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2006年6月18日 (日)

習慣ということ

左手は不浄とされて、左手でものを食べてはいけませんと、子供の頃、教えられた。現在は、どうなのだろう。トイレに行ったとき、どうされているだろう。こういうことは、国により考え方が違うかもしれない。

上記の例ではないのだが、日本では、男がトイレに行ったとき、小便の場合、大体用が済んでから、手を洗う人が多いだろう。ところが、ユダヤ人は手を洗ってから、用を足すという。男の大事なイチモツを触るのだから、手は清潔にしなければならないという考え方らしい。確かに、これは理にかなっている。流風も、その点は理解できるのだが、やはり用が済んでから、手は後で洗ってしまう。

習慣というものは恐ろしい。子供の頃、用を済ましてから手を洗うように教えられたからだ。そして、習慣を変えるのもなかなか難しい。頭で理解できていても、そのように行動できないのだ。だから習慣の打破には、強い動機づけ、強い意志と実行力が求められる。

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