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2006年11月15日 (水)

紅葉狩り雑記と謡曲

今年は、暖かい日が続いたため、紅葉が遅れている。やっと、ここ数日、寒くなったようなので、紅葉が進むと思う。これから紅葉狩りのシーズンだ。今回は、紅葉狩りについて、いろいろ記していく。

昔から、旧暦で言えば、9月20日ごろからが紅葉狩りと云われているので、西暦では、今月の10日頃からが、紅葉狩りに相応しい。しかし、今年の紅葉は、どうも更に遅れそうだ。今度の日曜日くらいがいいかもしれない。二段弁当を持って出かけるか。お酒はどうしようかね。

紅葉狩りといえば、京都が浮かぶ。京都ほど、紅葉の似合う場所はないと思う。少し感傷的な気分に浸れる場所があちらこちらにあるということだろうか。田舎の紅葉もいいのだが、何かが違う。このような景色は、残して欲しいものである。

紅葉狩りを、ブドウや梨同様、果物を刈り取るように捉えている若い人が未だにいるのは、少しおかしい。まあ、昔、聞いた米を洗剤で洗った女性よりは、数段ましであろうが(笑)。それに自分の若い時を振り返れば、そのほかのことで、それに近いことはあったので、あまり笑うことはできない。そのことは、いずれ記す予定。

「紅葉」を名前にしている人もいる。流風が知っているのは、まず『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉。そして、あるサスペンスドラマには必ず出ている山村紅葉ぐらいかな。他にも、いらっしゃるかもしれない。皆、秋に生まれたのでしょうか。

食べ物でいえば、「もみじ饅頭」であろうか。流風は、あの漫才師で有名になった印象が強い。それまでは、お土産にもらっても、そう印象は強くなかったのだが、それ以来、一応気には留めている。

歌で有名なのは、やはり百人一首の中にある、猿丸太夫の例のものであろう。

  奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき

あの鹿の鳴き声は、独特だから、現代人でも、そう感じるだろう。また、猿丸太夫の経歴は不明なのに、百人一首に載っているのは、多分、仮名で相当わけありの人ですね。

さて、謡曲にも、『紅葉狩』があるが、中身は暢気な内容ではない。それは、始めゆったり、後半急転激しくと面白い構成になっている。あらすじは次の通り。

一、信濃の国戸隠山(とかくしやま)で、美しい女達が、紅葉狩りをし、酒宴を開いている。

(女だけで酒宴とは、少し訝しい。)

二、そこに、鹿狩りにやってきた平維茂(たいらのこれもり)が、通りかかる。

(本当かな。別の目的があるのでは)

三、酒宴の主を尋ねるが、ある高貴な女性とのみ答え、素性は不明。

(ちょっと危いが、面白そうと関心を持つのが、男の性?)

四、そこで、馬をおり、酒宴の興を妨げないように、静かに通り過ぎようとしたところ、酒宴の女たちに引き留められる。

(あぶない、あぶない。)

五、断りかねた維茂は、仏道における飲酒戒や邪淫戒を思いながらも、盃を重ね、美女の舞いに見とれ、いつしか深い眠りに落ち、酔い伏してしまう。

(あ~あ、罠に嵌められたようね。大体、罠に嵌るのは男が多い。でも、維茂は本当に嵌ったのだろうか。案外、そういう振りをしていただけかもしれない。そうなると、維茂は並の人ではない)

六、これを見届けた女達は、態度は一変し、気色を変え、維茂が寝てしまったことを見届け、「夢ばし覚まし給ふなよ」と言い残して、凄まじい勢いで山中に去る。

(やはり、罠だったようだ)

七、心地よく寝ていた維茂は、夢の内に、男山八幡末社の神の使者が現れ、鬼神を退治するよう告げられ、神剣を授けられる。夢から覚めると、手には神剣がしっかと握られていた。

(神剣なんて、警戒して、予め準備していたんでしょう。いざという時の為に、戦闘準備OK)

八、維茂が目を覚ますと、雷鳴と共に、山は赤々と燃え、騒然としていた。先程現れた女達は、怖ろしい鬼の姿になり、彼に襲いかかろうとしていた。

(鬼の本性、ついに現れたり)

九、維茂は、臆することなく、神より授かった神剣で応戦し、悪い鬼神を切り伏せ、鬼退治を成し遂げる。

(当初の目的を達成して、めでたし、めでたし)

この話は、いろんな歴史的事実を重ねて、作られたと云われている。残念ながら、流風は、詳しくない(参考参照)。「紅葉」という女性がいたことや鬼のこと、そして平維茂について、学習する必要がありそうだ。

女はおそろしい。これを現代に引き写せば、男なら、誰でも経験あるかも。繁華街で、美人に呼び止められ、ちょっとした浮気心で、入ったところ、ビールとおつまみで、高額の金を請求されるパターン。でも、“鬼神”を切り倒す“神剣”も授与されず、ほうほうの体で退散するのが常だろう。

それはそれとして、女性は、基本的に、外面はともかく、内面は鬼であるようだ。能でも、女性の鬼をあらわす般若の面は、角が2本ある。日頃、角は隠れて見えないが、少しのきっかけで、すぐ出てくる。

男は、そういう地雷を踏まないようにしなければならない。男たちは、そういうことを知っておきながら、度々忘れてしまうが、能は、まるで、世の男どもに、それを戒めているようにも感じられる。世阿弥など(ちなみに『紅葉狩』の作者は観世小次郎信光で、世阿弥ではない)が本当に残したかったものは、案外、そういうものであったかもしれない。

*(参考) 『紅葉狩』解説のサイト
                 http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index43.html

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