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2006年9月11日 (月)

中庸的思考と小早川隆景

日本人の国民性として、Aか、Bか、どちらかはっきりさせたがる傾向がある。だから民意は極端から極端に振れる。それはマスコミもそうだろう。いや、現在はマスコミに煽られていると言うべきか。そして、そのマスコミを悪用する人々もいる。

だから、中庸というと、日本人は中途半端と捉えがちだ。だが、その思考は現実的には大切だ。小早川隆景は、それを貫いた人だろう。

日本の政治家に例えれば、豊臣秀吉が最も恐れたと云われる黒田如水は故田中角栄氏のように直感で天才的に即決判断する人だったが、その判断に誤りも多かったと云われる。

他方、小早川隆景は、故福田赳夫氏のように、部下の意見をよく聞き、自分で納得いくまで考え、考え抜いた上での判断であったため、時間はかかるが、大きな判断ミスはなかったと云われる。

その小早川隆景が面白い言葉を残している。

 一、おもしろの春雨や 花の散らぬほど

 一、おもしろの儒学や 武備のすたらぬほど

 一、おもしろの武道や 文学をわすれぬほど

 一、おもしろの酒宴や 本心をうしなわぬほど

 一、おもしろの好色や 身をほろぼさぬほど

 一、おもしろの利欲や 道をふさがぬほど

 一、おもしろの権力や 他にほこらぬほど

 一、おもしろの釈教や 世理をわすれぬほど

そう言われれば、なるほどと納得。世の中、ほどほどが宜しい。

本来、小早川隆景タイプの故福田赳夫氏の流れを汲む小泉純一郎氏が、実際はどうか知らないが、イメージ的には、やや独断的に物事を判断されていたように思う。もちろん、これは時代の要請で止むを得なかったかもしれないし、日本人の極端を好む国民性を踏まえた方法論として採用だったのかもしれない。

しかし、結果を急ぎすぎ、主張内容の是非はともかく、国民を結果的に煽って、別の目的を隠し、国民を目晦まししてしまったように見える。つまり本来の意図である本質を国民の目から覆い隠し、本質が見えないようにして、国民を利用してしまった。それは本来の民主主義の政治ではなかろう。また、特に外交では、政治に感情を持ち込み、中庸的判断ではなかったことが、外交的閉塞感を生み出した。

次の政権のトップはもう少し小早川隆景のやり方に準じて欲しい。文化のレベルが上がると、中庸的思考になると思う。どこかの国みたいに、独断が過ぎないようにしたいものである。

 

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