えると、義経は、現在の判断では、外見は実際、背が低くて不細工だったと伝えられている。醜男に美女の組み合わせだ。これは今でもよく見受けられる。現実に美男・美女の組み合わせは少ないのは、世の男にとって、若干少し安心な材料であるだろう。

*参考 静御前の歌 二首

          吉野山 峰の白雪 ふみわけて

                 入りにし人の あとぞこいしき

          しずやしず しずのおだまき くりかへし

                 昔を今に なすよしもがな

*追記

なお静御前は晩年、母の磯の禅師の故郷である現在の兵庫県淡路島志筑荘(しづきしょう)の里で暮らしたとも伝えられる。淡路文化史料館の濱岡きみ子氏によると、経過は次のようである。

頼朝の前で、舞を舞った静御前は、彼の不興を買いながらも、頼朝は彼の妻の北条政子と一条中納言能保(よしやす)の妻に、なだめられた。ちなみに能保の妻は頼朝の妹だ。その後、静御前は、剃髪し、再性尼(さいしょうに)と名を改め、亡き義経の供養を弔う。

能保(よしやす)の妻は、これに同情し、能保に進言する。彼が、かつて妻を娶る時、頼朝から贈られた領地に、志筑荘があった。そこで、静御前と、母の磯の禅師と一緒に暮らせるようにしたという。現在も、静の里公園として残っているそうだ。

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2006年6月 7日 (水)

医療ネタ?パート2のその1

医療ネタ?を再度取り上げてみる。前回はイギリスのジョークだったが、今回はスペインの医療に関するジョーク。お国柄の違いがあるように思う。この国のジョークは単に医療者をちくりとからかうだけでなく、患者にまつわる話が多い。いろいろあるので、数回に分けて紹介する (カッコ内は流風のコメント)。

◆あてはずれ

母と娘が診察を受けに来た。

医者が娘に、「さあ、全部脱いでください」

「先生、病人は私の母なんですが」

「そうでしたか。じゃ舌を出して・・・」

(最近は日本でも不埒な医者がいるようで、ジョークの世界を超えているようだが)

◆紹介

「こちら、医者でなくて獣医のロドリゲスさんです」

紹介された当の本人が言葉を続けて、

「本当は人間相手の医者なんですが、この人を何回か治療しているうちに、世間では、私のことを獣医と呼ぶようになってしまいました」

(大変な患者みたいですな)

◆しばらくの間

奥さんは大病を病んでいる。医者が往診から帰っていく。女中が戸口まで送ってすぐに戻ってくる。

奥さんが心配そうに、「お医者さんは何ておっしゃってたの?」

「お喜びくださーいませ、奥様。お医者様はお苦しみになるのも、もうわずかな間だからと仰いました」

(馬鹿正直も何とやら。それとも・・・)

◆お礼

「どうしてお医者さんに、こんな豪華な贈り物をするんだい?」

「うちの姑を診てもらったお礼なんだ」

「治ったのかい?」

「いいや」

(どこの国も事情は同じようで)

◆辛抱

「お気の毒ですが、・・・・奥様はもう一週間ともたないと思います」

「そうですか、先生。20年も辛抱してきましたので、もう1週間ぐらいどうっていうこともありません」

(日本では、大抵が逆かも。それとも将来はこのようになる?)

◆医は算術

診察室を出て来た医者が手を洗う間もなく、受話器を取り上げた。

「やあ、お前か。頼まれていたミンクの毛皮、やっと買ってやれるぞ。手術を要する患者を診てきたところだ」

(どこの国でもいそうな感じ。日本には、そんな医師はいませんよね  ! そう願いたい)

◆いくら気丈でも

妻が診察を終えた著名な医者が口ごもっているのを見て、

「先生、私、気丈な方なんです。包み隠さずおっしゃってください。大丈夫ですから」

「8500ペスタなんです・・・・」 (とにかく驚くほど高いのですが、という意)

(診察する前に治療費を聞くか、治療が終わった後に治療費を聞くか。現在の通貨はユーロ。ちなみにユーロ=166.386ペスタらしい。)

次回へ、つづく。

◎出典
  『スペインジョーク集』(山田善郎訳編、実業之日本社。1980年刊)より抜粋

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2006年6月 6日 (火)

後継争いと謡曲『国栖(くず)』

兄弟で始めた事業で、兄が社長で、その次は弟と決めていたが、兄は子供に代を譲りたくなって、醜い後継争いをする。よく聞く話だが、これは昔も今も変らないようだ。人間は、そういう面では進歩していないということか。

謡曲『国栖(くず)』は、皇位継承時における事件を取り扱っている。天智天皇の没後は、大海人皇子が、その後を継ぐという暗黙の了解があったものの、天智天皇は長男の大友皇子に継がせようとした。大友皇子は大海人皇子を追い捕らえて殺そうとする。大海人皇子は吉野山中深くに身を隠され、その時、老夫婦に助けられる話である。

いろんなところで、あらすじは紹介されているが、メモとして念のため記載してみる。

一 貴人(浄見原天皇。大海人皇子のことで、後の天武天皇)は、大友皇子に追われて、吉野川上流の吉野山中に逃げ込み、休憩しようと、ある民家に入る。

二 川舟に乗って釣りをしていた老夫婦は、近所まで帰ってくると、家の上空辺りに星が輝き、紫雲が棚引くのを見つけ、高貴な方が家にいるのかもしれないと家に急ぐ。

三 帰ってみると、やはり冠直衣の人がいました。霜露に濡れているとはいえ、高貴な方には違いないと思う。侍臣はある事情で追われていることを話し、匿って欲しいと話す(身分はまだ明かしていない)。そして、数日何も召し上がっていないので、何か召し上がり物を差し上げるよう頼む。

四 そこで老夫婦は、釣ったばかりの国栖魚(鮎のこと)と摘んだばかりの根芹を食事として、供する。

五 老夫婦の心づくしのもてなしに感謝した貴人は、料理の残りを老翁に下賜する。老翁は半身の残った国栖魚を裏返して、その活きのよさに驚き、吉凶を占うため、国栖魚を吉野川に放つと言う。訝かる嫗に翁は神功皇后の先例を説き、戦況を占った時、うまくいくなら魚よかかれと念じて、釣り針を投げると鮎がかかった。今回も同様に、国栖魚が蘇れば、貴人は都に帰れるだろうと言う。

六 そこで吉野川に投げ入れてみると、焼かれて、半身食べられた国栖魚がいきいきと泳ぎ始め、見事生き返ったので、還幸になる吉兆だと喜ぶ。

七 そこへ追っ手がかかり、それを察した老夫婦は、船を担いできて伏せておき、その中に貴人を隠します。追手は船に疑いの目を向けますが、演技力抜群に巧みに追手を欺き、追い返す。

八 身分を明かした天皇は、君は臣を育むというのに、反対に助けられる身の上を嘆く。命を助けられた天皇は、老夫婦に感謝して、都に還ることがあれば、必ず恩を返すと約束する。老夫婦は感涙にむせぶ。

九 さて、夜も更け、辺りは静まり返り、どのようなもてなしをすればよいか老夫婦は考える。吉野山に相応しい歌舞や音曲で慰めようとすると、風に乗って、音楽が聞こえ始め、天女の来臨となり、妙なる音楽に合わせて天女が舞い始め、いつのまにか、老夫婦は消え去る。

十 それから、他の神々も来臨し、蔵王権現も現われ、天皇の御代を寿ぐ。

この老夫婦は、地方の権力者だろう。要するに大海人皇子は、地方の権力者に頼って、復活を遂げたということだろう。いずれ、この老夫婦の権力者は優遇されたに違いない。その後の権力構造については不明だが、権力争いは、思惑のある支持者を巻き込んで泥仕合をする。そして勝利者は常に正しいという文化が残る。この『国栖(くず)』は、時代は違うが、作者の時代に、『国栖(くず)』と同様なことが起こり、作者が当時の権力者におもねたものかもしれない。

ただ、そういう風に捉えてしまうと、こういうものは楽しめない。単純に謡曲文化を楽しんでしまおうか。でも、権力を望む人間の性というものは、客観的にみれば、馬鹿馬鹿しい。しかし当事者になると見えなくなるんだろうな。どこかの国でも、権力闘争が始まるようだ。こちとら庶民は高みの見物といきますか。

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2006年6月 3日 (土)

医者は足りないのか

報道で、最近、医者が足りないという話に接する。実際はどうなのだろうか。患者側としては、病気になってみないとわからない。すなわち、自分の病気を診てもらえない状態になって初めて医者がいないと自覚するのかもしれない。また簡単に治る病気とそうでない病気では受け止め方が違うだろう。

例によって、報道は一面的だが、いろんな地域での、それぞれ違った課題を解決することを考えなければならない。都市と地域では、その課題は違うはずだ。マスコミに煽られるだけでは何も解決しない。単に医師が少ないという一般的な論法だけでは解決の糸口は何もつかめない。

すなわち、その地域において、何が課題なのかを明確にしていく必要がある。ということは、それぞれの地域の現場を知っている医師と患者が課題を設定して、地域として問題解決の方法を探らなければ、前に進まないと言うこともできる。単に大変だから、何とかしてくれと言っても、何の解決にもならないのだ。

例えば、特に小児科は医師が足りないとよく言われる。実際、小児科医は少なく、私の知り合いは小児科に行かず、内科で診てもらっている。小児科の対象年齢はよくわからないが、赤ん坊でも、内科で診てもらえば小児科医の負担は減るはずだ。医療の細かい分業が地域では不適切な場合もある。一人の医師で何でも一応判断できることも求められる場合もあるだろう。もちろん、地域による特性や医師の絶対人数が少なければ、その問題は解消しないので、医師の絶対数の供給問題はある。

だが根本的な問題としては、医療によっては、医療者側と患者側で、協働が求められる。小児科問題では、親も、幼児への接し方がわからず、何もかも医師に頼る意識を変えない限り、医師の負担は大きくなるばかりである。相談する人が近隣にいないため、子供は本当は病気でないのに、病院や診療所に行くケースも相当あると考えられ、行政はその面でのバックアップ体制作りを、推進すべきだろう。そのような医療は、地域全体で考えなければならない問題だ。課題が明確になれば、行政も動きやすいと思う。

*平成20年2月18日追記

丹波・小児科を守る会では、医師の負担をかるくするため、患者サイドから地域医療を守るため活動している。こういう活動が全国的に広がることが望ましい。

  http://mamorusyounika.com/

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2006年6月 2日 (金)

中小企業は誰が育てるのか

中小企業やベンチャー企業の起業・育成は、いつの時代でも必要だ。だが、この「中小」と「ベンチャー」いうのが紛らわしい。単に小規模で起業と捉える人もいるし、上場を手段とした起業を指すという人もいる。共通して言えることは、社会に対して新しい取り組みをする企業と言えようか。

しかし、中小企業の創業の場合、ベンチャー企業のように、高いリスクをとって、時代を革新するようなビジネスとは基本的に異なる。だから当初は上場を目標とはしない。中小企業にとって、本来それは成長・飛躍のための段階的手段のはずである。それを勘違いしている経営者や投資家がいたりする。中小企業の創業とベンチャー企業の創業はそこが異なる。だが、上場したベンチャー企業の中には、中小企業と同様の意識の経営者がいる。そういうことが、投資家を含めて、意識を混乱させている。

さて、中小企業を育成するのは誰なのか、と問われると、それはまた様々な回答がある。例えば、昔は、中小企業の創業には、これと見込んだ人物には、篤志家という人たちがいて、彼らに資金を融通していた。その返済には期限を設けず、成功したら返す(出世払い)というリスクの高いものである。成功して、元本に加えて、どれくらい返すかも決めていない。

だから現在の投資家のように、早く回収するなど思っても見なかったのだ。それでも、当時の中小企業の創業者は、そのことに恩義を感じ、意気に感じて、皆、馬車馬のように働いた。だから、皆成功した。もちろん、失敗した人たちもいたが、それで追いつめるようなこともしなかった。新しい働き場を紹介したり、与えたりして、次のチャンスを与えたのだ。

現在では、中小企業が成功するには、第三者の客観的なアドバイスと実行力が求められる。地域銀行が大変な時期、中小企業は資金を集めるため、やむなく直接金融という上場を目指したが、それは本末転倒というべきだ。当時は仕方なかったが、(メガバンクほどてはないが)地域銀行もやや落ち着きを取り戻した現在、中小企業は地域銀行が育成すべきだろう。

その中で、力を養った企業だけが、更なる事業拡大に向けて、資金調達をするために上場する本来の姿に戻るべきだ。未だに上場に期待を寄せる経営者がいるが、上場は目的ではないはずだ。上場はしないというのも選択肢の一つだ。上場したベンチャー企業の経営者が投資家や格付け会社から罵詈雑言の限りを言われているのを知っているのだろうか。ベンチャー企業の経営者は覚悟の上とはいえ、真面目な経営者であれば、見るに忍びない。

新規事業を行う場合、ある程度のプレッシャーは必要だが、プレッシャーをかけすぎると、経営者の本来の使命感の達成につながらない。あの“助長”の言葉の謂れのようにあせってはいけない。使命感を損なう外部の圧力をできるだけ避けるには、中小企業は、ベンチャー企業のような早すぎる上場は避けるべきだろう。じっくりと中小企業を育成していく地域銀行の活躍が今以上に期待される。

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