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2006年9月23日 (土)

道を聞く

若い時、初めて東京に出張した時に、方向感がわからず、歩いている人に道を聞いたところ、一瞬、間があって、方向を示されたので、お礼を言って歩いていった。だが、目的地には一向に着かず、大変あせったことがある。その人の指示方向は全然違う方向だということが後でわかった。

その時は怒りを覚えたものだ。東京人はいい加減だと。それは、一人や二人ではなかった。聞く人、聞く人が、すべて言い加減なことを教えてくれた。腹が立って、東京人は何て不親切なことと思ったことがある。東京のイメージは最初、非常に悪かった。

後で、わかったことだが、東京はいろいろな人がいろんな所から集まっており、地元の人とは限らないということだった。通行人は、聞かれると答えないより答えた方がましとの感覚のようだ。でも、それは実に迷惑なことだ。

そして、駅の売店の店員に聞いても、それは同じだとわかった。彼らも、地元の人ではないことも多く、その辺の地理には詳しくないのだ。

結局、わかったことは、駅から少し離れた、商店で老舗らしきところに聞くということだった。また配達をやっている店なども正確な答えが返ってきた。彼らは、大変親切で、仕事の手を止めて、商売にもならないだろうに、懇切丁寧な説明がほとんどだった。

それで、東京の印象がまた変わってしまった。

これとは別のケースだが、田舎に行くと、道に迷って、尋ねると、これもまた丁寧に教えてくれる。ただ問題なのは、「距離感」が違うことだ。「すぐだ」と言うから、信用していくと、30分もかかったりして、時間感覚が異なる。もちろん、それさえも、慣れれば、どうってことはない。

結局、人に「道を聞く」ということは、「聞く人」を間違ったり、「聞き方」を間違ったりすると、大きな失敗につながる。多分、それは人生も同じことだと思う。

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