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2006年10月 5日 (木)

臓器移植と代理出産

最近、医療について若干ショッキングなことが報道されている。その中で、流風の関心事は、臓器移植と代理出産であろうか。

まず、臓器移植に伴う臓器販売は、臓器移植が始まった頃から問題になっていた。東南アジアでは、現実にそれが横行していたし、規制もするようになってきているが、臓器移植という需要があれば、起こる問題でもある。流風は日本でも起こると思っていたので、正直に言えば、それほどショックではなかった。

本来臓器移植は元の臓器の持ち主の人格まで移植されるという話もあるくらい不自然ではあるが、臓器移植しても生きたいという人間の欲望は限りない。それは始皇帝が不老不死を求めて、徐福に蓬莱の国を探索させた時代から何も変っていない。病気を治すため赤ん坊の肝を欲しがった説話もある。

それほどに人間の生への執着は強いのだろう。そして、現代の医療技術の進歩で成功例も、かなりあり、生き延びている人も多い現実がある。

でも、お金がなければ手術もできない。命はお金で買えるのかという道義的問題が横たわっている。運命論者は、命は天から与えられていると言うだろう。でも、宗教観のない現実主義者は生命は科学で延ばすことができると考え、生き延びることを選択する。

果たして、何が正しいのか。人間は、神聖なものなのか、単なる機械的に機能的なモノの集まりなのか。そこには、考え方が対立し、この問いは、答えが収斂することもなく、どこまでも果てしない。

もう一方の騒がしているのは、代理出産であろう(生まれたのは、ずっと前で、今は国が夫妻と親子関係を認めるかどうかという問題で話題になっている)。他人の腹で、子供を生んでもらう。そこまでしても子供が欲しい人々がいる。かつては子供は天からの授かりものと言ったものだ。

生まれればよし、生まれなくてもよし、というわけにはいかないのだろうか。生命の神秘はそこにあると思う。周囲がいろいろ言うから、プレッシャーを感じる女性も多いかもしれないが、子供ができなくても、周囲も暖かく見守ることが必要だ。彼女等に大きなプレッシャーかけているのなら、それは誤りだ。

しかし、子供を機械的に生産しようとして、モノ扱いする人々の出現に、社会はどのように対応したらいいのだろう。機械的に産んでも、人間の子供だ。子供が将来、悩むことはないだろうか。親のエゴで、子供を生産するのなら、流風は反対だ。子供ができないなら、できないでいいではないか。それも人生だ。

そして、もっと大切なことは、女性は子供が授かる可能性の高いもっと若い時に結婚するべきだろう。高齢出産は、いろいろな面でリスクが大きい。高齢になってから、子どもを欲しいとあせっても仕方ない。女性は晩婚リスクを真剣に考える必要がある。つまり基本的な生命の摂理に従う方が賢明なようである。

臓器移植と代理出産という問題は、私達に、人間としてどうあるべきかを問いかけている。一部の当事者だけの問題ではない。各人が、問い続けていかなければならない問題だと思う。

*平成26年8月17日追記

日本の若い男が、タイで多数の子どもを代理出産させたことが明るみに出ている。その目的は不明だが、常識では考えられない。代理出産ビジネスへの関与なのか、あるいは特別な宗教的背景があるのか、あるいは長期の税金対策など色々言われているが、未だ真実は分っていない。いずれにせよ、妙な感じだ。

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