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2006年8月28日 (月)

観相学を考える

人の顔は、本当に様々だ。そして顔の雰囲気で相手を判断している自分がいる。そして、相手も自分を。ベテランになると、ぱっと相手について適確に判断する人もいる。だが、人の判断は難しい。流風の場合は、カンが鈍いのか、最初会った時のイメージと異なってくることが多い。

観相学の元祖、水野南北は、人相を見る場合の注意を次のように示唆しているそうだ。

一、造作だけで見てはならない

二、その人の暮らし向きまで見なければならない

三、その人の心が正しいかどうかも見なければならない

四、その人が健康であるかを見なければならない

五、その人の仕事が順調であるかを見なければならない

そう言われれば、私達は、顔だけでなく、全体の雰囲気で相手を判断している。人相の限界を、元祖は理解していたのだろう。

つまり、最初会っただけでは、暮らし向きや、健康状態や仕事振りはなかなかわからない。継続的に相手の観察が必要ということになるのだろう。

結局、観相師のように、一見の客の人相で、全てを察することは難しいということになる。ということは、あまり人相学には嵌らない方がいいかもしれない。それだけ、人々は日々変化していることの証左であろう。

これは部分で全体の判断を求められることもあるが、できるだけ全体像を把握して判断しなさい、ということかもしれない。

*追記

なお、佐藤一斎は、その著『言志録』において、次のように語っている。

「人の賢否は、初めて見る時に於いて之を相するに、多くを謬(あやま)らず」と。

すなわち、初めて会った時に、十分観察すれば、多くは誤らない。度々会うと、観察に狂いが出てくる。

このように考えるのも頷ける。人を判断するには、修養がいる。

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