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2006年6月25日 (日)

水と竜神 (中)

そのような厳しい自然環境の中で、昔の人々は自然と協調することを覚えたようだ。そのことを如実にあらわしている典型が全国にある「竜神伝説」であろう。すなわち、水の神、雨乞いの神としての竜神の言い伝えである。山岳信仰と豊作を願う人々の思いがそうなったのだろうが、より切実であったに違いない。基本的に、いろいろ困難にぶつかり、自然を開発・破壊するのではなく、自然と共にあるという考えに至ったのに相違ない。

そういったことを泉鏡花は数々の小説や戯曲に著している。この地の同じ題名の戯曲『夜叉ヶ池』もその一つだ。多くの舞台や映画で公演されているのでご存知の方も多いだろう。彼は竜神を次のように考えた。

すなわち水害に悩む人々が選ばれた人間を人身御供に出すことによって、竜神の怒りを鎮め、そして、その人身御供も水に浴して、竜神になると考えたようだ。そして人身御供になった人がいたことを後世の人々は忘れてはならないという戒めを表現したかったようだ。それは非常に現代人に対しても、暗示的な戯曲である。

あらすじは主人公の一人である「萩原晃」が、諸国に伝わる不思議な物語を集めようとして東京を発ち、越前国大野郡鹿見村琴弾谷に立ち入る。そこで、五十年間、鐘を撞いてきた老いた鐘守、弥太兵衛から鐘にまつわる話を聞く。

それは、・・・・・・

 ここに伝説がある。昔、人と水が戦って、この里の滅びようとした時、越の大徳泰澄が行力で、竜神をその夜叉ヶ池に封じ込んだ。竜神の言うには、人の溺れ、地の沈むを救うために、自由を奪わるは、是非に及ばん。そのかわりに鐘を鋳て、麓に掛けて、昼夜に三度ずつ撞鳴らして、我を驚かし、その約束を思い出させよ。・・・・我が性は自由を想う。自在を欲する。気ままを望む。ともすれば、誓いを忘れて、狭き池の水をして北陸七道に漲らそうとする。我が自由のためには、世の人畜の生命など、ものの数ともするのでない。が、約束は違えぬ、誓は破らん―但しその約束、その誓を忘れさせまい。思出させようとするために、鐘を撞くことを怠るな。

・・・・のようであった。

(次回に続く)

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