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2006年12月20日 (水)

女心と謡曲『葵上』

女心の複雑さに右往左往する男たちは、流風も含めて、たくさんいる。思考回路の違いだと言ってしまえばそれまでのことだが、実際問題としては、そう簡単には割り切れない。例えば、男に伍して頑張っているキャリアウーマンさえ、男女の問題になると、都合よく女に戻る。そういうことで、男は女で苦労する。

別に、今回は女心の複雑さを分析するわけではないが、その基本的な部分は参考になるかもしれない。一般的には、女性は、嫉妬深く、執念深い。一見、そのように見えない女性でも、当事者になると、そう事は簡単にいかない。付き合っている時は、あっさりして、いいなあと思っても、結婚してしまえば、皆同じらしい(笑)。

さて、今回取り上げる、謡曲『葵上』は、『源氏物語』に題材を取っているものである。その他にも、源氏物語を題材にしている謡曲はある。『葵上』との関連では、『野宮(ののみや)』がある。『葵上』と『野宮』とは、時間的間を置きつつも、関係が近い。

すなわち、両方とも、あの六条御息所が関わってくる。彼女は嫉妬心と執着心の強い女性として描かれている。でも、あれは、案外、原作の『源氏物語』の作者の紫式部自身を投影しているのかもしれない。少なくとも、全ての女性には、強弱はあれども、そういう傾向はある。

ちなみに、この謡曲の、六条御息所に苦しめられる葵上は、光源氏の正妻である。よくある正妻と愛人の戦いともいえる。しかし、『葵上』は題名こそ、葵上になっているが、実際の主人公は六条御息所である。それは『野宮』も同じ事で、本来は題名からは、六条御息所の娘が主人公であるはずなのに、六条御息所が主人公になっている。

それはさておき、謡曲『葵上』のあらすじをメモ的に、多少の雑感を交えながら記すと次のようになる。

①葵上が、物の怪に悩まされて、寝込む。

人の恨みは恐ろしいもので、思いは鬼になり、相手にとり憑くと云われる。でも、単なる嫉妬で人を恨むのはいかがなものか。源氏が憎いのを、妻の葵上にぶつける女心。でも、現代でも同様のことはある。執心の強弱は違えども。ああ、恐ろしい女性たち。

②臣下は、いろいろ手を尽くすが、どうしようもないので、憑き物を正体を暴くべく、巫女・照日の前に占わせる。

巫女に占わせるのが、この時代。流風は神社のアルバイトの可愛い巫女さんしか知らないけど。来年の「えべっさん」が楽しみ。

③やがて、巫女の引く梓弓の音に誘い出されて、破れ車に乗った女性の霊があらわれ、輪廻を離れられぬ苦しみをつぶやく。

笛に呼び出されて鳥が出てくるように、梓弓の音に誘い出されて女性の霊が出る。それは特別なことではなくて、当時当たり前であったようだ。現在でも、山に籠れば、そういう雰囲気は味わえるかもしれない。

④やがて、六条御息所と名乗り、源氏の愛を失った恨みを述べる。

光源氏がプレイボーイだとわかっていて、そういう相手だったのに、そう簡単には割り切れない女心。わかる気もするが。愛は相対的なものということがわかっていない悲劇。

⑤葵上の枕元に立って、責め苛め、幽界へと連れ去ろうとする。

かつて、賀茂の祭りで、葵上と場所取り争いをして、六条御息所は負けてしまう。その屈辱が、葵上に対して持っていた嫉妬の炎を燃え上がらせる。そして、葵上にとり憑いて、恨みを述べて打ち据える。

女のつまらん争いごとのように男には感じられるが、現代の女性でも、結構これはやっている。男とは判断基準が違うんでしょうな。

⑥葵上のただならぬ様子に、臣下は下人を呼び、比叡山の横川の小聖という行者のもとに走らせる。駆けつけた行者が加持祈祷を始めると、悪鬼となった六条御息所が再び現れ、葵上を苦しめようとして、行者を追い返そうとする。

行者の法力との闘争。う~ん、凄い。まっ、法力なんてものが有効かどうかはわからないけど、当時は案外真剣だったかも。現代でも、科学でわからないことは無尽蔵にある。当時であれば、なおさらのこと。

⑧しかし、悪鬼は法力によって祈り伏せられ、お経の功徳で、妄執から解脱し、心を和らげて成仏する。

作者の意図どおり、仏教の功徳で収まる。

六条御息所は元皇太子妃で、英国の皇太子妃だったダイアナ妃に境遇が似ている(但し、六条御息所は東宮と死別)。彼女らはお互いプライドが高く、我が強かったことが災いしていると考えられる。

こういう女性に愛されると男としては辛い。女性としては、愛し方の一つかもしれないが、男は醒めてしまう。そういう心境のところに、更に追われると、男心は萎えてしまう。追えば逃げる典型のようなものだ。

もう一つの教訓は、女性は日頃から嫉妬をあまり辛抱してはならないということだろう。すなわち、陰に籠っては不幸せだということだろう。相手にしっかり少しずつ嫉妬を表現して、ガス抜きすることは、大事だということだろう。パートナーとしては、その時は、それはそれで大変だが(笑)。

六条御息所のような女性は、わがままに育った女性にありがちなことだ。でも、現代の日本の女性であればこういうことは、誰にも当てはまることだろう。現代の光源氏も大変なようだ。

*追記

『源氏物語』は、いろんな作家が、現代語訳しているが、不満なのは、京都弁で翻訳していないことは以前にも若干触れた。京都弁でなく、標準語では、あの物語の心理的深さは伝わらない。京都弁で表現してこそ、あの心理の綾が読み取れるというものだ。実際、京都弁で翻訳したものがあるのかどうか確認していないが、そういうものがあれば、是非とも読みたいものである(一応、そういうものはあるそうだが、高くて入手しづらい)。

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