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2006年12月18日 (月)

漢詩『偶成』について その二

藩医の息子に生まれ、生涯、何度も名前を変えた明治維新の三傑(*注1)の一人、木戸孝允(*注2)も、漢詩『偶成』という同じ題で、詠っている。

             『偶成』     木戸孝允  

            才子は才を恃(たの)み

            少年才子愚なるに如(し)かず

            請看(こうみょ)他日業成(ぎょうなる)の後

            才子才ならず愚は愚ならず

これは、木戸孝允自身の自戒の漢詩のようである。勤皇の志士で、かなり頭も働いたのだろう。それゆえ、あの混乱した明治政府の最初の宰相になりえた。流風が思うに、彼以後、彼を超える政治家は残念ながら出ていない。彼の特徴は、大胆でかつ細心で漸進主義であったという。時代が生み出した政治家かもしれない(*注3)。

さて、この詩の最初の「才子は才を恃(たの)み」は、才子は才を恃み慢心しやすい。愚鈍(本当は平凡程度の意かも)な者は、己を知ると勉励する。才に限らず、自分の得意とするものが一番危いと云われる。才に溺れれば、才に滅す。同様に、力に溺れれば、力に滅す。

次の「少年才子愚なるに如(し)かず」は、少年時代は、むしろ愚鈍な方がいいかもしれない (この「愚」は愚鈍というより、普通の人の意味が強い)。孝允が人生を振り返っての自省の言葉のようである。孝允はどちらかというと才子であった。

「請看(こうみょ)他日業成(ぎょうなる)の後」は、他日、地位を得たとしても、ぐらいの意で、次の句に続く。

「才子才ならず愚は愚ならず」は、才子と言われた人は並みの人で、愚者は普通の人でなくなっている~優れた人になっている~ことに気づくだろう、ぐらいの意。

これは、現代で言えば、学校秀才が、社会に出て、必ずしも、社会での秀才にならないことを指している。若い頃に、妙に学問ができたりすると、それでのぼせ上がって、努力をしない。それどころか、できない他者を見下げたりする。どこかの国の官僚みたい。

愚者は、できないということで、苦い思いをするが、できない他者の気持ちがわかる。社会では、そういう気持ちがわかることが大切で、単に頭が良くても、大成しないということに通ずる。

* 注1

明治維新の三傑とは、西郷隆盛、大久保利通、そして木戸孝允

* 注2

和田小五郎→桂小五郎→木戸貫冶・木戸準一郎→木戸孝允、と代表的な名前だけでもこれだけ変えている。

*   注3

但し、勝海舟の評価は低い。彼は、木戸について、西郷と比して、器が小さいとしている。ただ、西郷は、大きすぎて、かえって有用とはならなかった。その辺が、人材の妙だ。

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