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2006年10月24日 (火)

成長と実行行動主体

よく新聞等で「成長率」などをよく目にするが、この「成長」とは何か。その理解に一部、混乱があるように感じられる。

簡単に言えば、この「成長」は、基本的に過去と現在の比較か、現在と未来の比較が多いであろう。そして「比較される」ものが「比較する」ものより良くなっているということだろう。

前者の「成長」は、結果としての「成長認識」と考えられる。また悪くなる場合は、マイナス成長などと言っているが、少しおかしい表現だ。生物等でも、枯れてなくなることはあっても、マイナスはない。プラスだから成長だと思う。マイナスの場合は別の表現が必要だろう。

よって、「成長(成長認識)」と政府や企業がよく言う「来年は何%成長」とは意味が異なる。前者が実績なのに対して、後者は、「そうであって欲しい」という期待が含まれている。

結局、後者は確定した現在と不確かな未来の比較ということだ。現代の言葉で言えば、行動主体の目標設定がもたらすものとも言える。未来は不確かだから、その成果は、不安の代償とも言えるかもしれない。

だから、主体でない研究所や調査会社などが、成長予測するのは本来おかしい。目標設定に伴う、実行意思が伴わないからである。

毎年、年末にかけて、各種研究所から色々な予測が発表されるだろうが、当てにしない方がいい。彼らは「成長認識」をベースにした予測に過ぎないからだ。実行行動主体の意思が含まれない。

そういうことで、私達は、彼らの予測は完全に無視した方がいいと言える。そのことが明らかになり、多くの経済研究所が苦境にあるのは、そういうことが原因かもしれない。

言い換えれば、成長というものは、なるべくしてなるような気がする。それは主体の個性によって左右されるのではないか。成長というものは実行行動主体次第ということかもしれない。組織においては、リーダーの役割が大きいのはそういうことだ。そして、それは個人に置き換えても、同じことが言えるのだろう。

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