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2006年10月13日 (金)

雨宿りによる男女の縁

秋の天候は変りやすい。朝晴れているかと思えば、昼前に雲行きが怪しくなって、雨になる。そういうことはわかっていながら、傘を持たずに出かけて、散々な目にあったことは何回もある。ああ、この学習能力のなさ、どうしようもないね。でも、そういう時に、雨宿りできる場所に助けられる。

さて、雨宿りといえば、急な雨にあって災難のはずであるが、雨宿りした結果、いいことがあったという話は意外と多い。それは急な雨に遭って大変だなと思ったところに、雨宿りできる場所が見つかり、ほっとする。そういう心理状況のエアポケットに、ちょっとした人の優しさに触れると、反応しやすいのかもしれない。

例えば、大抵の人が知っていると思われる、さだまさしの 『雨やどり』がある。「それはまだ私が神様を信じなかった頃」というフレーズで始まる例の奴である。

9月の木曜日に雨に逢った男女が雨宿りで出会う縁の不思議さをあらわした“さだまさしワールド”の歌だ。いや、歌というより朗読に近い。

女性側からの視点で詞が書かれているが、流風も好きなタイプの作品だ。詞の内容が、彼の落研の経験を活かして、なかなかユーモアがある。笑いのツボを押さえていると思う。

そして、雨宿りで出合った二人が、翌年、初詣で偶然、再会したことで交際が始まり、ママや兄貴にからかわれながらも、5月の水曜日に自宅に連れてくることになる。彼の靴下に穴が開いていたので、それを隠そうとするが、皆にばれてしまったりする。

ところが、いろんなやり取りをしながら、彼の突然の結婚の申し込みという急展開に驚き、卒倒。「気がついたら あなたの腕に 雨やどり」というオチがついてめでたし、めでたしとなる。

靴下に穴の段は、場面は異なるが、かつてブログにアップした『靴下の思い出』と重ね合わせたくなる。靴下の穴は、男なら誰でも経験のあることかもしれない。だが、彼らはうまくいき、流風の方はうまくいかなかったところが大きく異なる。やはり雨宿りを機縁とすると、人々を結びつけることが多いのだろうか。

その他にも、男女の縁では、『今昔物語』にも「雨宿りの宿に一夜を契る話」という話がある。これは現代と習慣が異なり、若い人には若干理解しがたいかもしれない。それでも、若い男女の愛には違いない。

若干ニュアンスは異なるが、戦前でも、大学生が、下宿屋の娘と一緒になる例はよく見られたという。要するに身近になった人とつながりやすいということだろうか。だが、この雨宿りの例は急な出来事に近い。時間をかけて愛を紡ぐということではない。若者の恋に近い。それでも、それを機縁とすれば縁につながるとは言える。さて、そのあらすじは次の通り。

左大臣良相(よしすけ)の御子に高藤という人がいた。その人は親の影響で、鷹狩好きであった。その人が15,6歳の頃、鷹狩に行き、雷鳴と共に激しい雨が降ってきた。

雨宿りしようと馬の進むままに走り去ると、人家が見つかり、馬は廊下の端につないで、小さな廊下に腰を下ろして雨宿りした。

しかし、雨は止む様子もない。やがて、人家の40歳くらいの男の人がやってきて、「雨の止むまではお休みになってください」と言い、お付きの従者にどういう方ですかと問うと、「身分の高い方です」と言うので、それなりの手配をしてもてなす。そこに現れた13,4歳くらい若い女が給仕をしてくれる。

その夜、彼女と一夜の契りを結ぶが、やがて夜が明けたので、「誰とも契るな」と言って、身に帯びていた太刀を渡して、後ろ髪惹かれる思いで帰る。その後、彼の父が亡くなったりして、6年の歳月が経つ。従者が田舎に帰ってしまったので、彼女の居場所もわからなかったのだ。

従者が久しぶりに帰ってきたので場所を尋ね、再訪して、待っていた彼女と最初契ったことで生まれていた子供を、彼女の母親と共に引き取り、めでたし、めでたしとなる。

でも、相手が身分の高い人とはいえ、よく6年間も待ったものだ。その辺は感心するが、当時の女性にとっては、現実的だったのだろう。それにしても、昔の人は早いなあ。現在の日本が少子化で悩んでいることを知ればびっくりするだろう。現在の日本も結婚年齢を引き下げるか。

このように、雨宿りは、最初に指摘したように、心理的なものが男女を引き合わせるのかもしれない。そして、雨の日には、異性が美しく見えるのかもしれない。そうなると、雨の日に出かけるのも、あながち無駄なことではないということになる。

いろんな縁はどこにあるかもしれない。身近に縁はあるのだろう。しかし、どこかで共鳴しあうものがなければ、縁にはつながらない。感じ取る力が大切だ。それが難しいところかもしれない。

雨の日には、スーパーの安売りを期待するそこの奥さん、もう少し、若い頃を思い出して、ロマンを思い出しましょうね(笑)。

*参考

男女の縁ではないが、雨宿りのの縁で、学縁になるという誰でも知っている有名な話がある。流風は、子供の頃、母から何回も聞かされた。戦前は教科書にあったらしい。多くの方がご存知であろうが、念のため、記しておく。

  七重八重 花は咲けども 山吹の

   実の一つだに なきぞ悲しき

若き大田道潅が、鷹狩に出て、雨に逢い、あるあばら家に立ち寄ると、そこの土間には一輪の花が咲いていた。蓑を貸して欲しいと言われて、そこの娘が、何も言わずに山吹の花一枝を差し出した。

道潅は憮然として、館に帰るのであるが、老臣にその本意を教えられる。これは古歌にあったことを踏まえての振る舞いであると。そういう教養があったからできた行い。現代で言えば、知的な洒落。

それを理解できなかった道潅は深く恥じ、武道だけではなく、学問にも励むようになる。

 

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