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2006年12月30日 (土)

グッバイ、そして、もうすぐハロー

今年も、ついに今回でブログは最終だ。拙ブログを読んで頂いた方有難うございました。内容はともかく、よく書いたほうだと思う。ちょっと習慣化している。途中で書く時間を少しずらしたが、一応一定のペースで書けたと思う。途中で、家族のごたごたもあり、少し大変な時期もあった。

そのために、今年はブログ上でも、個人的に迷惑をかけた人もいる。当方のいろいろな事情があったのも災いした。人生、計算できないこともある。年齢を重ねている割に、慎重な対応ができなかった悔いは残る。来年は、もう少し、ましな対応を心掛けるとしよう。

ラジオを聞いていたら、ビートルズの「ハロー・グッバイ」が流れていた。あれは男女の心のすれ違いを歌っているが、そういう意味ではなく、単純に、それをもじって、2006年さようなら、もうすぐ2007年こんにちは。皆様、よいお年を。

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天網恢々疏にして漏らさず (『老子』第七十三章より)

流風の好きな『老子』に次の文章がある。一生懸命何かに取り組んできて、最後の一戦という時の心構えとしては大切と感じているので、年の終わりに、若干の解釈を交えながら、以下紹介しておく。

    敢に勇なれば則ち殺し、不敢に勇なれば則ち活かす。

  此の両者は、或いは利、或いは害。

  天の悪む所、孰か其の故を知らんや。

  是れを以って聖人は、猶之を難しとす。

  天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、

  召さずして自ずから来たり、繟然として善く謀る。

  天網恢々疏にして漏らさず。

                    (『老子』第七十三章より)

「敢に勇なれば則ち殺し、不敢に勇なれば則ち活かす」とは、要するに積極的な蛮勇より、消極的な本当の勇気の方が望ましいとしているのだろう。

積極的になるというのは、一見勇ましいが、何も考えていないとも言える。待ちの姿勢で泰然自若としている方が、強く見える。

それには自己を鍛え、深く見据え、強い眼力と度量で相手に襲わせない見識・胆識が求められる。ガンジーの無抵抗主義にも近いかもしれない。相手を殺してしまえば、そこから何も生まれない。

相手を活かし、自分を活かし、さらに高い次元を目指すといえば、老子の本旨と違うだろうが、流風には、そうとも感じられる。どこかの国のように、やたらと他と争うことを、戒めているようにも思える。この精神は、『孫子』にも活かされている。

「此の両者は、或いは利、或いは害」は、積極的な蛮勇と消極的な本当の勇気とどちらに利があり、どちらが害があるのだろうか。

各人考えてみることが大切だ。どちらが省エネかおわかりだろう。しかし、これには自力がなければかなわない。消極的(不敢)という字面に迷わされてはいけない。

「天の悪(にく)む所、孰(たれ)か其の故を知らんや」は、人々は、天がどちらを憎むかについて、意外と考えていない。

私達は、戦後、積極的行動が支持される風潮の中で育った。例のプラス思考もそうだろう。だが、いつもそればかりでは疲れてしまう。自己の内面を鍛え、何にも動じない精神の涵養が求められる。

「是れを以って聖人は、猶之を難しとす」は、聖人であれば、何事も敢えてする力を持ちながらも、積極的にやることは困難だと理解し、何もやらない。

そうかといって、何もしないのではない。何事にも屈しない力は蓄える必要がある。他者が恐れるくらいの力は養わなければならない。その上で、他者に何もしない。

「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召さずして自ずから来たり、繟然(たんぜん)として善く謀る」は少し長いが、以上のことの具体的対応を説明したもの。

こちらから争いをかけることなく、しかも相手に打ち勝ち、自ら言葉を発することはしないが、相手の言葉には適切に応じ、相手をこちらから招くことはないが、先方から訪問してくるようにし、あっさりして、あまり細かな思慮をせずとも、計画は自然で筋が通っている。

「天網恢々疏にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」という言葉という一文は大抵の方がご存知だろう。

結論として、天の道は、自然体で、作為で成り立つものではないと言っている。天の網の目は粗く広大なため、一般の人間にはわからないが、天は全て把握していて、全てのものは、あるようにあるのである、というようなことであろうか。

結局はあるべきように収まるのだから、天の差配に任せるべきである。人間は天からすれば、蟻のような存在である。であれば、天に任せれば、あるべき方向に、成るようになる。

人間、なかなかこの域に達するには大変だ。人間社会以前の状態は確かにそうであろう。老子は、人間社会が作り出す複雑さで、誤魔化され、この世の本来ある姿を思い出せと言っているのかもしれない。

人間社会を分析した孔子についても、老子は、お前は作為がありすぎると批判しているというう噂だ(老子が孔子に会っているかは不明)。現実の人間社会では、孔子のような世渡りが求められるだろうが、老子の言う精神は時々思い出して尊重したいと思う。

*注

また「天網恢々疏にして漏らさず」は、原典では、「漏らさず」は「失わず」となっている。ある本で、誤記したものが、普通に使われるようになったそうである。また最近は、「疏」を「疎」と表記している書物も多い。

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2006年12月29日 (金)

酒飲みと落語『市助酒』

最近は少なくなったようだが、夜、夜回りの人々が、拍子木を叩いて、「火の用心」カチッカチッと言わせながら、通り過ぎていた。自警団とか、消防団や自治会の人々が回っているのだろう。子供の声も聞こえる。流風も、子供時代、かじかむ手を辛抱しながら、拍子木を打って回っていたことを思い出す。

さて、今回取り上げる、落語『市助酒』は、その夜回りの市助が主人公である。別に好きで夜番になったわけではなく、彼は、生来の酒好きがたたって、大酒屋の身代を潰してしまったのだ。その挙句の果てというのが、今の彼の姿なのである。夜回りして、いくらかの金を手にしているのだ。

(大体、身代を棒に振るのは、飲む、打つ、買うが過ぎることだろう。飲むは飲みすぎということもあるだろうが、何の目的か知らんが(笑)、飲み屋への通いが多すぎることだろう。打つは、言うまでもない博打に精を出すことだろう。現代では、訳のわからない投資話に乗って事業資金を投資することも含まれよう。買うは、女性問題ですね。ちょっとまとまったお金が入ったということで、女性を世話したりして、仕事に身が入らなくなり、事業を傾ける。)

寒い晩の夜回りはきつくて楽な仕事ではない。そうすると、辛抱たまらず、生来好きな酒を一杯ひっかけて夜回りすることになる。夜回りしていると、伊勢屋から灯りが見えたので、挨拶して声をかけると、そこの番頭は、「また酒に酔いやがって。馬鹿な奴だ。喧しいからさっさと行け」と叱りつける。

(確かに、番頭の指摘は正しい。酒が入っていれば、正しい判断もできないだろうし、急場に対応できるか怪しい。)

その声を聞いた伊勢屋の主人は、聞きとがめ、「これこれ、そんなことを言うもんじゃない。これはもともと、私共の奉公人が行かなければならないところを、便宜上、あの男にさせているんだ」と言う。

(今で言えば、アウトソーシングしていたんですね。外回りさせて、風邪でもひかれたら、仕事に差し支えるから頼んでいたのかも。そのことは、次の言葉でわかる。)

更に主人が言うには、「あれが回ってくれなんだら、どうするんだ。あれが回ってくれるから、自分たちが回らんですんでいるんだ。今夜は風もきついし、寒さも増す。それを叱りつけるとは何とも可愛そうなことだ。ああいう者は労わらないと」と番頭をたしなめる。

(ここら辺が、主人と番頭の違いと言えようか。主人になる人間は、それなりに深謀遠慮。)

流石に、番頭も思い直し、翌日から、市助がやって来ると、酒を飲ませて慰めた。これには、市助も大変喜び、番頭にお世辞を並べ、いい心地で帰っていく。そして、ぐっすり眠ってから、また回りだす。

(誰であれ、気持ちよく仕事をさせることは、大切だ。最近は、わかっていない経営者も多いが。)

伊勢屋の番頭が、また「ご苦労さんだな。気をつけてまあんなさい」と言うと、市助は、「へえ、お宅さんは焼けたってようございます」とオチ。

(要するに、伊勢屋は夜遅くまで、灯りが漏れて無用心と思ったが、いつ行っても、番頭が起きている~多分交代制。だから、火の用心の心配はいらない、ということを皮肉ったもの。)

伊勢屋さんは、よく繁盛しているのでしょう。こういう商人は、小さいことの配慮が行き届くので、火事を出すことも少ない。火事を出すのは、やはり小さいことの目配りができていない仕事の暇なところだ。

往々にして、あまり儲かっていないところが、火事を出す。そして、火事は七代恨まれるから、そこでは商売できなくなる。よく働き、細かいところまで、目配りするのが、商売を繁盛させる要諦のようだ。

それはそれとして、年末・年始、お酒を頂く機会は多いが、ほどほどにして、火の用心を心掛けたいものです。特に酒飲みの方、ご用心、ご用心。

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2006年12月28日 (木)

どこに行こうか初詣

初詣には毎年行き先を決めている方も多いだろう。しかし、神社によって、それぞれ特徴が違う。例えば、結縁、学業成就、商売繁盛、健康長寿、開運厄除け、家内安全、交通安全、安産などだろうか。

当ブログで紹介した兵庫県下の神社では、まず高砂神社がある。ここは「結縁(けちえん)」の神と云われている。この結縁はもともと仏教用語で、辞書によれば「衆生が仏道を修業するために、まず仏法僧に因縁を結ぶこと(広辞苑)」とある。転じて、男女の縁を結ぶと考えているのだろう。でも神社で使われるのは日本的。

元日の午前零時より、祝言「高砂」の大合唱をするらしい。それから新年の福を受ける歳娘の奉仕があるらしい。祝玉開き、甘酒の接待などのほかに、干支飾り・破魔矢・絵馬の頒布をする。先着3千人に干支である亥の神盃が授与されるらしい。

もう一つの、湊川神社は、開運招福・縁結び・家内安全・厄除けの神と云われている。元日零時から初太鼓がある。午前7時から「歳旦祭」があるようだ。2日は午前9時から「初日供祭」、3日は、午前11時から「元始祭」があるようだ。

ブログでは紹介していないが、生田神社は、健康長寿・商売繁盛・海運・陸運の神を祀っている。大晦日の午後5時から大祓式、除夜祭がある。元日午前零時より神戸太鼓の初打ちがあり、午前6時から、「歳旦祭」がある。2日は、午前10時から「日供始祭」や「翁面掛神事」なども催されるようだ。

姫路には、播磨国総社がある。正式名は、射楯兵主神社。十世紀の「延喜式神名帳」に登載されている由緒ある神社だ。十二世紀ごろに、播磨国の主な神々を勧請した神社になった。よって、ほとんどの神様が揃っていることになる。

その他の神社でも、例年のようにいろいろな催しがあるのだろう。初詣にいかない人もいるだろうが、神社に行って、気持ちを新たにするのもいいことだと思うよ。さて、どこに行こうか。

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2006年12月27日 (水)

餅つきの思い出

先日、久しぶりに餅つきする姿を見た。消防団の方々が、近所の子供を招いてやっているようだった。餅つきといえば、杵と臼の童話を思い出すが、内容は忘れてしまった。確か、どちらが偉いかというような話だったと思うのだが。

正月を迎えるにあたり、お餅の準備をされている家庭も多いだろう。お餅は健康食であり、保存食でもある。流風家は基本的に丸餅である。でも、子供の頃は、切り餅(但し、切らない状態で、家庭で正月を過ぎてから切る)も用意されていた。

さて、子供の頃(多分小学校に上がる前)、近所で餅つきをやっていた。近所の者が総動員でやるのだ。わいわいやるので、子供としては楽しかった。杵と臼を借りてきて、近所でもち米を出し合い、皆で餅をつくのである。力持ちのおじさんが中心に、「よいしょ、よいしょ」の掛け声と共に、杵をつく。お母さん方も手水をタイミングよくやっていた。

流風も杵を持たしてもらうのだが、重くてふらふらしていたのを覚えている。周囲がハラハラしているのは感じられた。よくこんなものをもてるものだと思った。また手水をするおばさんとのタイミングが難しく苦労した記憶もある。それでも大体、後は見学が多くて、餅粉に乗せられた出来上がった熱い餅をちぎって丸くする手伝いをするのが中心。しかし、これも子供には結構熱くて大変だった。

丸餅のほかに、切り餅用の大きな餅と鏡餅を持ち帰る。餅箱に入れてしばらく保存。鏡餅は、三方に半紙を敷いて、裏白を乗せて、鏡餅の大・小を置き、その上に串柿を置いて、昆布を垂らし、橙を置く。毎年、流風の役目だった。

正月期間はずっと丸餅を頂いていた。大きい餅は、正月が過ぎてから、父が切っていたように思う。その頃には、少しカビが生えている場合もあった。鏡餅は確か15日頃に、父が鏡割りということで、金槌か何かで割っていた。これにはカビが生えており、少し気味が悪かった。大変固くなっているので、割るのに苦労しているようだった。割れたものを水につけて、ふやかせ、少し水気を取って、焼いて、ぜんざいなどにしていたようだ。

しかし、餅つきをしたのは、幼年時代だけで、それ以後は、購入していたようだ。多分、その頃から時代のスピードが変ったのだろう。最近は、更に輪をかけて、全てパックされた味気ない鏡餅が売っているが、少し風情がない。これも時代かもしれない。でも、餅つきの習慣が廃れていくのは、少し残念だ。

そんなことを思い出して、感慨にふけっていると、今年も、終わりまですぐだ。あっと言う間の一年だった。

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2006年12月26日 (火)

日米同盟と日本外交

日米同盟について、とても論じられるとは思わないが、一般人の感覚で若干触れてみる。それは日米の政治状況にやや不安を覚えるからである。

まず米国の外交理念について、とやかく言うつもりはないが、外交手法はお粗末と言わざるを得ない。現ブッシュ政権だけでなく、それは、どの政権でも言えることだろう。米国は不思議な国で、外交ブレーンはしっかりしているのに、政策遂行組織の政府は、度々大きな過ちを犯す。

指導者に哲学が不足しているのだろう。政治姿勢が非常に軟弱だ。そして、このような国が、いつまでも世界のリーダーなのだろうか。米国が、このような状態で、尊敬される国家には、まずなれることはない。

覇権を求め、王道を行かないものが、真のリーダーになれる可能性は低い。多分そういうものを目指していないのだろう。世界各国は、表向きは、米国に、お上手を言っても、皆、馬鹿にしているだけだ。

米国政府は、一見筋が通っているようで、基準があやふやだ。相手方の出方で変化する。それが世界を混乱させている。日本政府は、米国の要求が全て正しいと判断しているのかどうかわからないが、むやみに追従しているように、国民には、そう映る。否、むしろ何も考えずに従っているように感じる。共に身体だけが大きいだけで、頭のない政権と言えるかも知れない。

それはさて置き、米国は、彼らの外交ミスのカバーを度々、日本に押し付ける。国民にとって、非常に不愉快な国には違いない。単なるコミュニケーション・ギャップだけではあるまい。日本に対する差別意識も感じられる。このような国と真の同盟関係なのだろうか。日本は米国にとって都合がいいだけの国ではないか。

そういった環境下、今後も、日米同盟は果たして機能するのであろうか。少し前の報道によると、日米同盟に絡めて、米国高官が、日本の憲法解釈変更を迫っている。それは、「政府の憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使とミサイル防衛」に関するものだ。「ミサイルが米国に向かうことが明らかで、日本がそれを打ち落とせるのに落とさないのはクレージーだ。そんなものは日米同盟ではない」と言っているそうだ。

「日本に米国に向かうミサイルを打ち落とせ」と迫っているのだ。そんなことになれば、戦争になるだけのことなのだ。ミサイルを、おもちゃのように考える米国の高官の思考には、非常に幼いものを感じる。

それに日本には、そんな技術もないし、第一、彼らは、その技術を秘匿し独占しているではないか。情報だって、日本が米国より先に入手することは現状ありえない。米国は情報操作も可能だ。この発言は、夢想で、全く、馬鹿げている。思慮の浅い高官が米国政府にいることに不安を覚えざるをえない。

しかしながら、お追従で、馬鹿な発言をする日本の政治家もいるのは残念なことだ。このような思考で突き進めば、いずれ米国は衰退の道を加速させるだろう。その時、日本は、追随すれば、同じ憂き目に会うだろう。そして、皮肉にも、米国への日本のお追従が米国を弱体化させるのだ。

確かに、「同盟」とは、「軍事同盟」の意味を持つのだろう。しかし、同盟の程度は曖昧だ。例えば、仮に、日本が第三国から侵略された場合、米軍が日本を救ってくれる保証は何もない。彼らは日本駐留の米軍は救うだろうが、その他の日本人は救済するつもりはないだろう。私達は、常にそのように考えておかなくてはならない。

自国民を救うのは自国でしかありえない。他国が援けてくれるというのは、所詮、希望や願望に過ぎない。それは歴史が物語っている。そう思っていて、意外と同盟国が救ってくれれば、ラッキーなのだ。それくらいの考え方をして、いかに自国を守るかを考えなければならない。日本政府は、過剰に米国に期待しすぎている。

つまり、日本が侵略されたとしても、彼らは、せいぜい侵略された後、国連を動かして、支援の旗振りはするかもしれないが、米国は、せいぜいビジネスになりそうなネタを探して、「支援」と見せかけて、援助するだけだろう。それは日本だって、同じことだ。米国が第三国に侵略されたとしても、米国同様のことしかできないだろう。せいぜい資金や物資の援助ぐらいだ。

同盟というものは、絶対ではない。日本がまず考えなければならないことは、日本が主体となった外交力の強化であって、ミサイルを打ち落とすことではない。そして同盟のあり方を考える必要がある。

もちろん国際平和を保つには、確かに奇麗事だけではすまない。しかし、それでも、どのように平和に導くかという理念と行動がなければならない。それが日米両首脳に欠けている。

それでは、同盟国は、世界平和に対して、どういう理念を持ち、行動をとるべきなのか。はっきりいえることは、政治とは、目先のことを考えるだけでは意味がないということだろう。世界の歴史の絶えなる観察と共に、常に長期的波動を理解し、いかに短期に対応するかが求められる。そういうことを両国民が共有する必要がある。

その上で、日米は、世界の国家を睥睨して、同盟の観点から、各国の現在・未来の国力・民力を精査すべきである。そして、それに対する予防外交同盟が本来の同盟のはずだ。軍事が手を出さざるを得ないのは外交の怠慢なのである。

混沌とする国際政治に対して、日本は外交でどのように対応すべきなのか。一般国民も、放置できない状況であることを理解すべきだろう。

*平成26年3月28日追記

安倍首相が、相も変わらず、憲法を修正せずに、解釈変更で集団的自衛権を認めるよう主張している。どうも彼は戦後の日本の立ち位置を理解していないようだ。日本は、戦後、「平和国家」を標榜し、「平和の配当」を受けてきた。これに、どんな問題があるというのか。日本は、わざわざ他国の争いに巻き込まれる必要はない。

また日米同盟は、米国が利用価値があるから、結んでいるのであって、それ以外の意味はない。過剰に米国に思い入れしないことだ。日本の領海・領空上で、米国軍が被害に遭えば、米国は単独で処理しうるし、それだけの能力を持っている。日本が介入する余地はないはずだ。安倍首相は、何か勘違いしていると思う。

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2006年12月25日 (月)

『四知』ということ

やらせのタウンミーティングや談合が話題になっていたが、こういうことは隠してやってもいずればれる性格のものである。術に得意とする者は術に溺れる。そして、そういう作為は、どこからともなく漏れる。ところで、『四知』という言葉がある。中国の後漢の時代の楊震の言葉と云われる。

彼は太守になるが、ある土地に宿泊した折、深夜、密かに、かねてから知っている役人の王蜜という男が訪ねてきて、賄賂の金を贈ろうとした。彼は、王蜜を以前その才能を見込んで、茂才(官吏登用試験に合格した人)に挙げてやっていたのだ。

しかし、楊震は、「私という人間をよく知りながら、そんなことをするとはどういうことだ」と、彼をなじり、しかし穏やかに、頑として受け付けない。そうすると、王蜜は、「ここには、先生と私しかいません。誰も気づく人はいないでしょう」と言って、更に迫る。こういう場面は、現代でもよくあるんでしょうな。

すると、楊震は、静かに相手の目を見据えながら、次のように諭した。

「天知る、地知る、子知る、我知る。誰も知らないことはない。よくそんなことが言えるな」

役人王蜜は、愧じながら、すごすごと引き揚げていった。

中国の汚職は伝統的に凄まじい。日本の比ではない。だが、基本的な汚職の構造はまさにこういうことから始まるのは、日本でも同じだろう。

しかし、関係者に取り入ろうとして、不正をしても、いずれそれは明らかになる。そういうことは、にじみ出るように、人々の噂になる。人の口に戸は立てられない。同様に、人々を作為で騙そうとしても、そんなことはいずれ露見するものだ。

為政者や官僚は、楊震のように、もっと慎重な行動が望まれる。ましてや、現代の日本は民主国家だ。それを自ら壊すようなことをする為政者や官僚に席はない。

*注)

「地知る」は「神知る」となっているものもある。なお、「子知る」とは、「君も知っている」という意。出典は、『後漢書』や『十八史略』。

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2006年12月24日 (日)

謡曲『葵上』から『野宮』へ

先日取り上げた『葵上』と関係が深い謡曲が、今回取り上げる『野宮』である。ただし、未だに鑑賞したことはない。よって、下読みに近い。源氏物語の『葵上』が上巻とすれば、『野宮』は、下巻に相当するものだろう。こちらの方が、時代が下って、六条御息所も、謡曲『葵上』より、若干落ち着きを取り戻した時の場合といえようか。ただ、『葵上』ほどには人気がないようだ。

『葵上』では触れなかったが、六条御息所は美人で教養ある女性である。ただ少々鼻につく欠点がある。現代でも、エリートの女性にも同様なことが言えますよね。

男としては、一度アプローチしてみたいが、若干怖くて敬遠気味という感じ。それに、いつも自分が自分がという意識があり、疲れるし、男としても主導権が握れないからね。男に主導権を握らせるフリだけでもしてくれたらいいのだが、彼女達は、高いプライドから、そういうことはできないようだ。

そういうことで、こういう女性に、ちょっと、ちょっかいを出すととんでもないことになる(笑)。ちょうど、これが光源氏と六条御息所の関係と見ればわかりやすい。ちょっと流風の偏見が入っているかな。

余談はさて置き、さて、この題名の野宮とは、斎宮の赴任前の精進潔斎の場所のことである。六条御息所の娘は斎宮になる。斎宮は伊勢神宮に仕える未婚の皇女のことで、彼女は後、実際は光源氏の子供である冷泉院の中宮になる。

この謡曲のあらすじを整理すると、今回は、読み込みが足らず、少し自信がないが、次のようになった。例によって、若干茶化しながら記す。

①ある秋も深まった夕暮れ、旅の僧が、嵯峨野の黒木の鳥居に小柴垣の趣き深い野宮を訪れる。ここは、昔、御息所が、光源氏との愛を失い、恋仲を清算すべく、斎宮になる娘に連れ添って野宮に籠ったところだった。

要するに、先程説明したように、光源氏は、素直に愛してくれない御息所を見切った。でも、御息所はなぜ自分が見切られたのかわかっていない。何でそんなことわからへんのや。わがまま放題に育ってるからやで。まあ、わがまましたい放題は光源氏もだけど。その自分のどうしようもない感情との葛藤を整理するため、娘と共に野宮に籠ったんや。

②忽然と、一人の里女が現れ、僧に問いかける。そして、今日は9月7日で、故事を偲び、静かに神事を行う日なので、早く帰るようにと言う。僧が、不思議なことと思って尋ねると、その女は、野宮に籠った日々や、光源氏が世を忍んでいた六条御息所を訪れた日だと言う。そして彼が訪問後、伊勢に下向したことを語る。

そういうと女性は、何かの記念日はよく覚えているんや。男にすれば、どうでもいいのに、それを忘れていたりすると、大変なことになる。なぜ、ああいう事細かなことを覚えられるのかようわからん。未だに不可思議。

③そして、女は、自分こそ、その御息所の亡霊だと名乗り、鳥居の陰に姿を消す。

名乗るんやったら、はよ名乗りや。ややこしい。

④僧は、来合わせた里人に、六条御息所について尋ね、夜もすがら弔っていると、網代車に乗った御息所が高貴な姿で現れ、賀茂の祭りで、葵上との車争いに敗れたことを、激しい調子で嘆き、未だこの世に残す妄執を晴らして欲しいと頼む。

『葵上』と違って、妄執を晴らして欲しいと言っているんやけど、あんたもやっとわかったんかいな。まあ、人間、達観するには、時間が必要ということなんやろね。

⑤しかし、一度、感情が吐き出されると、激しい波も収まると、昔を偲んで、陶酔するように舞を舞い、光源氏の訪れを思い起こして懐かしむ。

感情の波の激しい人はかないまへん。相手にするのが疲れるわ。今でも、朝機嫌がよかったのに、昼を過ぎる頃から機嫌が悪くなったり、その逆パターンの人もいてはる。適当に聞き流せたらええけど、そうもいきまへん。あんたのためにストレスたまるんやで。こういう人とはつきあいにくい。まあ、彼女なりに、光源氏を愛していたことはわかる。

⑥やがて、彼女の霊は、迷いから抜けられない自分を顧みつつ、成仏を願いながら、また車に乗り、野宮から消えていく。

やれやれ。

でも、六条御息所のような性格を直せるかといえば、それは難しい。素から持っている基本的資質に環境から影響されて性格は形成される。一旦、形成された性格を直すことは不可能。

そういう意味では、性格と云うのはこわい。でも、どうすることもできない。大きくなって環境をよくしたところで、性格はそんなに変らない。ある意味、達観が必要かもしれない。自分の性格と上手に付き合うしかないということかもしれない。しかし、第三者は迷惑することもある。

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2006年12月23日 (土)

漢詩『偶成』について その三

西郷南洲(隆盛)も多くの漢詩を残しているが、その中に、『偶成』がある。但し南洲は、『偶成』と題するものをいくつか残しており、今回取り上げるのは、本によっては、『偶感』となっているものである。

                 『偶成』       西郷南洲

        幾たびか辛酸を歴(へ)て志始めて堅し

        丈夫玉砕すとも甎全(せんぜん)を愧(は)ず

        我が家の遺法知るや否や

        児孫の為に美田を残さず

まず、「幾たびか辛酸を歴(へ)て志始めて堅し」は、人間は、多くの辛酸を舐めて、はじめて、志操堅固になる。苦労なしで、大成することはない。病気、汚職等の投獄、事業の失敗などで、人間は強くなるという。ただ現在の日本は、それらの人々の再起を許さない環境にある。

次の、「丈夫玉砕(ぎょくさい)すとも甎全(せんぜん)を愧(は)ず」は、丈夫=男子たるもの、やるべき時には、玉砕(玉と砕ける)しても、甎全=敷き瓦のような恥をかかない。すなわち、敷き瓦のような値打ちのない人間になってはいけない。自分の志を曲げて生きてはいけない。

「我が家の遺法知るや否や」は、後々まで伝えたい我が家憲としては、として次の句に続く。ただ、『西郷南洲遺訓』では、「我が家の」は「一家の」となっている。本来はこれが正しいのだろう。詩吟とか詠むのに、調子が悪いから、後世の人が変えたのだろう。

「児孫の為に美田を残さず」は、大変有名な言葉で誰も知っているだろうが、子孫に財産を残さないということだ、と言っている。これは、かのユダヤ人も、基本的には、そうだそうである。彼らは、子供に教育を残す。事業でも、二代目は創業者の苦労を知っているから、継いでも、そんなに無茶はしない。しかし、三代目になると、創業者の苦労を知らないから、贅沢に走ったりして、身代を潰してしまう。そんなことなら、子供に財産など残さない方がいいのかもしれない。但し、財産のある方にのみ言えることだが。

*追記

漢詩『偶成』と題するものは、他にもいろんな方々(例えば、松平春獄、藤田東湖など)が詠っている。だが、後世の者に参考になりそうなものは、以上に取り上げた三篇だと思う。

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2006年12月22日 (金)

地方の破綻とリストラ

夕張市の破綻は、各地の破綻寸前の住民に大きく影響していることだろう。破綻させた市の責任者や議員たちは、刑務所に送られても仕方ない。経営能力のない自治体の首長たちに果たして危機意識はあるのか。

基本的に、リストラしなければならないが、それは何も公務員の首切りだけを意味しない。必要なのは、リストラ本来の意味での、組織構造改革であろう。

まず、いかに住民の方を向いて行政の舵取りをするかが問われている。住民を顧客と考え、顧客満足をはかれない自治体は生き残れない。税金を納めている住民に対して、満足させる施策が望まれる。

極端に言えば、全ての公務員は、役所を代表している。だから、たらい回しはせず、すべて自己の責任で処置できる仕組みが必要だ。それには、何もかも、上長の判断を仰いでいては、処置が遅くなる。住民に近い担当者に、大きく権限委譲するべきだろう。そうすることで、公共サービスにスピードか出る。

そのようにするためには、もっとシンプルな組織にすることが求められるだろう。つまり、役職を整理することだろう。企業的に言えば、「平社員→課長→部長→役員→社長」以外の役職は不要であろう。

次に必要なのは、公務員の多能化であろう。彼らの雇用は法律で固く守られている。それが故に、人員の運用が硬直化している。それを突き破ることが大切だ。いかに全員が住民の方を向くかが問われている。一つの業務ができればよい時代は終わったと思っていただきたい。

夕張市の破綻は他人事ではない。国民は、自分の住んでいる自治体についてそれぞれ考える必要があるかもしれない。自治体の無駄遣いに目を光らせるべきだろう。

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2006年12月21日 (木)

関帝廟に行く

阪急電車花隈駅を降りて、北に行き、モダン寺の東側の道を更に北に上がっていくと、山手幹線に出る。それを越えて、一筋目の道を西に行くと、「関帝廟」がある。

中国人華僑が商売の神様として祀っている。祀られているのは、中国三国時代の蜀の劉備に仕え、助けた武将、関羽である。信義に厚かったことで知られている。商売において、信義に厚いことは、最も求められること。日本人には、随分いい加減と思われている?彼らも、商売熱心な人は、信義が大切と考えているのだろう。

もともとは、黄檗山万福寺の末寺が大阪にあったのが、廃寺になったのを機会に、明治時代に、神戸の華僑が移築したようだ。それを1939年に、関帝と天后像をこの寺に祀ったのが始まりという。

現在あるものは、震災後、多大な被害を受け、中国人有志で建て直したもの。以前にも、戦災、火災、震災などで何回も建て直ししている。そして、そのたびに、寄付等により立派になっている。

建物は、いかにもという中国様式である。但し、建築様式は日中折衷型で、日本の建築に中国意匠や様式を取り入れているそうだ。朱塗りの山門、登竜門と云われる中門、屋根にある青色の二頭の白竜、唐獅子、大香炉などがそれである。周囲の建物とは、明らかに違っている。

本堂内には、関聖帝君像、聖観音像、天后聖母像などが安置されている。本堂内部の意匠といい、飾り天井といい、透かし彫りの意匠といい、全て中国様式である。

一応、観光スポットであろうが、南京町と比べれば、閑散としている。毎月、旧暦で1日と15日は関帝廟の縁日になっているそうだが、まだ、その日に行ったことはない。多分その日は賑わっているのだろう。

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2006年12月20日 (水)

女心と謡曲『葵上』

女心の複雑さに右往左往する男たちは、流風も含めて、たくさんいる。思考回路の違いだと言ってしまえばそれまでのことだが、実際問題としては、そう簡単には割り切れない。例えば、男に伍して頑張っているキャリアウーマンさえ、男女の問題になると、都合よく女に戻る。そういうことで、男は女で苦労する。

別に、今回は女心の複雑さを分析するわけではないが、その基本的な部分は参考になるかもしれない。一般的には、女性は、嫉妬深く、執念深い。一見、そのように見えない女性でも、当事者になると、そう事は簡単にいかない。付き合っている時は、あっさりして、いいなあと思っても、結婚してしまえば、皆同じらしい(笑)。

さて、今回取り上げる、謡曲『葵上』は、『源氏物語』に題材を取っているものである。その他にも、源氏物語を題材にしている謡曲はある。『葵上』との関連では、『野宮(ののみや)』がある。『葵上』と『野宮』とは、時間的間を置きつつも、関係が近い。

すなわち、両方とも、あの六条御息所が関わってくる。彼女は嫉妬心と執着心の強い女性として描かれている。でも、あれは、案外、原作の『源氏物語』の作者の紫式部自身を投影しているのかもしれない。少なくとも、全ての女性には、強弱はあれども、そういう傾向はある。

ちなみに、この謡曲の、六条御息所に苦しめられる葵上は、光源氏の正妻である。よくある正妻と愛人の戦いともいえる。しかし、『葵上』は題名こそ、葵上になっているが、実際の主人公は六条御息所である。それは『野宮』も同じ事で、本来は題名からは、六条御息所の娘が主人公であるはずなのに、六条御息所が主人公になっている。

それはさておき、謡曲『葵上』のあらすじをメモ的に、多少の雑感を交えながら記すと次のようになる。

①葵上が、物の怪に悩まされて、寝込む。

人の恨みは恐ろしいもので、思いは鬼になり、相手にとり憑くと云われる。でも、単なる嫉妬で人を恨むのはいかがなものか。源氏が憎いのを、妻の葵上にぶつける女心。でも、現代でも同様のことはある。執心の強弱は違えども。ああ、恐ろしい女性たち。

②臣下は、いろいろ手を尽くすが、どうしようもないので、憑き物を正体を暴くべく、巫女・照日の前に占わせる。

巫女に占わせるのが、この時代。流風は神社のアルバイトの可愛い巫女さんしか知らないけど。来年の「えべっさん」が楽しみ。

③やがて、巫女の引く梓弓の音に誘い出されて、破れ車に乗った女性の霊があらわれ、輪廻を離れられぬ苦しみをつぶやく。

笛に呼び出されて鳥が出てくるように、梓弓の音に誘い出されて女性の霊が出る。それは特別なことではなくて、当時当たり前であったようだ。現在でも、山に籠れば、そういう雰囲気は味わえるかもしれない。

④やがて、六条御息所と名乗り、源氏の愛を失った恨みを述べる。

光源氏がプレイボーイだとわかっていて、そういう相手だったのに、そう簡単には割り切れない女心。わかる気もするが。愛は相対的なものということがわかっていない悲劇。

⑤葵上の枕元に立って、責め苛め、幽界へと連れ去ろうとする。

かつて、賀茂の祭りで、葵上と場所取り争いをして、六条御息所は負けてしまう。その屈辱が、葵上に対して持っていた嫉妬の炎を燃え上がらせる。そして、葵上にとり憑いて、恨みを述べて打ち据える。

女のつまらん争いごとのように男には感じられるが、現代の女性でも、結構これはやっている。男とは判断基準が違うんでしょうな。

⑥葵上のただならぬ様子に、臣下は下人を呼び、比叡山の横川の小聖という行者のもとに走らせる。駆けつけた行者が加持祈祷を始めると、悪鬼となった六条御息所が再び現れ、葵上を苦しめようとして、行者を追い返そうとする。

行者の法力との闘争。う~ん、凄い。まっ、法力なんてものが有効かどうかはわからないけど、当時は案外真剣だったかも。現代でも、科学でわからないことは無尽蔵にある。当時であれば、なおさらのこと。

⑧しかし、悪鬼は法力によって祈り伏せられ、お経の功徳で、妄執から解脱し、心を和らげて成仏する。

作者の意図どおり、仏教の功徳で収まる。

六条御息所は元皇太子妃で、英国の皇太子妃だったダイアナ妃に境遇が似ている(但し、六条御息所は東宮と死別)。彼女らはお互いプライドが高く、我が強かったことが災いしていると考えられる。

こういう女性に愛されると男としては辛い。女性としては、愛し方の一つかもしれないが、男は醒めてしまう。そういう心境のところに、更に追われると、男心は萎えてしまう。追えば逃げる典型のようなものだ。

もう一つの教訓は、女性は日頃から嫉妬をあまり辛抱してはならないということだろう。すなわち、陰に籠っては不幸せだということだろう。相手にしっかり少しずつ嫉妬を表現して、ガス抜きすることは、大事だということだろう。パートナーとしては、その時は、それはそれで大変だが(笑)。

六条御息所のような女性は、わがままに育った女性にありがちなことだ。でも、現代の日本の女性であればこういうことは、誰にも当てはまることだろう。現代の光源氏も大変なようだ。

*追記

『源氏物語』は、いろんな作家が、現代語訳しているが、不満なのは、京都弁で翻訳していないことは以前にも若干触れた。京都弁でなく、標準語では、あの物語の心理的深さは伝わらない。京都弁で表現してこそ、あの心理の綾が読み取れるというものだ。実際、京都弁で翻訳したものがあるのかどうか確認していないが、そういうものがあれば、是非とも読みたいものである(一応、そういうものはあるそうだが、高くて入手しづらい)。

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2006年12月19日 (火)

新米と体重増量危機 !

お米は、最近、地産地消ということで、お米は地元産を購入している。以前のように、各地の米を食べ比べはせずに、地元のお米を食べているのだ。これが結構うまい。これが新米だとなおさらうまい。

特別高い値段でもなく、どこのスーパーにも置いてあるのだが、有名な銘柄とそんなに遜色はない。今まで、何か銘柄ブランドで迷わされていたのか不思議である。ただ、地元産でも、大して価格は変らないのにまずい米はある。

さて、ところがである。新米がおまり美味しいものだから、食べる量を増やしたところ、てきめんに体重は増加した。健康のため、かなり減量して、適正体重を維持していたのだが、危険水域ではないが、体重が若干増えて、昔のように元に戻ってしまった。う~ん、困ったことだ。何でも美味しいこの時期の減量は辛い。果たしてどうすべきかハムレットの心境。

流風は、健康的には、体重があまり増えてはいけないのだ。いつもあまり体重は変化しないのだが、今年は違った。どうも食べ過ぎたようなのだ。他人様から見ると痩せているという指摘は、ありがたいが、中身に問題があるようだ。

一応、今年は毎日一万歩のノルマは、駅を一つ飛ばしなどによって、何とか達成しているのだが、それ以上に食べてしまったらしい。美味しいものは食べたし、でも健康のことを考えたら、セーブも必要。困った。困った。

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2006年12月18日 (月)

漢詩『偶成』について その二

藩医の息子に生まれ、生涯、何度も名前を変えた明治維新の三傑(*注1)の一人、木戸孝允(*注2)も、漢詩『偶成』という同じ題で、詠っている。

             『偶成』     木戸孝允  

            才子は才を恃(たの)み

            少年才子愚なるに如(し)かず

            請看(こうみょ)他日業成(ぎょうなる)の後

            才子才ならず愚は愚ならず

これは、木戸孝允自身の自戒の漢詩のようである。勤皇の志士で、かなり頭も働いたのだろう。それゆえ、あの混乱した明治政府の最初の宰相になりえた。流風が思うに、彼以後、彼を超える政治家は残念ながら出ていない。彼の特徴は、大胆でかつ細心で漸進主義であったという。時代が生み出した政治家かもしれない(*注3)。

さて、この詩の最初の「才子は才を恃(たの)み」は、才子は才を恃み慢心しやすい。愚鈍(本当は平凡程度の意かも)な者は、己を知ると勉励する。才に限らず、自分の得意とするものが一番危いと云われる。才に溺れれば、才に滅す。同様に、力に溺れれば、力に滅す。

次の「少年才子愚なるに如(し)かず」は、少年時代は、むしろ愚鈍な方がいいかもしれない (この「愚」は愚鈍というより、普通の人の意味が強い)。孝允が人生を振り返っての自省の言葉のようである。孝允はどちらかというと才子であった。

「請看(こうみょ)他日業成(ぎょうなる)の後」は、他日、地位を得たとしても、ぐらいの意で、次の句に続く。

「才子才ならず愚は愚ならず」は、才子と言われた人は並みの人で、愚者は普通の人でなくなっている~優れた人になっている~ことに気づくだろう、ぐらいの意。

これは、現代で言えば、学校秀才が、社会に出て、必ずしも、社会での秀才にならないことを指している。若い頃に、妙に学問ができたりすると、それでのぼせ上がって、努力をしない。それどころか、できない他者を見下げたりする。どこかの国の官僚みたい。

愚者は、できないということで、苦い思いをするが、できない他者の気持ちがわかる。社会では、そういう気持ちがわかることが大切で、単に頭が良くても、大成しないということに通ずる。

* 注1

明治維新の三傑とは、西郷隆盛、大久保利通、そして木戸孝允

* 注2

和田小五郎→桂小五郎→木戸貫冶・木戸準一郎→木戸孝允、と代表的な名前だけでもこれだけ変えている。

*   注3

但し、勝海舟の評価は低い。彼は、木戸について、西郷と比して、器が小さいとしている。ただ、西郷は、大きすぎて、かえって有用とはならなかった。その辺が、人材の妙だ。

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2006年12月16日 (土)

「九尾の狐」という女性

歌舞伎や能の題材になったり、最近では、漫画やゲームの題材になっている「九尾の狐」というものがある。

ご存知の方も多いと思うが、これは、もともと紀元前に書かれた中国の書物『山海経』で取り上げられたものである。『山海経』とは、へんてこりんな想像上の動物?が描かれたもので、説明より絵が面白い。絵を見ると、九尾の狐とは、狐に九本の尾という感じである。

その説明内容は、青丘の山に「獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。これを食ったものは邪気に襲われぬ」とある。本来は、瑞獣だった。

ところが、その後の取り扱いは、これに見込まれると、災いがくると考えられている。そして、全て、女性の姿で男を迷わす。中国、インド(天竺)、日本と伝承されて、日本で更に話が広げられて伝わっている。

もちろん、これらは全て創作の可能性がある。国を滅ぼした権力者が、史書を度々書換えるように、作為があるかもしれない。話としては、面白いが、実際そういうことがあったかどうかはわからない。一つの教訓話ではあるだろうが。

例えば、殷王朝の皇帝・紂王に取りいった妲己は、紂王の寵愛を一身に受けるが、莫大な浪費をさせた結果、紀元前11世紀に、殷を滅亡に導いたと云われる。ただ紂王のやったことを過大に表現しているように感じる。

太公望が、妲己を九尾の狐と見破ったとあるが、実際は、彼女が邪魔であったのかもしれない。ただ紂王の政治に問題があったことは、他の書籍で総合的に見ても、事実であろう。それが妲己に起因しているとも考えられる。要するに女性に溺れた可能性は高い。

次に、古代のインド(天竺)、紀元前6世紀頃に勃興したマガダ国では、斑足王子は後に華陽夫人となる女性を愛した。王子は妃・華陽夫人の勧めるままに、暴虐の限りを尽くして、国を滅ぼそうとしたと云われる。

王子は、庭にいた一匹の狐が寝ているのを見つけ、矢で射ると、華陽夫人が寝込んでしまった。それで医者の耆婆が診て、彼女が人間でないと見破り、夫人を打ち据えると、狐の正体を現し、飛び去ったと云われる。これだって、事実はわからない。医者の耆婆だって、怪しいものだ。多分、架空の存在だろう。要するに、王子と夫人の関係が悪くなって、追い出したということだろう。王子は夫人に責任転嫁した可能性もある。

次に、褒姒は、紀元前780年ごろ、12代幽王の寵妃となっている。現在の后を廃し、皇太子も廃し、褒姒を正妃にする。彼女は、周に滅ぼされた国の女性。決して笑おうとしないため、幽王はあらゆる方法で、笑わそうとしたのは有名。

後、元の皇后一派に攻められて、滅亡してはいないが、紀元前770年頃、周は分裂している。褒姒は、ある意味、復讐を果たしたわけだ。こういうのと似た話では、豊臣秀吉が思い浮かぶ。女性に迷って、後日いろんな災いを招くのは、日本の歴史でも同じ。そういうのを九尾の狐と言うんですかねえ。

そして、日本へは、753年になって、吉備真備が若藻という一人の美しい少女を連れ帰ったという。それが、380年も経ってから、「玉藻の前」として、約1130年ごろ、鳥羽上皇に取り立てられ、寵愛を一身に受けたという。380年も経ってからというのが、よくわからん。後付講釈で、どこかの学者か研究者のようだ。まっ、創作だから仕方ないか。

彼女は才色兼備な上に優しかったという。う~ん、こんな女性が現実にいるのかな。大抵の男は、イチコロだろう(笑)。だが、天皇は次第にやつれていき、病を発する。無理もない。

陰陽師の阿部泰成が占うと、これは「九尾の狐」の仕業だと発覚する。そして、彼女は宮中から逃亡する。鳥羽上皇の死後、国は混乱しているから、やはり九尾の狐は国難を招いていることになる。また彼は、死の直前、不吉な歌を残している(*参考参照)。

これらに共通するのは、権力者が暴君になった時、女性に溺れやすいということだろうか。そして、女性に夢中になると、ガードはしっかりしていると思っていても、つけ込まれ易いということだろう。結局、政治が疎かになり、人心が不安定になり、外部からの侵略者に攻撃されて滅ぶというパターンである。為政者は、否、経営者と言われる方々も、これらから何を学ぶのだろう。

*参考

   鳥羽上皇 

           心あらば 匂ひを添へよ 桜花

                のちの春をぱ いつか見るべき

           つねよりも むつましきかな 時鳥

                しでの山路の 友とおもへば

                           『千載和歌集』より

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2006年12月15日 (金)

楠公さんと徳川光圀

楠公さん入り口の前を通ると、毎日のように観光バスが停まっている。時々、前を通るのだが、ちらっと見ると、観光客の大半が高齢者である。戦前の教育を受けた人々には、懐かしいものがあるのだろう。

若い人は知らないかもしれないので、念のために記すと、「楠公さん」とは神戸「湊川神社」のことである。人々は、「楠公(なんこう)さん」と呼んで親しんでいる。延元元年(1336年)、湊川の戦いで戦死した楠木正成一族の霊を祀っている。

楠木正成の評価は戦前と戦後では分かれるが、戦前教育では、天皇に対して忠誠を貫いた武将として高く評価されていた。これに対して、足利尊氏は賊軍と言われていた。彼に対しては、戦後の評価は逆転している。こういう評価は、見方で大きく変る。それが人の世かもしれない。

本殿の西側奥に、「史跡楠木正成戦没地」の碑がある。この地は、後醍醐天皇方の楠木正成が足利尊氏と戦った湊川の戦いの中心地である。そして楠木正成が、最早これまでと思って湊川北の民家で自刃した場所でもある。

表門を入った東手前には、楠木正成の墓と、それを建立した徳川光圀公の像がある。水戸藩主であった徳川光圀は、『大日本史』を自ら編纂するなかで、南朝正統理論を展開し、後醍醐天皇を正統の天皇として認めたことから発している。そこで彼は、後醍醐天皇についた楠木正成を高く評価し、大楠公建碑の着手にかかった。

しかし、これには裏がある。徳川家の祖とされる新田氏の正当性を示すために、『大日本史』を書いたとも言われている。新田氏はもちろん後醍醐天皇についているからだ。光圀も所詮徳川家の一族に過ぎない。徳川家の正当性を主張しようとしたのかもしれない。しかし、戦国時代、多くの武将が、家系図を買取したように、本当の家系なんてものは怪しいものだ。徳川家の祖が新田氏であるかどうかはわからない。

話が少し違う方向に行ったが、話を戻そう。ただ、こういう流れは、彼だけでなく、それ以前に、他の人々も感じていたようだ。貝原益軒が京都遊学の帰りに、湊川に立ち寄り、楠木正成の墓に詣でたが、草茫々の中にあって、あまりの荒れように驚き、嘆いた。彼自身、自ら建碑を思いつくが、自分の身分では僭越と感じ、辞退している。そして、彼は光圀に伝えた可能性は高い。彼と親交があったと推定されるからだ。

また尼崎藩主の青山幸利は自領内に、大楠公の塚があると聞き、五輪塔を建立し、墓標にしている。さらに、その後、これを管理していた広厳寺の干巖は、これ以上の墓を建てられないかと思っていたところ、光圀公が、その意思ありということで、建碑の請願をしている。

そのような流れで、光圀公の建碑は実現する。元禄5年、光圀公65歳の時、臣下の佐々宗淳(ささむねきよ、介三郎)を湊川に派遣し、建碑の工事を指揮させている。なお念のために記せば、水戸光圀公は、来ていない。テレビドラマの『水戸黄門』は、多く方がご存知なように作り話で、彼は水戸藩から一歩も足を出ていない。そのかわり、彼の部下にいろいろ見聞させて報告させていた可能性はある。

碑の表には、光圀公の自筆による「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字が記されている。墓の形式は、朱子学の墓の形式と云われる(亀の胴体から竜の首が出ているものの上に墓がある)。

なお、横にある、光圀像は、昭和30年の平櫛田中の作である。最近まで、じっくり見ることもなかったので、彼の作品とは知らなかった。

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2006年12月14日 (木)

戦前の商業の要諦教育

よく戦前の教育に問題があったという人々がいるが、必ずしもそうではない。確かに、古事記や日本書紀や歴史物語などの題材を通じて、天皇への忠誠心を醸成する教育は行われている。しかし、そればかりではない。評価できるものもたくさんある。意外と海外の人々も評価している事実がある。それは戦前の教育を受けた日本人の質は高かったというものである。

それでは、どういう教育内容だったのだろう。例えば、尋常小学校の『国語読本』には、「商業」と題して、次のように述べている。やや長いが、引用してみる(部分的に現代仮名つかいに変更)。

「商業は之に従事する商人だけを利するものではない。商人たる者は、よく共同生活の真意義を弁え、品質のよい品物をなるべく安価になるべく敏速に供給して、広く公衆の為を計らなければならぬ。これ即ち世間の信用を博して堅実に自己の事業を発展させる道である。

買う人の無智に乗じて安い品を高く売付け、見本には精良な品を使って、実際の注文に対しては、粗悪なものを送るような事は人として為すべからざる事である。又単に損益の点から見ても、かような仕方は唯一時の利益を得るに止まって永続することができないから、つまりは小利をむさぼって大損を招く結果になる。

外国貿易に至っては、之に従事する者の心掛け如何の影響が更に大きい。即ち、一人の貿易商が外人の信用を失うような事をすれば、忽ち国全体の商品の信用に関係して、貿易の不振を招き国運の発展をさまたげることになる。外国貿易業者はかえすがえす深くこの点に注意しなければならぬ。

昔は個人の利益を営むのが商業であると思われていた。それ故大多数の商人は、自己の利益を除いては、殆ど何物をも眼中に置かず、忍耐も努力も要するに皆自己のためであった。彼らが町人といって賤しめられたのも其の為であろう。これはひっきょう(畢竟。これはひらがなになっている)文明の程度が低いために、共同生活の意義が明らかでなく、随って商業の本質が理解されず、商人の人格が重んぜられなかったからである。文明の進んだ今日尚このような考えを持つのは、大きな誤りといわねばならぬ」

どうです。小学校の読本教材ですよ。商業における信用の重要性と、公益性を論じている。今なら、どこかの経済団体が、経営者に警鐘しているような内容です。やたら利益を貪ったり、詐欺まがいのビジネスをしている経営者は耳が痛いのではないか。

戦前は、そういうことを小学校の段階で教えていた事実がある。これだけでなく、多くの歴史逸話を通じて、人間のあるべき姿を説いている。これは亡き父からもらったものだけど、流風の頃の小学校の教科書には、このようなことは書かれていなかったと思う。当時、父が私の教科書を見ながら、最近の教科書は実がないなあ~当時、流風は父の言う意味がわからなかった~と言っていたのを思い出す。子供時代に正しい見識に触れることは、たとえ、その時、真の意味がわからなくても、重要なことと思います。

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2006年12月13日 (水)

官庁刊行物の無駄

諸官庁の無駄が指摘されているが、少し前の報道では、大阪府が、刊行物の3割を廃棄処分していることが判明している。売れ残りが多く、いかに無駄が多いかを示している。しかし、これは大阪府に限ったことではないだろう。

国にしたって、白書類も整理が必要だろう。官報販売所に行けば、いろんな白書類が積み上げてある。大体、あんなものは、政策担当者か、研究者ぐらいしか目を通さないだろう。そうであれば、なおのことである。

国は白書に限らず、多くの政府刊行物を発行しているが、編集管理する部門が違うだけで、テーマが重複していたりしているものもある。まるで印刷する部門に貢献するかのようである。発行経費や環境問題は全く考慮外のようである。

また内容に関しては、立ち読みすると、できの悪い学者の論文や学生の卒論のように、中身がなく、やたらと文章が長く、本の厚みがあるものが多い。文章が長ければよいというものでもないだろう。

細かく分析することは、結局総合的には、何もわからないことにつながる。多分、外注の研究所とか、大学研究者に仕事を依頼しているのだろうが、彼らは白書が厚ければ金になると思っているのではないか。

そのような政府刊行物は、大胆に整理する必要がある。また政府刊行物を発行するとしても、ネットで発行し、販売すれば、印刷物は格段に減少することだろう。現在は、環境問題も何も配慮されずに、予算を消化するために、ただ惰性で、印刷物を発行し続けているとしか考えられない。

それにしても内閣府が、どれくらい廃棄しているかデータを持っていないのには、もっと驚いた。彼らは、無駄をなくすことや、費用対コストの考え方がないのかもしれない。一旦始めると、止めることができない官庁の体質にはあきれ返る。まだまだ官庁の無駄遣いは多いようである。国民としても、監視する必要がある。

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2006年12月12日 (火)

漢詩『偶成』について その一

『偶成』という漢詩は、色々な人が、この題で作っている。一番有名なのが、以前にも参考として、取り上げた朱熹の作とされる(実際は日本の禅僧の作といわれる。それを明治時代に教科書用に改作した)『偶成』だろう。記憶は定かではないが、これは、教科書にもあったような気がする。

               『偶成』    朱熹

              少年老い易く学なり難し

                一寸の光陰軽んずべからず

                未だ覚めず池塘春草の夢

                階前の梧葉已に秋声

最初の「少年老い易く学なり難し」は、誰も知っていることだろう。流風も、この歳になって、やっとわかる。学とは、必ずしも学問だけを指さないと思う。人間社会と言った方が適切だろうか。そして、男は一生勉強だ、と子供の頃、教えられたことにつながる。絶え間ない学習が必要だということだろう。

「一寸の光陰軽んずべからず」というのは、若い時は、なかなかわからない。時間は、いっぱいあると思うからだ。流風もそうだった。こういう感慨は、人生の半分以上過ぎた者にしかわからないものかもしれない。そして、後悔した時には、既に遅きに失した感がある。しかし、これは全ての人が、循環するように感じていくのだろう。

「未だ覚めず池塘春草の夢」の「池塘春草の夢」というのは、「池のほとりの春草が萌え出でた夢」という意味だろう。若い時の希望に溢れた夢も醒めきらないうちに人生が終わってしまう。いつまでも、若い時の夢を持っていても、実現することもない。

最後の「階前の梧葉已に秋声」は、門前の青々とした桐の葉も、秋には、秋風で飛ばされてしまう。人生の短さを嘆じている。長いようで短い人生。老若男女皆、残りの人生をしっかり生きたいものである。

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2006年12月11日 (月)

蕪村と神戸

俳句の方面は、かなり疎い流風だ。川柳は好きだが、俳句は、まだ関心の領域に入っていない。とは言いつつ、神戸がらみのものを少し調べてみた。今回は蕪村を取り上げてみる。

まず蕪村の名の由来は、陶淵明の『帰去来辞』(*参考参照)から取っているらしい。「蕪村」とは、荒れた村という意味。その裏には、どういう意味が込められているのだろう。

さて、江戸俳諧の巨匠、俳人蕪村は、摂津国(現在の大阪市都島区)生まれだが、神戸に度々来ているようだ。彼は俳人の方が有名だが、画家としても名高い。俳画の創始者といわれる。しかし、画の方は、未だ鑑賞したことがない。いずれ機会があれば見てみたい。それでは、神戸に来て、詠んだ句を下記以下に記してみよう。

<摩耶山周辺>

               菜の花や 月は東に 日は西に

 摩耶は、当時、初午の縁日は名高かったらしい。摩耶が馬屋・厩に通ずるところから、多くの人々が飼馬の無難を祈って、馬を連れて参ったらしい。その後、摩耶詣が俳句の季題に選ばれたことから、摩耶山が俳句の山として有名になった。

 摩耶山天上寺は蕪村もしばしば訪れ、宿坊で句会を開いたようです。その後、多くの俳人が句会を開くことになります。有名な、この句は境内に句碑があります。摩耶詣での帰り道に摩耶山の中腹あたりで詠んだ句とされる。その他にも詠んでいるようだ(*参考参照)が、この句が一番有名だろう。俳画の特徴がよく出ている。眼前に景色が見えそうだ。

<敏馬(みぬめ)浦周辺>

神戸に弟子がいたので、度々神戸には足を運んでいる。特に敏馬浦(敏馬神社から現在のHAT神戸辺りで、県立近代美術館のあるところぐらいだろうか)は、当時美しい浜辺であったようで、その風光を愛し、京都から兵庫に来る場合は、必ず寄っていたらしい。

残念ながら、ここで詠んだ句は確認していない。代わりに、この近くにいた弟子たちが、敏馬神社に俳句絵馬を奉納しているという。

<須磨浦周辺>

               春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな 

 このあまりにも有名な句は、須磨の浦で詠んだ句とされ、須磨浦公園に句碑がある。俳句に疎い流風でも、学生時代に習って知っている。「菜の花や」同様、雰囲気が手に取るようにわかるのは、嬉しい。

<須磨寺境内>

               笛の音に 波もよりくる 須磨の秋

 須磨寺に保管されている、平敦盛の「青葉の笛」にちなんだ詠んだ句である。境内の源平の庭前に句碑がある。敦盛については、以前記したので、ここでは省く。須磨寺には、時々行くが、句碑については、素通りだった(笑)。次回行った時に確認してみよう。

 神戸では、『文化創生都市づくり』として、「文化に学び、芸術に磨かれるまちづくり」を目指しているそうだ。流風はあまり大上段に構えるつもりはないが、自分が関心を持ったことを今後も記していくつもり。

*(参考) 摩耶山における他の句と云われるもの

               やどり木の 目を覚ましたる 若葉かな

               畠打の 目に離れずよ 摩耶ヶ嶽

               菜の花や 摩耶を下れば 日のくるる

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2006年12月 9日 (土)

最近の民主党の政策論議について

民主党の政策論議が明らかになりつつあるが、どうも揺れているようである。あまり何でも公表するのはいかがなものか。議員それぞれの持ち味で意見を気ままに述べたことを公表していては収拾がつかなくなる。有権者としても、わかりにくい。

例えば、消費税論議でも、消費税は上げずに済ませようという考え方を挙げている。これは以前は年金がらみで、上げると言っていた。それは問題ないと流風は思っていた。

しかし、最近の消費税は上げずに済ませようという考え方は、党内議論としては許されても、公表するには、若干甘いのではないか。それは可能性の一部でしかない。いろんな経済情勢の見極めが中途半端な感じがする。多様な可能性を国民の前に明らかにすべきだろう。公表の仕方に工夫が求められる。

また教育問題でも、高校を義務教育にすべきと論議している。しかし、少し軽率な論議ではなかろうか。風潮に少し流されているような感じを受ける。高校の義務教育化は、現在の硬直した教育体制を更に硬直したものにしかねない。もっと慎重な論議が必要だ。

このように、未だ結論の出ていないことを、議論百出したとして、全てマスコミに公表する必要もない。党としての見解が定まったものを公表すればいいのだ。有権者にとっては、政策提言がふらふらすることは望ましくない。

党内議論に、色々な意見があり、活発な意見交換をすることは、組織にとって大事なことだが、党としての政策を軽々に変更する必要はない。他党の政策や、世間の評判に徒に流される必要もない。自らの党としての主張を辛抱強く主張し続けることが大切なのだ。

結局言えることは、民主党が今までに掲げた政策・主張は、それなりに問題があるわけではないということだ。それはそれで評価できるのだから、別に変更しなくてもいいと思う。そして、もう少し、丁寧な議論(幅、深さ、長さ)が必要と思う。更に民主党という党の位置づけも含めて、慎重な政策論議が必要だろう。

また小沢代表は、過剰に選挙を意識しすぎて、自然体でなくなっているように感じる。人間誰でも、そうだが、あせって緊張しすぎると、十分な成果は望めない。小沢代表には、自然体に戻ることが望まれる。来年の参議院選挙にどうしても勝たなければならないのだという強迫観念は自己を見失うだけだ。

そして、有権者が何を感じているかを、もっと吸い取ることが大事だ。自民党に、少しあきれ返る事象が多い今日、民主党には、もう少し背骨をしっかりしてもらいたいものである。そうすれば、自ずから成果は出てこよう。

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2006年12月 8日 (金)

観光バスの行方

関西の観光バスが不振らしい。なるほど、そんなものかな。確かに、初めての地であれば、多少不安が伴うので、海外旅行同様、パック旅行に近い観光バスは有効かもしれない。

しかし、流風自体も、観光バスはほとんど利用しない。大体コースがワンパターンで、一回乗ればそれで十分だ。旅行に慣れてくれば、そういうワンパターンの旅行では満足できなくなるのが普通だろう。

大体、コースの内容も、バスガイドの説明も、ありきたりだ。観光バス旅行の企画に問題があるのは間違いない。惰性で続けるビジネスが続いた例はない。

そんなものは、今はネットで色々調べられる。そういうことを調べた上で旅行される方も多いと思う。自分でコース設定するか、ある程度目途をつけて、行き当たりばったりの旅のほうが面白い。観光バスが不振なのは、多分、そういうことに対応していないのだと思う。

だから、現在のビジネススタイルを前提にすれば、観光バスは、常に新しい顧客を必要とする。ということは、観光バスが不振なのは、新しい顧客を獲得できていないということが原因だろうか。

しかし、これを突き詰めて考えると、観光バスは、新しい顧客の開発も大切だが、顧客のリピーター化を図っていないことが、不振につながっていると思う。

リピーター化を図っていれば、次から次へと新しい企画が必要なのは言うまでもない。そういう意識が欠けているのだろう。リピーター化を図れば、評判が評判を生み、新しい顧客の獲得にもつながるはずだ。そういう視点で、ビジネスを見直す必要があるのだろう。

そういうふうに考えると、現在の顧客の満足が果たしてなされているか考える必要がある。そう考えれば、コースの企画の見直しも見えて来るし、バスガイドなどのソフト・コンテンツの見直しも必要と感じるだろう。至急、経営改革をしてもらいたいものだ。

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2006年12月 5日 (火)

即戦力と新卒者

デフレの時期に、企業側が即戦力になる人材を求めたといわれる。「高等学校は必要か」のブログに対して、「学卒は即戦力になるか」というようなことで、正体不明さんからコメントを頂いた。

実際のところ、企業において即戦力とは何を意味するのだろうか。確かにデフレ時、人件費削減のため、リストラをし、組織の簡略化を行った。しかし、必要な業務をこなそうとすると、高いレベルの人材が必要になる。しかし、それに見合うお金はない。

そういうところから、本来はありえない学卒の即戦力を言い出したのだと流風は思っている。しかし、企業の本音は、新卒では、間に合わないから、断る言い訳として、即戦力を言い始めたのだ。

ある程度の組織ができた企業では、新卒の即戦力はありえない。そんなことより、企業文化に馴染んでもらう方が大切である。日本のビジネスは、そのほとんどがチームプレーであり、企業文化の理解なしには進まない。

一時、成果配分の評価がもてはやされたが、導入した企業のほとんどが失敗している。現在では、チーム評価にウエイトを置く企業が増えつつある。

よって、新卒の新入社員が、その企業に馴染んで、まともに仕事ができるようになるのは、最低3年間は必要だ。それを仕事が面白くないから辞めてしまうのは、若い人たちが、そういった企業の事情を知らないことから起こっていると推察できる。だから、新卒者の新入社員は最初の3年間に自分を企業に知ってもらう期間と考えればいいのだ。

だから、何もあせる必要はない。即戦力なんて企業は期待していない。企業が期待しているのは、自社の文化に馴染んでくれるかどうかということである。それは何を意味するかというと、現在の企業の初任給は、仕事の割りに非常に高いことが示している。

見方を変えれば、これは終身雇用を前提としている。長期に働いてもらえることを前提にしているのだ。そこに現在の日本における労働コストに問題があるのだ。入社してすぐ辞めてしまう社員が多いのなら、最初から、そんなに高い給与を支払うのはおかしい。

そういうことであれば、本来、一般の新卒の新入社員も、本来「丁稚」期間が必要である。3年間働いて、周囲から認められて、初めて世間並みの給与が支払われることが望ましい。その辺は最低賃金法も含めて、労働法の修正が求められる。

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2006年12月 4日 (月)

わかりにくい安倍政権

全世界において、若い政治家のリーダーシップには限界があるようである。若い首相や大統領は、ほとんど失敗している。それでは、わが国の首相はどうなるのだろうか。

安倍政権になり、2ヵ月が過ぎた。政権から各種問題で発せられる声明が直接的で軽い。地に足が着かず、ふわふわして、まるで夢物語を国民に語っているようで、少々気持ち悪い。それで国を健全に保つことができるだろうか。

小泉前首相は、やらせミーティングで、マスコミを煽り、国民に何も説明しないズルさがあった。彼は国民は馬鹿だと思っているフシがあったのは気になるところだ。小泉前首相のように、国民を騙すことをしていては、いずれ自民党の崩壊につながる危険性が高い。

安倍首相の印象は、そのためか非常にあせっていると感じられるということだろう。まるで、明日にも死が迫っているようなあせり方である。やらせミーティングに、小泉政権時代、ご自身も関与されていることが気になるのかもしれない。しかし、それはご自身が蒔かれた種でもある。それが内心、忸怩たる思いなのかもしれない。

復党問題でも、政権維持のため、来年の参議院選挙で勝たなければならないという強迫観念にとらわれているように感じる。しかし自民党は勝つ環境ではない。だから勝つ必要はなく、負けなければいいのだ。

憲法改正問題でも、国内に説明しないことも、海外の報道機関に対しては、安倍政権の方向性を恣意的に、説明したり、ちぐはぐな感じがする。企業の社長が、社員に説明する前にマスコミに発表するのと似ている。まず国民に対して、丁寧な説明が求められる。

確かに、安倍首相のこの政権での最大の目的は、「憲法改正」にあることは、明らかだ。しかし、そのやり方は、憲法改正を、自分の政権で、何が何でもという発想もあるだろうが、非常に不自然だ。彼の政権で、絶対改正しなければならないというものでもないだろう。

教育基本法の改正だって、そんなに急ぐ必要もなかろう。教育基本法改正などは、憲法改正後で十分間に合う。そんなものを今改正したところで、いずれまた改正されることになるに違いない。どうもやることなすことがトンチンカンだ。

安倍政権のわかりにくさは、結局真意を隠していることだろう。自民党単独政権を目指しているのは、皆、わかっている。「自民党だけによる憲法改正」の真意を隠しての、誘導的直接的発言は、多くの誤解を招く。

周辺に配慮し、意図がわからないようにして、何でもかも、ばらばらに直接的に発言すればいいというものでもない。それが全体像をわかりにくくする。いずれ真意がわかってしまうのなら、正面から話せばいい。その方が、結論が早く得られるだろう。今後の政権運営を見守りたい。

*追記

安倍首相のあのわかりにくさは、血液型のB型が影響しているらしい(笑)。

*2015年8月9日追記

この記事は、第一次安倍内閣時のものだが、第二次安倍内閣でも、同様の印象を受ける。やはり安倍氏は、国の指導者としては、問題がある。その結果、周囲が、変に情報を拡散させて、国を混乱させている。危険なトップと言えよう。

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2006年12月 2日 (土)

クリスマスシーズンと神戸

今年は、クリスマスシーズンなのに、例年に比べて、そういう感じがしない。確かに、神戸でも、イルミネーションをあちらこちらで、派手にやっている(*参考参照)。でも、何か静かだ。別にクリスチャンであるわけでもないし、クリスマスプレゼントを期待した子供の頃のような特別の感慨はないにしても。暖冬のせいかもしれない。まあ、しかし、本当のクリスチャンであれば、もっと静かに祝うだろう。

そして、神戸は、例年のように、この時期に、ルミナリエが開催される。しかし、本来、ルミナリエは、クリスマスとは関係のないはずだ。営業的に、クリスマス時期と重ねているのだろう。

念のために記すと、ルミナリエは、1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災で、亡くなった多くの犠牲者を鎮魂するためのものである。そして、光のない被災地の人々を元気付ける催しでもあった。

しかし、それも、もう10年も経ち、生活を取り戻すと、風化しつつある。多くの支援で、震災の爪痕は、ほとんど残っていないこともある。そのようになると、特に関西以外の人々にとっては、更に他人事であろう。

あの時も、多くの各地から支援を頂いたものの、東京辺りに行くと、他人事として話す人が多かったのには、正直参ったものである。しかし、震災は、明日、日本のどこかで起こっても不思議ではない。震災は忘れた頃にやってくる。日本人であれば、しっかりと関心を持って欲しい。

その一方で、そのルミナリエ自体は、流風は、もうあんなに派手にもうやらなくてもいいのではと感じている。もっと光を落として、鎮魂する方法もあるはずだ。街もあかりは十分取り戻している。当時とは、環境にも変化が生じている。この辺の企画の変更は望まれることである。

それはそれとして、今年のテーマは、『空の魅惑』だそうである。パンフレットによると、「空を覆う雲の隙間から希望の光が差すように、神戸のまちと人を希望の光で満たす」とある。開催期間は、12月8日から12月21日まで。

*参考 神戸のクリスマス関係のイルミネーションのブログの紹介

神戸では、12月1日より3月31日まで、『KOBE ロマンチックフェア』と称して、市内のいろんな所で、ロマンチックな光の都・神戸を演出するらしい。イルミネーション関係を下記に載せておく。ルミナリエに飽きた方々、ついでに回る方々はどうぞ。いろいろな催しもあるようだ。

    http://mari.cocolog-nifty.com/mari/cat4859275/index.html

 

 

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2006年12月 1日 (金)

整備された神戸・三宮バスターミナル

ミント神戸ができて以来、三宮は活気を取り戻している。オープン時ほどではないが、雰囲気はいい。人の流れも変りつつある。更に近い将来、阪神電車東口とJRの東口の拡大がされると、更に流れが加速しそうである。

その前に、また良いこととして、11月26日から、ミント神戸1階の三宮バスターミナルを核として、既存のバス乗り場が一体的に整理され、駅前に点在していたバス路線の内、37路線が集結した。三宮バスターミナル周辺に1番から9番までの乗り場がある(*参考参照)。

既存の路線バスに加えて、有馬方面行き、シティーループ線、高速バス、ホテル送迎バスが乗り入れている。全ての路線バスを包含していないのが残念だが、それでも、以前よりはまとめられた。

今まで、バス乗り場がごちゃごちゃして、わかりにくかった。観光客に尋ねられても、よくわからないことが多かった。これが観光都市かというほど、ひどかったのが、やっと改善された。もちろん、路線に関しては、これでまだ十分ではないという意見もある。でも、全体として改善されて、観光者には朗報だろう。

神戸が初めての観光者にもわかりやすいと思う。神戸空港からも、ポートライナー三ノ宮駅を降りてすぐだから、利便性はよくなった。観光者にとって、迷うことがなくなることは、心理的不安を解消し、観光も快適になるだろう。これは顧客の利便性を優先し、各社が利害を超えて、協力したことが大きい。

それに、ミント神戸1階にある、三宮バスターミナルの雰囲気もよい。チケットカウンター、案内所、待合室、トイレがある。見に行ってきたのだが、ミント神戸自体が新しいので、気持ちよい。

待合室は、いい感じ。またホテル送迎バスの場合は待合室にいると、プラカードを持って出発の案内もしていた。トイレは、きれいだけど、ピーク時には足りないかもしれない。周辺のトイレ事情を把握しておく必要がある。

*参考 神戸市の記者発表

      http://kouhou.city.kobe.jp/information/2006/08/20060831up01.pdf

*参考 バス乗り場の概要

   1番乗り場 市バス64系統 神戸北町方面

   2番乗り場 市バス29系統 HAT神戸方面

   3番乗り場 神戸交通振興バス ポートアイランド方面

   4番乗り場 シティー・ループバス、有馬温泉行きなど

   5番乗り場 淡路島、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン方面

   6番乗り場 四国方面

   7番乗り場 長距離バス 関東、東海、山陽、山陰、九州、北近畿 

   8番乗り場 ホテル送迎バス

   9番~11番 降車専用

(以上より詳しいことは、「三宮駅周辺発着バス路線」と検索すると、より詳しいデータが得られる)

*2008年1月30日追記

  神戸のバス「乗り場インフォ三宮」が開設された。これを利用すれば、もっと便利になる。

  http://sannomiya.noriba.info/

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