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2006年8月31日 (木)

顰に倣う(ひそみにならう)

若くて肌がぴちぴちしているのに、若い女性が厚化粧されているのは、大変残念に思う。彼女らは、化粧しなくても、十分美しい。それは、流行に流されたり、宣伝に煽られたりして、自分を知らないからであろう。流風が若い時、少し気があった、ある女性が、どう見ても似つかわしくない化粧して、幻滅したことがある。

それに関連して、先日、少し触れた西施の話は有名すぎて、皆さんご存知であろうが、一応念のため取り上げておく。彼女は、「呉越同舟」で有名な、呉・越両国の抗争の中で、利用された。すなわち、越王勾践が、呉王夫差の油断を誘うため、美女五十人を献じた中の絶世の美女だったと言われる。その西施の話である。

「美人の西施が胸を病んで、眉をしかめていたところ、その村の醜女が、それを見て美しいと思い、家に帰ると、また同じように胸に手を当てて、眉を顰(しか)めるようになった。それがあまり醜いので、村の金持ちは、それを見ると、門を堅く閉じて、外に出なくなり、貧乏人はそれを見ると、妻子を引き連れて、村から逃げ出した。

この醜女には、西施の眉を顰めた様子が美しいとわかったのであるが、眉を顰めたことがどうして美しく見えるのかと言う根本がわからなかったのだ。」(『荘子』金谷治訳注、岩波書店)

この話は、「顰に倣う 」 (「倣う」は「効う」と記する本もある) という言葉の典拠になっている。女性は、ある時期を過ぎれば、化粧は止むを得ない。だが、化粧も、物まねだけでは、うまくいかない。自分の状態や個性を十分把握して、自分にベストの化粧法を施すべきだろう。誰にも合う化粧法はないと知るべきだ。

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2006年8月30日 (水)

眉間に皺を寄せる人々

私の前で、眉間に皺を寄せている数名の女性がいる。だが、残念ながら、西施ほどの美人ではない(笑)。

実は、早朝、電車に乗っているのだが、前の3名の女性が、携帯とにらめっこしているのである。よく見る風景である。まあ、あれくらい眉間に皺を寄せて、真剣に仕事をしてくれたら、多分、成果は上がるだろうに(笑)。

だが、流風が子供の頃は、父に眉間に皺を寄せると人相が悪くなると、よく叱られたものである。眉間に皺を寄せると、父がそれを撫でて、無くすようにされた。今では、時々、思い出して自分でしている。

さて、流風は老眼気味で、あの小さい文字の入力が苦手で、携帯でのメールはしない。電車に乗っていた皆さんは、共に若いけど、あの小さい画面での、メール打ちは結構、労力を消費しているはずだ。

彼女等が通勤途中なら、仕事場に着けば、目に疲れが残るだろう。目が疲れるということは、脳が疲れることだ。若いからといって、仕事によい影響があるはずがない。

大体、電車内の読書や文字を見る作業というのは、あまり目にはよい影響を与えないのだ。そういう流風も若い時は、何かに急きたてられるように、読書したものだ。だが、あまり効率は良くなかった。それより、むしろ車内で、目を疲れさせないようにするべきだろう。

彼女等は、無駄な労力を消費していることにならないか。仮に、それがストレス発散なっても、仕事にはよい影響をもたらさないだろう。でも、そんなこと、好きでやっているのだから、ほっといて、と言われるかもしれない。ついついお節介ですみません。

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2006年8月29日 (火)

取説を読まない人々

わが家の恥をさらすようだが、母は電気製品を買っても、全く「取説(正確には、取扱説明書)」を読まない。それで、商品に文句を言っている。本当に困った人だ。それで、取説はどこにある、と言っても、行方不明。文句は一流、管理は三流。どこかの部長さまと同じかも。父親と全く反対だ。父が生きている時は問題なかったが、亡くなった後は大変だ。ところが、母のように取説を読まない人は多く存在するらしい。

ところで、いろんな商品の事故で痛ましいことが起こっている。ここで考えなくてはならないのは、当然メーカーの責任は責められるとしても、事故にあわれた方々には本当に気の毒だが、消費者側にも問題がある場合もある。

もちろん、どんなに消費者側で注意しても、どうしようもない場合もある。その場合は、メーカーの製造物責任が問われる。しかし、事故が起こったからといって、全て、メーカーに製造物責任が生じるわけでもない。

どんな商品を作っても、事故は起こりうる。全ての空間に、完全に安全なモノは存在しないだろう。「完全な商品」を作れば、コストは膨大になり、消費者に寄与しないだろう。結局、全ての可能性をメーカーが把握することは不可能に近いと消費者も認識すべきだろう。

それに、購入した商品が、自分に馴染むには時間がかかる。消費者には、モノを取り扱う危機意識が必要だ。商品を買った時は、「取説(取扱説明書)」をよく読んで、その取り扱いに十分配慮する必要がある。それくらい周到に準備してモノを使う習慣が求められる。

私達消費者は、モノは人を傷つける可能性があるものだと理解して、商品を購入する必要がある。そのためにも、メーカーが商品に添付している取説を読んで十分理解しておく必要がある。

*追記

ちなみに、母に取説を読ませることは、諦めている。年を取ると、なぜにああ頑固なのか。どうしようもない。もうどうなっても知らん(笑)。親父も草葉の陰で笑っているだろう。

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2006年8月28日 (月)

観相学を考える

人の顔は、本当に様々だ。そして顔の雰囲気で相手を判断している自分がいる。そして、相手も自分を。ベテランになると、ぱっと相手について適確に判断する人もいる。だが、人の判断は難しい。流風の場合は、カンが鈍いのか、最初会った時のイメージと異なってくることが多い。

観相学の元祖、水野南北は、人相を見る場合の注意を次のように示唆しているそうだ。

一、造作だけで見てはならない

二、その人の暮らし向きまで見なければならない

三、その人の心が正しいかどうかも見なければならない

四、その人が健康であるかを見なければならない

五、その人の仕事が順調であるかを見なければならない

そう言われれば、私達は、顔だけでなく、全体の雰囲気で相手を判断している。人相の限界を、元祖は理解していたのだろう。

つまり、最初会っただけでは、暮らし向きや、健康状態や仕事振りはなかなかわからない。継続的に相手の観察が必要ということになるのだろう。

結局、観相師のように、一見の客の人相で、全てを察することは難しいということになる。ということは、あまり人相学には嵌らない方がいいかもしれない。それだけ、人々は日々変化していることの証左であろう。

これは部分で全体の判断を求められることもあるが、できるだけ全体像を把握して判断しなさい、ということかもしれない。

*追記

なお、佐藤一斎は、その著『言志録』において、次のように語っている。

「人の賢否は、初めて見る時に於いて之を相するに、多くを謬(あやま)らず」と。

すなわち、初めて会った時に、十分観察すれば、多くは誤らない。度々会うと、観察に狂いが出てくる。

このように考えるのも頷ける。人を判断するには、修養がいる。

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2006年8月27日 (日)

気を若く持つ

昨日のブログの続きだが、それでは、「気を若く」持つにはどうすればいいか。

最近は、若年寄りが多いと聞く。覇気がありすぎるのも困るが、若くして老成して諦めの姿勢を示す若者には、困ったものである。何もやってみないで、やったような気でいる連中がいるのだ。若い時に失敗を恐れてはならない。若い時の失敗は、全て人生の糧になるはずだ。また高齢者が、生きる目標を失って、死を待つ生活を送っておられるのも、よろしくない。

ヘンリー・フォードは、次のように言っているらしい。

『20歳だろうが、80歳だろうが、学ぶことを止めたら、もう年寄りである。学ぶことは人を若々しくする。人生で一番素晴らしいことは、いつまでも気持ちを若く保ち続けることだ』と。

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2006年8月26日 (土)

長生きの方法

長生きの方法は、いつも気を若く持ち、自分で年を取ったと思わないことらしいが、ここ数年、外見は若そうに見えるらしいのだが、体力の衰えは否めない。運動不足の結果からかもしれない。

だが、それなりに、未来に希望を持ち、楽しみを見つけることがいいのかもしれない。もちろん、頭を使うことを忘れてはなるまい。ブログ作成は、頭の予備体操だ。それに適度な運動と適度な食事。

そして、若い人たちを時々からかうことも必要だ(笑)。彼らとの交流は気持ちを若くする。若年寄りもいるけどね。そういうと、若い人たちと話すと、若い時は、同じような悩み事をしたなあと感じる。そして、今は、それを冷静に見ている自分がある。それでは、いけないのかも。

まだ、若い人たちから、からかわれることに挑戦することも必要かも。年寄りの冷や水という年齢でもないし。さあ、何を始めようかね。まず、体力強化だ。ストレッチを始めるか。

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2006年8月25日 (金)

降格を考える

冥王星が、惑星から降格されるようだ。天文学者も大変だな。流風にとっては、どうでもいいことだ。あのホルストの組曲『惑星』にも、冥王星は含まれていないし。まあ、惑星のことは、天文学者に任せるとして、今回は「降格」ということについて、考えてみたい。

企業において、一般に「昇格」はあっても、「降格」というのは、一般役職では少ないかもしれない。役員人事においては、「降格」は、まま見られるものの、一般役職で、「降格」人事は避けられているようだ。

大体、「実質は降格」なのだが、表向き、他部門への移動とか、子会社への転籍とかが行われる。同じ部署での「降格」は少ないと思う。それは「降格」された人の意欲とかへの配慮もあるだろうし、周辺が仕事がやりにくいとかの配慮もあるだろう。

本来、あまり関係のない部署の移動とか転籍は望ましいものではない。だが、人事の配慮で、「新しい空気を吸って来い」というのも、わかる気がする。そして、そういうところから、新しい課題を発見して、這い上がっている人もいる。これこそ、まさに塞翁が馬なのだろう。

何らかの失敗で、配転されても、腐らず、新しいことに挑戦できる人だけが生き残ることになる。ここでも、やはり考え方が人生を左右する。

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2006年8月24日 (木)

『桃太郎』に思う

今年は雨が多くて、果物の甘さが足りないと言われている。桃もそうだろうなと思って、食したところ、そういうことはなくて、本来の美味しさだった。

子供の頃の絵本に、大抵『桃太郎』があった。例の、お爺さんは芝刈りに、お婆さんは谷川に洗濯に行く。そこで、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、流れてくる。持ち帰って、割ってみると、大きな子供が出てきたという話は、誰でも聞かされたことであろう。

この童話は、性教育だと言う人もいる。話の底には儒教精神を植えつけようとするものだと言う人もいる。或いは神話であると言う人もいる。それぞれに理由があるのだろう。

流風は、芥川龍之介の『桃太郎』に注目する。この作品は、大正13年に発表されたものだが、当時の雰囲気を痛烈に批判しているように読み取れる。

彼が指摘していることは色々あるが、その中で、万年に一度という割合で現れた桃太郎がなぜ、鬼が島征伐に行くことになったか、ということである。お爺さんやお婆さんを助けることなく、征伐に行くと言う。それは芝刈りや洗濯が嫌だったからだろうという指摘をしている。

そして、征伐に行く途中、犬、猿、雉を、黍団子で誘い、欲を刺激し、同行させる。この辺も、当時の政界や軍部、経済界を暗喩しているのかもしれない。

鬼が島に着き、鬼を征伐して、捕えた鬼に、「なぜ征伐したのか」と聞かれて、その返答が、どこかの政治家のように、次のような詭弁である。

すなわち、答えて言うには、「日本一の桃太郎は、犬猿雉の三匹の忠義者を召抱えたゆえ、鬼が島の征伐に来たのだ」。

「では、そのお三方をお召抱えなすったのはどういうわけですか」と鬼に問われ、答えて言うには、

「それはもとより鬼が島を征伐したいと志したゆえ、黍団子をやって召抱えたのだ。これでも、まだわからないと言えば、貴様たちを皆殺してしまうぞ」。

理由が堂々巡りして、さっぱりわからん。およそ、征伐というものは、論理的には説明できず、みんな、そういうものかもしれない。

芥川のこの作品はもう少し続いて、その後、鬼の復讐が執拗に続き、桃太郎はうんざりするとある。もし、芥川の指摘通りとすると、万年とは言わないが、百年に一度現れる天才という人たちが、新しい構想力がある故に、時代をかき回すのか。それとも、人間の悲しい性(さが)は、どうしようもないのか。世界のあらゆる戦争に、そういう空しい思いを致す。

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2006年8月22日 (火)

見切り上手は商売上手

中小企業の経営は、どこも大変だ。景気の波にも影響を受けるが、市場の変動、新たな競争者、ニーズの変化などに真剣に対応しても、うまく行くとは限らない。少しの油断もできず、経営者の辛苦は単純には説明できないほど頑張っておられる。

その一方で、日本の中小企業の経営者は頑張りすぎだという指摘がある。経営が先行き厳しいのに、何とか、もう少しと頑張る経営者が多いのである。確かに、もう少し頑張れば、明かりが見えてくるという期待は誰でも持つだろう。だが、現代の中小企業を取り巻く経営環境は、残念ながら、そういう状態ではなく、見通しが不透明なら、一旦思い切りよく撤退するのも一法である。

事業を整理し、あるいは会社を整理することは大変辛いことではあるが、冷静に判断できる状態での整理がベストであるように思う。関係者のこと、従業員のこと、家族のことなど、いろいろ思いはあるだろう。だが、とことんまで行って、自分の身を断ずるような事態は避けて欲しい。余力を残して、次の事業に臨んで欲しい。仮にそのようにしても、信頼関係が深ければ、周囲はある程度理解してくれるはずだ。

事業を見切る勇気を経営者は持って欲しい。見切り上手は、投資上手と言われるように、経営も、そのことが当てはまると思う。執着心が必ずしもよい結果を生んでいないことを知るべきだ。見切る勇気を持つことは、日本全体の経済活性化によい影響を及ぼすはずだ。

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2006年8月21日 (月)

長者の十徳

長者とは程遠い流風だが、「長者の十徳」というものがあるらしいので、紹介しておく。これは昔、浅草寺の貫主が言われたものらしい。長者でなくても、一般人にも参考にはなると思う。家柄はどうしようもないけどね。

一、姓貴。人から敬われる家柄。

二、位高。人の頭として立つだけの地位。

三、大富。少しくらいでガタピシせぬ富。

四、威猛。対者におのずから襟を正さしめる。

五、智深。遠謀深慮の人。

六、年耆(き)。あらゆる意味においての老熟。

七、行浄。行いの清く正しいこと。

八、礼儀。これには親しみを忘れぬよう。

九、上歎(たん)。上長の人々からも褒められる。

十、下帰。下の人々をよく教え導く。

以上のように見てくると、現代では、金持ちはたくさんいても、長者といわれる人々は少なく感じる。「十徳」を備えて、長者になることは、なかなか人間修養も含めて大変なことであるようだ。

昔の長者といわれる人々は、ただ富を集めるだけでなく、社会的投資に多く回している。現在の公共投資的なこともしている。現在とは、社会の仕組みが違うとはいえ、いわゆる単なる金持ちとは基本的に異なる。彼らは富をどのように考えていたのだろうか。

そういうと、流風の子供時代は、近所の本当の金持ちは、皆、始末だった。彼らは派手に贅沢をする成り上がりを見下していたように思う。まず金持ちと成り上がりを区別しないといけないのかもしれない。

しかし、成り上がりも時を経て、金持ちになるかもしれないし、消えていく可能性もある。そして金持ちから長者が生まれるのだろう。やはり考え方が、分かれ目を作るのだろう。

結局、持つべき人が富を持つべきなのかもしれない。そのようにして、富は適切に持ち主を変えていくのかもしれない。

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2006年8月19日 (土)

恋の歌

恋の歌なんて流風には似合わないが、ある愛読書がある。日本の古典で、恋の歌と言えば、『古今和歌集』なども、そうだろうが、それらを題材にしながらも、もっと砕けた歌謡集として『閑吟集』がある。古典に詳しくなくても、現代では理解の難しい内容も『閑吟集』(浅野建二校注、岩波書店)なら、解説があるので、なんとか理解できる。

この作品の編者は不明らしいが、謡曲の作家のような気もする。当時のかなりの自由人のような気もする。それが故か、多くの故事や諸文学の造詣を材料に、恋の歌が集められており、面白い。

この本は、かつては、作家やシナリオライターがが、恋愛小説の基礎にするといわれていたが、今はどうなのだろうか。流風は例により、流し読みだが、時々ランダムにページをめくって、にやにや楽しんでいる。

例えば、“雲とも煙(けぶり)とも 見定めもせで 上の空なる 富士の嶺(ね)にや”

若い男が口説く時には、流風も昔のことを思い出しつつ、そういうものかもね(笑)と。それに対して、この歌は、冷静に対応する女性。いや、恋の駆け引きと言うべきか。

とは言うものの、男も女も、

“思う方へこそ 目も行き 顔も振らるれ”

というように、どうしようもなくなるのは、昔も今も変らないようで。

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2006年8月18日 (金)

養殖ウナギの怪

養殖ウナギの一割が背骨が曲がっている報道があった。害はないらしいが、少し気味が悪い。市場にはそのままでは出回らないらしいが、加工品として出回るのだろう。

ここで気づくのは、やはり“促成栽培”の弊害だろうということ。餌を成長段階に合わせて与えていれば問題が無いのだろう。しかし経済成果を急ぐために、早い段階で餌を過剰に与え成長を促進させた。それが、この結果。

これは人間でもそうだろう。身体の成長と心の成長のバランスが崩れている子供たちも実際存在する。身体に心がついていかない。急いで成長させても、ゆっくり成長させても、人生の持ち時間はそんなに変らない。人生の長さ全体での視野が求められる。

やはり、子供の頃は基礎をきっちり固めてやることが親の役目なのだろう。だが、社会はそれを許していないとすれば、問題だ。人間としての基礎をじっくり固め、その上で個人の資質を見極め、各人の特徴を踏まえながら、個性を伸ばし、見守る姿勢が、親にも社会にも求められている。

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2006年8月15日 (火)

終戦記念日に思う

亡き父が、『終戦記念日』を揶揄して、未練たらしく、『終戦記念日』というのは、武人の風上にも置けないとよく言っていた。潔く、『敗戦記念日』でいいではないかと。日本は負けたから、諸外国から色々言われる。しかし、それに反発しても仕方ないとも。“勝てば官軍、負ければ賊軍”ということは皆、知っているではないか。

戦争は勝たなければならない。そして勝つ戦争をしなければならない。無謀で、勝つ戦争をしなかった当時のトップ層の為政者や軍人に問題があったことは明らかだ。彼らの罪は大きい。そして、遠くを見つめれば、その原因は明治維新にあるという。それは欧米諸国のアジア侵略をより早く目覚めた結果かもしれない。

だが、残念なことに、それは無教養の下級武士によって起こされた革命だった。確かに無血革命だったが、これは江戸幕府に教養ある人材がいたからに他ならない。しかし、その後、結果的に、本当の教養人は冷遇され、日本の武士道教養は無視されてしまった。そこに、悲劇の温床があったように思う。

確かに、江戸時代の教養層が残っていた明治初めの頃は、まだよかった。しかしながら、彼らはリーダー層にはなく、前線で日清・日露戦争で多くを失い、若い人々を正しく導く機会を失っている。その後、日本は、おかしくなっていっている。

何が言いたいかというと、教養・教育は、連綿とした世代への継承がなければ国は危うくなるということである。現在、謳歌している平和だって、砂上の楼閣に過ぎない。今までは奇跡のようなものだ。きちんと、平和を維持する困難を伝えないと、その難しさを理解しない世代が出てくる。そして戦争がいかに国民を悲惨にするかも、きちんと伝えなければならない。

そのためにも、我々日本人は、子孫に、もう少し謙虚に伝えていかなければならない。世界の人々の信頼を獲得するためには、何をしなければならないのか、いま少し考えてみたい。そして為政者は深い見識をもって、世界の人々の心を読みとり、もっと発言と行動を慎重にしてもらいたい。

*追記

国際権力闘争に勝つには、きちんとした教養と知恵がいる。そのような人材育成を怠ってはならない。知識も大切だが、それだけに偏重すれば、見えないものを見ることができなくなる。今の日本に必要なのは改めて人材の育成である。

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2006年8月13日 (日)

松平楽翁

楽翁の処世訓

一、寧楽は、これ心を養うの第一法なり

一、謙譲は、これ身を保つの第一法なり

一、読書は、これ智を広むるの第一法なり

一、寛容は、これ人を恃つの第一法なり

一、慎己は、これ害を遠ざくるの第一法なり

一、知足は、これ楽を受くるの第一法なり

一、存厚は、これ福を招くの第一法なり

一、寡欲は、これ寿(いのち)をのばすの第一法なり

一、勤倹は、これ万民生々の第一法なり

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2006年8月12日 (土)

一杯の水

あまりに暑いのに、先日飲み物を買い忘れて、列車に乗ったら、のどがからからになったので、下車して、すぐ水を購入して飲むと、本当に美味しかった。でも、いつから「水」を購入することになったのだろうか。子供の頃は、水道水を蛇口から飲んでいたのに。

さて、話は変わって、二宮尊徳は次のようなことを語っている。

『江戸は水さえ銭が出るところと嘆くは、懶惰(らんだ)なり。水を売りても銭が取れるというは勉強人なり』と。

これとよく似た有名な話に、ある靴のセールスマンが、裸足で靴を履く習慣のない島に行って、これでは販売の可能性はないと諦めて帰ってきたが、別のセールスマンは、大いにビジネスの可能性があると判断したという話がある。

つまり、世の中は考え方次第で、どうにでもなる。塞翁が馬ということもある。不幸が幸になり、幸が不幸になることもある。それも、個々人の考え方次第ということを再確認したい。

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2006年8月11日 (金)

60歳問題

60歳問題と言っても、団塊世代の退職のことではない。今回、流風の指摘したいことは、60歳前後以降の経営者に問題のある人が多いことを指している。現在の日本人の経営者は、それぞれ真面目な人が多い。それ自体は喜ばしいことだ。だが、何に対して真面目なのか、そこが問題である。

60歳前後といえば、終戦前・戦後に生まれた人々である。しかし、戦争は知らないが、戦後の焼け野原は経験している。新しい教育で育ったが、彼らの親世代が戦前の教育と新しい思想で、考え方が混乱した時代に育っている。そして、彼らの世代は新しい教育で育ち、親との「思想断絶」を経験している。また、貧しさと高度成長を両方経験したため、高度成長になった戦後の米国の考え方を素直に受け入れすぎている。

そういう人たちが、現在、企業のトップに君臨している。いつの時代でも、そうだが、どの世代も自分の経験を無視することはできない。だが、時代と共に、世の中は変化する。もちろん、企業環境には敏感に反応しているし、利益にも敏感だ。だが、忘れ去られているものがある。

つまり、それまでの経営者は、戦前の教育を受けた親の影響を少なからず受けていた。だから、戦後の新しい教育は、それはそれで受けたが、考え方に儒教的なものもあった。だが、60歳前後の経営者からは、段々それが感じ取れなくなっている。西欧的経営に馴らされ、人間をベースにした経営に目が行かなくなっているのだ。

もちろん、個々の企業ベースで見れば、全てが全てではない。しかし、大企業はもちろん、上場したベンチャー企業経営者からは、企業目的が「利益中心」になっているように見受けられる。

確かに、利益は企業継続には欠かせないし、株主への配慮もあるのだろうが、それでは、どのような考えで企業経営がなされているのかは、わかりにくい所が多い。社是とか、企業方針は大抵が明示されている。だが、それは、上っ面だけの浮ついたもののように感じられるのはなぜか。

経営者の根本精神が見られないのは、多くなったサラリーマン経営者の限界なのだろうか。経営者は、今一度、何のために経営するのか、考え直して欲しい。そして、人間をベースにした新しい日本的経営を創造して究めて欲しい。

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2006年8月10日 (木)

京言葉の影響

子供の頃、よく聞いた京言葉は、「じじむさい」「しんきくさい」「けったいな」「気色悪い」「いやらしい」「ひんそな」「ややこし」「いけず」「えぇようにしい」「あんじょうやって」「しょうもない」「もっさり」「うるさい」「~~かいな」などがあったように思う。

流風は、両親も祖父母も、京都出身でないのに、子供の頃、なぜか、よく京言葉を聞いた。特に祖母が多かったように思う。母も、その影響を受けて、若干「いやらしい」性格だ。

この「いやらしい」も京言葉で、別に性的にいやらしいという意味ではなくて、説明するのは難しいが、「嫌な」という意味があると思う。あの京都人独特の、常に位取りする気持ちが働いていたのだ。常に相手の弱みを探り出し、気持ちで優位に立とうとするのである。そういう感じである。

祖母が流風を叱る場合も、笑顔でありながら、子供心に何か怖さを感じたものだった。それに対して、祖父は、大変優しかったと思う。祖母は、常に祖父に対して、位取りしていたと思う。祖父は、そういう祖母のさらに上を行って、うまくあしらっていたと思う。

まさに、狐と狸の化かしあい。流風はそういうバランスの中で育った。しかし、祖父母の関係は、いざ知らず、母が流風に対して、未だに位取りしようとするのは、ほとほと気が滅入る。ほんとに女の人はいくつになっても難しい。

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2006年8月 9日 (水)

ハンドパワー

ある女性美容家が、手の効果を主張されている。両手をすり合わせて、顔に当てれば、顔がつやつやしてくると。ただ、このことは、昔から云われており、別に新しいことではない。

例えば、貝原益軒の『養生訓』にも、それは説いてあり、全身にやれば、体内活性化に役立つと言っている。流風の両親の世代であれば、『養生訓』の内容は、常識であったようだ。しかしながら、最近は、『養生訓』を読まない人々が多いため、ハンドパワーということも、新しいように感じ取られているかもしれないが、別に新しいことではないのである。

温故知新とはよく言ったもので、世代が変ると、当たり前の常識が常識でなくなる。戦争経験者が、二度と戦争はしたくないと言うのを、非経験者はそれがなかなか理解できないのと同じである。若い人々は、常に先人の考えたことや体験したことを振り返ってみることだ。そこに新しい発見があるだろう。

さあ、流風もハンドパワーで若返ろう。特に頭の部分の強化が必要かな。なんか、「おつむてんてん」になりそうだ(笑)。

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2006年8月 8日 (火)

中小企業の倒産

中小企業の倒産は増えそうである。中小企業といっても、その経営内容は様々だが、借金の多い中小企業は会社を整理する所が増えそうである。今まで、ゼロ金利で、何とかやりくりしてきたが、ゼロ金利解除で、そうもいかなくなる。

景気回復期における倒産増加はいつものことだが、今回は異常に増えるかもしれない。本来なら、もう既に倒産していなければならない企業が生き残っていたからで、当然の成り行きである。

ただ、この根本を見ると、当時の銀行の過剰融資が、今まで尾を引いているということだろう。国の支援で立ち直った金融機関は、大いに反省して、今回の景気回復に熱くならずに、融資はもっと慎重に心がけてもらいたいものである。そして、中小企業再生にもっと力を入れて、金融機関の社会的使命を全うして欲しい。

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2006年8月 7日 (月)

都市部の不動産

都市部では、不動産は活況である。特に東京周辺ではそのようである。まだまだ大きなプロジェクトが目白押しのようである。まさに地下で地価が蠢いている感じである。

関西は、まだそれほどでもない。確かに流風の近くでも、不動産・中古マンションに関するチラシが徐々に増えてきているし、新築住宅の建設も、あちらこちらで見るようになったし、長い間放置してあった古い建築物を壊して、新しい建築物に変えている動きもある。しかし、その動きは、東京圏と比べれば鈍いと思う。さらに地方といわれるところでは、際立った動きはないようである。

多分、これは国の政策が変らない限り、地方都市や地方の不動産は動かないかもしれない。今後も、東京圏・関東圏中心の政策が運営されるのだろうか。だが、これは国家にとって、大きなリスクを抱えることにはならないか。以前から述べているように、流風は大変心配である。

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2006年8月 6日 (日)

草刈り健康法?

年輩の知人に頼まれて、庭と家庭菜園の草刈りをしてきたのだが、大変だった。この暑さの中で大変だとは思っていたが予想以上だった。炎天下でやるのは自殺行為ということで、早朝に始めたのだが、慣れない上に、大量のやぶ蚊の攻撃に手を焼いた。ある程度、防御の服装で臨んだのだが、彼らの攻撃のすさまじいこと。あちらこちらが痒い。う~ん、参った。

草なんて、今回刈ったところで、また生えるので、適当に刈っとけばという悪魔の囁き。しかし、禅寺の落ち葉の掃除の如く、徹底して刈らねばならぬと思って、やり続けたら、全身汗びっしょっり。サウナに入った気分。多分体重は減っていると思う。それでなくても、食欲減で夏痩せなのに。

その後、シャワーを浴びたら、さっぱり。食欲は倍増した。健康増進の方法は意外とこういうところに隠されているのかもと、再確認した次第。でも、次回、頼まれたら、どうしようかね。

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2006年8月 5日 (土)

声の大切さ

ザ・リッツ・カールトン大阪では、宿泊予約担当の電話受付係の前には、自分の顔が確認できるように、鏡が置かれているらしい。それは、たえず笑顔の確認をしてから、電話に出るということらしい。

流風も、営業の得意先に電話する時、お辞儀をしながら電話していたことを思い出す。相手には見えないのだが、態度は必ず声に反映されるらしく、相手にも通じていた。電話という道具は、相手には、こちらの態度や表情や態度がわからないからと油断すると、必ず相手から指摘を受ける。声というのは怖い。そういうことは、先輩から厳しく教えられたものだ。

陽気に話せば、それは伝わるし、陰気に話せば、それも伝わる。だから、話す前に、心を整えて、相手に誠意ある明るい感情を伝えることが、サービス業では求められる。そういうことを、当たり前といえば当たり前だが、このホテルでは重視しているのでしょう。

でも、ザ・リッツ・カールトン大阪には、宿泊できる身分でもないので、確認はしていないのですが、試しに電話してみて、声のトーンを聞いてみましょうか(笑)。

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2006年8月 4日 (金)

スマートな経営者の出現

大手製造業で、『偽装請負』とか、どこかせこい『派遣から請負』に切り替えとか、怪しい労働形態が広がっているそうである。それも日本を代表する企業である。例えば、キャノン、日立、松下などが挙げられている。これは、人をモノと考える“スマートな経営者”の出現であると言えるのかもしれない。

海外競争における厳しさは理解できるが、労働者を食い物にして、成果を上げても、それは長続きしないだろう。経営者は日本の製造業のあり方を根本的に考える必要がある。もちろん、日本の一部の過保護ともいえる労働政策も見直しが求められることは否定しない。

基本は今後は、正規雇用が正しいあり方であることに間違いはあるまい。かつての日本の雇用形態に戻す時期に来ている。長いデフレの期間は請負や派遣という短期労働の活用は致し方なかったが、これからは経営者も雇用については考え直す必要がある。

特に大企業においては、派遣や請負の制限を課す必要があるかもしれない。派遣や請負は独立系の中小企業が必要な雇用形態と思う。大企業の経営者は、もっと大きい人材の育成に関する志を持ってもらいたいものだ。大企業においては、派遣や請負は考え直す必要がある。基本は、原点に戻って、長期人材育成に主眼が置かれた雇用にすべきだ。日本的経営を再評価する時期に来たようだ。

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2006年8月 3日 (木)

職人不足という課題

モノづくりにおいて、プロといえる職人が高齢化と後継者不足で、どんどん減っている。原因は、若者が「すぐに金にならない」と考えるからだという。そこに若者意識をみる。確かに、プロになるには、長い年月が必要だ。実際、下積みを経験せずに、いきなりプロの真似をしても、本物はつくれない。

しかし、よく考えると、長い間かけて身体で作った経験は、滅びることはない。もちろん、絶えず学ぶ姿勢は必要だが、他者に負けることはない。人生において、そんなに様々な経験ができるわけではないのだから、ある程度ターゲットを絞って、やり込めば、一生使える貴重な資産になる。

ところが、それを妨げる仕組みがある。最低賃金法である。これは、能力のあるなしに関わらず、ある一定の賃金を支払わなければならない。それでは、雇う方に負担がかかり過ぎる。これらの職人を抱えているのは中小企業が多いからだ。だから、この仕組みを多少、変える必要があると思う。

もちろん、“技を盗む”個人の向上心と先輩が常に新人の能力を引き上げる努力をするという前提だが、職人育成には、少なくとも入社3年程度 (実際問題としては、職人がプロになるには10年かかるが) は、最低賃金法を適用しない仕組みの検討が望まれる。

また、違う仕組みとしては、あの『吉本』の仕組みも参考になるかもしれない。若い人たちの目立ちたい欲望を刺激する何らかの工夫も職人を必要とする産業側に求められる。そして私達一般人も、環境問題を踏まえて、長寿命商品の見えない部分での評価をすることが望まれる。

いずれにせよ、下積みを経験することなく、一流のプロになることは難しい。そして器用なだけで人が大成するとは限らず、不器用な人が大成することも多い。やはり継続は力ということだろう。若い人たちは、職人に是非挑戦して欲しい。

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2006年8月 2日 (水)

自衛隊のイラク撤収について

若干、話題としては遅れ気味だが、陸上自衛隊のイラク撤収が完了したことは喜ばしい。一人の被害者もなく帰還できたことはよかった。自衛隊の皆様のご苦労をねぎらいたい。だが、流風は派遣に反対していたので、喜びは半分である。日本政府のやったことは、憲法違反であることは間違いない。憲法をきちんと改正せずに、なし崩しに自衛隊派遣したことは、大変問題が多い。

仮に、憲法違反の問題は横に置いたとしても、何の信念もない、根拠のない派遣で、明らかに政府の判断ミスである。以前、湾岸戦争のときは、民主主義国家のクウェートが明らかに侵略されているのに、日本は派遣しないミスを犯したのと反対のことである。

今回は国際政治レベルのセンスの低い小泉首相の明らかな判断ミスである。自衛隊の皆さんが、そんな為政者の判断に命を握られるのは、困ったことである。国民を守るどころか、テロを恐れなければならなくなったのは馬鹿げている。

イラク戦争は、米国がテロを誘発して、自ら戦争をしかけた可能性が高い。そんなところに、自衛隊を派遣したのだから、大きな判断ミスである。米国内でも、疑問の声が上がっていたが、米国政権は、「死の商人」との関わりが強く、戦争を起こさないと成り立たないようになっている。それに日本は、まんまと巻き込まれてしまった。

その一方で、国民やこれからの為政者はどう考えればいいのだろう。基本的には、日本は民主主義陣営にいるということの再確認が必要である。すなわち、日本政府は、国際政治とのバランスの上に、民主主義陣営を守るため行動しなければならない。つまり先の例で言えば、クウェート侵攻の場合のようなケースには、自衛隊が派遣できるようにしておかなければならない。そのための憲法改正は必要かもしれない。

しかし、それは厳密な判断の基礎がなければならず、正確な情報入手なくして、軽率な派遣は慎まなければならない。裏表の外交情報のベースをもっとしっかりする必要がある。それは平和国家の責務である。その上で、為政者は命をかけて、全身全霊で判断することが望まれる。そして政治判断する時の哲学と明確な判断基準をもつことが、次のトップに望まれる。

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