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2006年10月31日 (火)

二君に見(まみ)えず

企業に勤めていると、いろんな思いで働いているだろう。自分の思ったとおりにならないことや、理不尽なことも多く感じるだろう。最近は、転職などで、いろんなトップに仕える人が多い。

そうかといって、簡単に他社に移ったところで、事態は変らない。同様に、納得できないことや、理不尽はある。そういうことなら、いろんなことがあっても、同じ企業で勤める方が、楽かもしれない。同じ企業勤めができる人は、ある意味、幸せであろう。

しかし、最近は、買収・提携も多く、否応なしに、違うトップに仕えざるを得ない場合もある。もちろん、勤めている会社が倒産でもすれば、自分の能力を活かしてくれるライバル企業への再就職も一つの選択だ。

さて、ここに節を折らず、ずっと君主への忠義を通した人がいる。今回挙げる、中国南宋末期の政治家・軍人、文天祥は、いろんな誘いが、敵国・モンゴル帝国のフビライからあっても、『零丁洋を過る』という詩を送って、頑として受け付けなかった。節を全うした人と言える。

              『零丁洋を過る』          文天祥

             辛苦 遭逢 一経より起ち

             干戈落落 四周星

             山河 破砕し 風は絮(わた)を飄(ひるが)えし

             身世 浮沈 雨は萍(うきくさ)を打つ

             惶恐灘頭 惶恐を説き

             零丁洋裏 零丁を嘆ず

             人生 古より誰か死無からん

             丹心を留取して 汗青を照らさん

大意は、次のようなものかもしれない。「経典を学んで、科挙の試験を受け、国に起用されて以来、苦難の連続と戦いの日々であり、もう四年が過ぎた。祖国は、破壊されて、軽く吹き飛ばされるような状態である。いろんな所で、敵に打ち負かされ、私も一人ぼっちになってしまった。しかし、人間は誰しも死を迎える。忠誠心をこの世に留め、史書の上で輝きたいものだ」と。

文天祥の例は、企業ではなく、国家に仕えるという点で異なる。ある国が敵国から攻められて危ない状況にある。そこで、敵国から、「あなたは優秀な人だ。殺すには忍びない。統一した暁には、要職を用意するから、私たちのために働いてくれ」と言われたら、あなたは、どうするか。そういう問題である。企業勤めであっても、ヘッドハンティングで同様のことがあるだろう。あなたなら、どうするか。

文天祥のやり方は一つの考え方である。彼は、「二君に見(まみ)えず」、忠義を通した。それは彼の生き方に合致していたのだろう。戦前は、こういう生き方が強く支持され、教科書にもあったようだ。しかし、大東亜戦争で、多くの人が戦争で亡くなっているのは、文天祥のやり方と同様の結果になっている。

しかし、別のやり方では、今回は詳しく述べないが、金に仕えた耶律楚材のように、チンギスハンに請われて、彼の右腕になった例もある。彼は、民が苦難を受けないように、チンギスハンに下ったということだ。彼らが民に危害を加えないように諭したのだ。戦争で、いつも被害を受けるのは、一般の民だからである。耶律楚材は、金一族から裏切り者と罵られたことであろう。だが、結果的に、民を救った。

沈みかけた国を守るのは困難だ。それに抵抗すれば、多くの犠牲者も出る。一生、忠誠を守るやり方は美談にはなるが、人を守るため、一旦スカウトに応じるのも一つのやり方かもしれない。負けるが勝ちということもある。但し、それには、一時的な非難に耐える精神力が必要だ。

文天祥の生き方、耶律楚材の生き方、果たして、どちらの生き方が正しいのだろう。最悪の場合を考えて~そういうことがないことが望ましいが~、自分の立場に置き換えて、考えておくことは必要かもしれない。

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