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2006年10月 2日 (月)

ファンになれなかったモーツァルト

今年は、モーツァルトの生誕250年で沸いた年だが、流風は、限られた従来耳にしていた楽曲を除いては、どうもファンになれなかった。CDも買ったし、それなりに聞いてみたが、好きになれない。

モーツァルトは、癒し効果があるそうだが、流風には、そういう感じに受け取れない。だるくて疲れるだけだ。残念だが、モーツァルトは、もういいやと思う。やはり、へそ曲がりで、流行には乗れない流風体質がお気の召さないらしい。ブームが去った頃に、また関心を持つかもしれないが、CDは当面お蔵入りだ。

無理をする必要もない。好きな作曲家の楽曲が最もよい癒しの曲だ。ロドリゴが良いのか、チャイコフスキー、ドボルザークが良いのか、はたまたショパンか、ビバルディか。

しかし、今日は、好きでないベートーベンの「ムーンライト ソナタ」で眠ることにしようか。多分眠る時には、変るだろうけど(笑)。モーツァルトよ、しばらく、さらば。

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