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2006年6月19日 (月)

小説『吉野葛』とルーツ

『吉野葛』は谷崎潤一郎の小説である。流風は学生時代の図書は、全て親に処分されてしまったので、ほとんど手元に残っていない。それが、この本だけは不思議に残っていたので、再読してみることにしたのだ。学生時代、一度ぐらい読んでいるはずのだが、筋は全く覚えていなかった。

谷崎潤一郎の評価は、基本的に分かれる。説明が長すぎて、行間を楽しめないということもある。読んでしまえば、何も残らないということもある。ある意味、気楽な小説が多い。大衆小説の運命かもしれない。だが、流風は嫌いではない。なんとなく、ほっとさせる人間性を持っていたのではと思う。

さて、この小説の内容は、吉野が舞台だ。吉野の地は潤一郎は相当関心が高かったらしく、小説の材料として、色々調べたようだ。その一部が、この小説に紹介してある。

吉野といえば、南朝が拠った場所であるし、義経が逃亡した先でもある。義経のことは、先のブログでも紹介した謡曲『二人静』で若干触れた。また、吉野川では、下流では「くず」を「葛」と表記し、上流では、「国栖」の字を充てている。後者の地の謡曲『国栖』のことも先日のブログでも紹介した。

小説の題名は、実は、筋から行くと『吉野国栖』の方が適切だと思うのだが、谷崎はなぜか『吉野葛』としている。「国栖」という文字が一般には馴染みが薄いからそうしたのかもしれない。他に理由があるのかもしれない。

簡単な筋としては、「私(谷崎)」が吉野に関心を持った頃、大学の同窓で、家庭の事情で中途退学して大阪に帰った友人「津村」が、「国栖」に親戚があるらしいということで、これ幸いと同行することになった。

実は、その「津村」氏は大阪で祖母に育てられ、母親のことを詳しく教えてもらえなかったので、祖母が亡くなったのを機に、出生の秘密と母親のことを知りたくて、祖母の遺品を調べると、母への手紙を見つけ、故郷らしき「国栖」を訪ねることになる。それ以上の詳しい内容は差し控えるが、谷崎独特の取材記事のようなものである。

人間というものは、ある年齢になると、自分のルーツを知りたがるものらしい。流風も一度調べてみたくなったが、大したことがなかったので、止めにした。それは日本人であれば、大差ないからだ。せいぜい祖父母までのことが、わかっておれば別に問題はない。それ以上知ったところで、どうなるものでもない。

先祖供養をきちんとやっておけばいいのだ。だが、親を早く亡くしてしまうと、親の詳しいことを知りたくなるかもしれない。それが人としての普通の感情なのだろう。それはそれとして、いずれ気が向いたら、吉野に行ってみようと思う。

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