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2006年10月16日 (月)

話の長い人々

昔は長々と一席をぶつのは、講釈師や売卜(ぼく)屋や神道者と云われていたそうだ。最近では、コンサルタントとか経営コンサルタント関係がそうであろう。実務を経験しない机上の話を延々と話されるのは、経営者にとって苦痛であろう。

その他にも、世の中には、要領を得ない長い話をする人々がいる。周辺の空気が無視されている。そういうことがわからない人は、案外地位の高い人に多い。だが、結局、周囲をしらけさせるだけであった様に思う。

例えば、結婚式とか式典で延々とスピーチをする人はよくいる。彼らは、また決められた時間を律儀に守りすぎる。別にそういう場合のスピーチは短くても何の支障もないことを知るべきだ。

また女性の話は、あちらこちらに話を飛ばしながら、会話が続く。雑談であれば、それは問題はないが、そうでない時は、男にとっては大変苦痛であることが多い。女性同士の場合は、それは何とか理解できるのであろうが、男は要領を得ない話し方には、いらいらする。

すなわち、それは、情報が整理されていない状況で、得た全ての話をするからであろう。それと、話の優先順序をつけられない彼女達の致命的欠陥があるのかもしれない。

だが、最近の若い男も、おしゃべり好きで、取り留めのない話しをする者がいるのには辟易とする。しかし、昔を振り返れば、流風もあまり偉そうなことは言えない。若い頃、説明が長すぎると叱られた。A-4一枚にまとめられるような話し方をしなければ駄目だ、と厳しく言われたものだ。

そのためには、事前に論点を整理しておく必要がある。それは簡単なようで簡単でない。始めは時間がかかる。慣れるとある程度の時間ですむ。基本はテーマを決め、あまり話を広げないようにすることらしい。

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