« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月31日 (月)

日陰と日向

雨が多い日が続いていたが、ここへ来て、一転かんかん照りである。その変化の激しさで、若干バテ気味だ。日差しの強い中を出て行くのは勇気がいる。

子供時代、無謀にも、毎日毎日、こんな暑さの中を走り回っていたことを思い出す。母に、麦藁帽を必ず着用するように言われ、麦茶の水筒を持たされ、「日陰を歩くのですよ」と出かけるたびに言われていた。確かに、日陰は、温度が全く違うため、水遊びやどろ遊びに疲れたら、日陰に入ったり、木陰に入ったりしていた。

動物も日陰は好きで、近所の犬や猫は、車の下に隠れたり、軒下に隠れていることも多い。ただ猫は、この熱い道路に横たわっていることもある。あれはちょっと理解不能。

さて、日陰といえば、「日陰の身」とか言って、卑下する場合もあるが、それはそれで案外いいものかもしれない。日向のようにスポットライトはあたらないものの、気楽さがある。多少の気鬱さはあるかもしれない。とは言っても、これは仕事の場合の話で、女性は、「日陰の身」は辛いだろうが。

他方、日向は、スポットライトは浴びるが、厳しい環境に置かれる。それだけに強い精神力と体力を要する。そして、日向ばかり歩いていると倒れてしまう。時々適切に日陰に入ることが、やはりいいのだろう。

そして日陰や日向ばかり歩いていると、リーダーにはなれない。日陰の気持ちも日向の苦労も知って、初めて人の痛みがわかる。日陰も日向も、それぞれ大変であることを知ることが大切だ。

また頭でっかちになりつつある日本の子供たちは、日向にあたるよう誘導しないと、将来“もやしっ子”の大人ばかりになってしまう。子供たちも、夏休みぐらいは、勉強を忘れて、外で遊ばせてもらいたいものだ。そういった経験は必ず人生に大きな影響をもたらすはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月27日 (木)

平凡な人間の哀しさ

平凡に生きることは、簡単そうで意外と難しいことが、この歳ぐらいになると皆わかるようになる。若い時は、出世や目立つことを意識したりするが、その地位に就けば、それはそれなりに大変であることを知る。

だから、平凡な人間が器を大きくせずに、トップになると、そのプレッシャーは大きい。どこかの首相も、辞める前になって、ホッとしたのか、失言のオンパレードである。彼は、トップとしての見識もなく、必ずしも相応しくなかったかもしれないが、トップを長きにわたって演じてきた。

平凡な人間にとって、それは大変なことと察する。本来、平凡な政治家で終わるところを、間隙を突いてトップになってしまった悲劇である。退任後は、余生を平凡な人生で終えてもらいたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月25日 (火)

自動車産業は衰退するのか

自動車の新車の売れ行きがあまり良くないらしい。確かに国内に限ってみれば、高齢化と少子化で、自動車を運転する人は減るだろう。それに東京圏を中心として、人口の集中は自動車産業にとって、あまりよくないかもしれない。

人口の集中は脳の仕組みと似ているそうだから、ほっておけば、都市化はもっと進んで、自動車産業は衰退するかもしれない。

だいたい、狭い日本において、車が必要以上に多すぎるのも事実だ。そこを人々の欲求を広告宣伝等で無理やり作り出し、需要を創造してきたツケが今来ているのかもしれない。

もちろん、自動車産業はそれなりの手を打っているだろう。ロボット化など高付加価値化やノン-ガソリン車への転換にビジネス拡大のチャンスを見出すのかもしれない。いや、国内市場は、今後それほど期待していないかもしれない。

ただ流風が注目するのは、少子化問題も絡めて、国の非都市化政策をするかどうかだと思う。車の利便性、車が走る距離、車を保管する場所などを考えれば、人口政策が車産業に大きく影響すると思うのだが、どうだろうか。

いずれにせよ、自動車産業は産業の裾野が広いため、国民生活にも大きく影響する。今後の動向を見極めたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月24日 (月)

鏡を見る女性

流風が電車に乗っていると、前に座った女性が、カバンからおもむろに鏡を取り出し見つめている。化粧するのと違って、これは昔から見る風景である。彼女等の器量は色々である。昔は器量が、それほどでもない方が公共の面前でコンパクトを取り出していたが、最近は必ずしも器量が悪い女性ばかりではなさそうだ。そして昔は、コンパクトを取り出していたが、最近は四角て比較的大きい鏡が多い。

傍から見れば、どう見つめても、容姿が改善されるとは思えない。それでも、そういうことはお構いなしに、ためつすがめつ見つめている。彼氏と会うのだろうか。だが、男というのは、細かい観察には疎い。彼女が気にするほど詳細にわたって彼女を見つめていないだろう。一部のプレイボーイを除けば。大体は彼女の変化さえ気づかない連中が多いのだ。流風もその一人かもしれない。

それに顔を気にする女性ほど、身体全体の体型バランスが悪いことも多い。そんなことをするより、立見鏡で全体を再確認する方が大切だと思うのだが。男はざっくり見ているのだ。もちろん、若い頃は女性の顔だけ見ている男達もいるにはいるが。

さて、鏡というものをを題材としたものに、能の『松山鏡』がある。ネットでも紹介されているので、ここでは改めて記さないが、娘が亡くなった母を鏡に映し出される自らを見て、母を想う心がいたわしい。基本的に、娘が鏡というものを知らなかったということを前提にしているが、なかなかよくできた話と思う。

鏡一つでも、話の広がり方は異なる。若いお嬢さん方もロマンを持って欲しいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月20日 (木)

美味しい御飯

お米好きの流風は3食御飯のことも多い。ただ外食すると、大変まずい御飯が出てくることも多い。この御飯、ちゃんとお米を洗っているのかな、と思うこともしばしばである。外食産業は、どのようなお米の洗い方をしているのだろう。専門のはずなのに、不思議である。

もちろん、お米そのものに問題があるのかもしれない。農薬いっぱいの品質のよくないお米は、きちんと洗っても、そんなに美味しくならないという。

本当は無農薬米が1番よいのは、美味しさの点からも、健康のためにも、よいのはわかっている。無農薬米は生産量が少なく、入手も限られるが、そういうものを入手して、ビジネスにするのも、商売の知恵だろう。

外食産業は、何もかも安ければいいのではなくて、家庭の食卓より先行することが求められるのに、どうも目先の売上志向で、哲学が欠けている様である。

さて、家庭での米の洗い方を、別にここで示す必要があるわけではないが、意外と米の洗い方を知らない方が多い。とても、あんな洗い方では美味しくなかろうに。

例えば、電気釜のお釜で簡単に洗って、それで電気にかけて炊いている人がいるのには、少し驚いた。ただ、これに関しては、流風も若い時は、そうして笑われた経験があるので、あまり偉そうなこともいえない。

一応、若い知らない方に示すと、「ステンレスのざる」で洗うのが基本である。流風は開口部が直径25センチ程度のものを使用している。

詳しいことを省くが、これでごしごし洗って、数回適度に洗い流して、釜に移し、水をお米の量に合わせて適量入れて、電気を入れて完了。この時に水の量を正確に入れることが大切だ。そうすれば、美味しい御飯が出来上がる。

このようして、出来上がった御飯が、外食では、あまり味あわれないのは少し残念だ。もっとも、ちょっとした料亭や旅館では味わうことができるとは思うが。流風は料理より、まず御飯の美味しさで、外食の評価が定まってしまう。外食産業の方々は、御飯に手抜きをしないように願いたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月16日 (日)

文化財の保存

少し前に、高松塚古墳の壁画損傷事故が問題になっていたが、保存することは大変なことと思う。文化庁に手抜かりがあったことは残念だが、流風にすれば、そんなに目くじら立ててもと思う。そんなことを言えば、どこかからお叱りを受けそうだが、歴史的文化財は、その経年変化と共に自然に損傷する。それを現状のままで無理やり保存することは、そんなに大切なことであろうか。

流風はむしろ現代技術を付加して保存すればいいと思う。作られた当時のまま原型がとどめられるのは、当事者にとっては大事なことかもしれないが、それは記録として残せばそれでいいではないか。もちろん、当時のまま遺せるものは残してもいいが、余分なコストを投じて残しても、一般人には大した意味はないと思う。

大事なことは、当時の人々の考え方や暮らし方であり、それがわかればいいのだ。つまり当時の日本人が、どういう風俗で、どのような国々との関わりで生きていたのかがわかればいいのである。どうも形ばかりを追い求めているような気がする。後世の人々に伝えられる資料づくりや解釈の方が大切と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月14日 (金)

スキャンダル対応

マスコミに、企業や個人が、ある時、突然、スキャンダルを公表されて、あたふたされている様子を見ることがある。人間、誰でも、隠し事はあるのかもしれない。

否、私は絶対ありませんと、断言する人もいらっしゃるかもしれない。世間に後ろ指、指されることはしていないと。しかしながら、本人がそう思っているのはいいが、意外と、そういうタイプが、スキャンダルにさらされやすいのも一つの事実だろう。というか、スキャンダル対応ができないと言うべきか。

ところで、スキャンダルが、何かといえば、辞書には「醜聞」とある。もう少し詳しく解説すると、本人が他人に知られたくないと思って隠していることが、第三者に嗅ぎ取られて、何らかの目的をもって世間に公表され、恥をかかされること、と言えるだろうか。

もちろん、世間に何もかも公表していれば、スキャンダルは発生しない。世間は周知のことには関心が薄い。そんなものはスキャンダルとして改めて公表されても、「何を今更」という感覚で、無視されやすい。人々の記憶にあることはスキャンダルにはなりにくい。

スキャンダルはなぜ発生するのか。先の説明と重なるが、基本的に、本人が過去のことで知られたくないことがあるからだろう。人間、誰でも、叩けばほこりの出る身体であると言えるかもしれない。

そして地位の高い人や目立っている人が対象になりやすい。敵対的な第三者は、駆け引きの手段にしたりするため、日頃からスキャンダルのネタを鋭敏に察知して、収集しているようだ。

では、どうスキャンダルに対応すればいいのか。基本的には、世間に公表された場合のことを想定して、準備しておくか、適切な時期に自ら公表することである。

隠し事というのは、本人にとっては、重要かもしれないが、意外と第三者には意味を持たないことも多い。だから、隠せば隠すほど、スキャンダルのネタになりやすい。つまり、どうでもいいことが、スキャンダルに格上げされるのだ。

もちろん、自らの公表には、自分の身を守るということとバランスが取れていないといけないが、第三者に公表されても、じたばたしないことが求められる。そのためには、日頃から、自らの行いのチェックと精神修養が求められる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 6日 (木)

不妊問題の原因

先日、あるセミナーに参加したところ、提供された資料に次のものがあった。すなわち、『日本不妊学会』によると、不妊の原因は、食生活の変化と環境悪化によるものであると。

それによると、

ⅰ 1942年から50年たった1992年には、精子の数が42%に減少している。

ⅱ 現在、健康な20歳前後の男性の9割以上が精子に一部奇形がある。そして、4割は精子量が少ない。

ⅲ ハンバーガーをよく食べると答えた77%に精子の奇形率が高い。

もし、これらのことが事実なら、日本人は食生活を相当に改善しないと、出生率が上がらないかもしれない。BSE問題だけでなく、食物連鎖絡みでの農薬問題や食品添加物問題も、もっと真剣に取り組まなければならない。

流風は思うに、安全な食物・食材は多少高くても、長い目で見れば、割高ではないと思う。スーパーの特売りに走るより、安全な食材を選択する方が、いいと思う。食は「量」から「質」の時代に移行し、子孫を残すために、皆が真剣に考えなければならないのだ。

ただし、流風は、この学会に所属していないので、学会の報告データを確認していません。もし、報告書を持っていらっしゃるなら、どなたか報告書の正確な評価して欲しいですね。どちらにせよ、日本人を取り巻く食環境は危険であると言えるのではないか。農業を変えるには、消費者の意識の変化が必要と思う。その点に関しては、女性に比して、男性の鈍さがあるかもしれない。反省。

*7月10日追記

『日本不妊学会』は今年4月より、『日本生殖医学会』に変更されているようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 1日 (土)

大企業の申告漏れ

大企業の巨額な申告漏れが国税局から指摘されている。武田薬品工業1,223億円、ソニー744億円、三菱商事50億円、三井物産49億円など、そうそうたる企業が名を連ねている。

主たる要因は「移転価格税制」のようで、企業側にも言い分があるようだが、これだけ大きな金額でありながら、当局と事前に相談しなかったのだろうか。そこに若干の不誠実を感じる。

国内外に子会社を設立することが多い大企業は、まだまだ、この問題の対象になりそうなところは多いのではなかろうか。国税側は多く税を徴収したいだろうし、企業側は、納税をより少なくしたい気持ちはわかる。しかし、セコイ節税は、あまり意味がないだろう。あの松下幸之助が、「納税は社会貢献」であると、言ったように、その意味をもう一度、噛み締めてもらいたい。一般人も、また、納税をきっちりする企業を評価すべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大学教授たちの不正

補助金の流用など、目に余る大学教授の不正が最近目立つ。以前からあったのかもしれないが、最近は内部告発などで、不正が発覚しやすくなったのかもしれない。これは、補助金を受けている大学全体の問題で、単なる個人の問題だけでないと思う。また単に大学教授を辞めれば済む問題でもない。

不正をした大学教授の所属する大学は、今後3年間ぐらいを目途に、補助金が停止されるぐらいにしないと、よくならないだろう。大学組織としての管理が甘いから、起こる事件だからである。こういうことを言うと、学問の独立性云々を議論する人々がいるが、学問の独立性を言うなら、国から補助金を受け取るべきではない。不正を見逃す組織にこそ問題があるのだ。

それに、不正をして単に大学を辞めれば、それで許される問題でもない。大学教授たちは、もっと自分の立場を理解してもらいたいものである。世間知らずということでは、弁解にならない。今まで、あまりにも甘い処置に憮然たる思いである。今後の処分としては、「懲戒免職」「博士号剥奪」が望ましい。そして、大学は、教授達が犯罪を犯さないような仕組みを確立すべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教育パパの限界

流風は、父親に勉強せよと言われたことはない。ただ一度、テストの結果が非常に悪かった時、「勉強は誰のためにもするものではない。自分のためにするものだ」と言われたことがこたえた。時に「ナガラ族」をからかわれたりしたが、後にも先にも、それだけだ。

ところで、奈良の医師の家庭の事件は、いろいろ考えさせるものがある。複雑な家庭環境が事件を発生させるのは、どこも同じであるが、医師を継がせる為、父親の医師が教育パパだったという。

一般に、母親が教育ママになるのは、仕方ないにしても、父親が教育パパになるのは頂けない。それでは、子供の逃げ場がなくなる。中学、高校と、不安な精神状態の年齢時に、あまり、やかましく父親が子供の学習状態について言うものではない。

子供に自分の仕事を継がせたい気持ちはわかるが、子供には子供の人生がある。あまり決め付けるのは、どうしたものか。もし継がせたいのなら、仕事の現場を見せることである。子供は親の背中を見て大きくなる。それで、継ごうとしたら、自ら勉学に励むだろう。

つまり父親の役割は、「人間として、どうあるべきか」ということを身を以て教えることが大切なので、学習は基本的に本人が自覚しない限り、向上しない。気づかせる配慮が大切なのだ。本人がやる気になると、周囲がとやかく言うより、その習熟度が早いことはよく知られている。この父親の、親としての自覚が足りなかったのではと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »