« 『四知』ということ | トップページ | 餅つきの思い出 »

2006年12月26日 (火)

日米同盟と日本外交

日米同盟について、とても論じられるとは思わないが、一般人の感覚で若干触れてみる。それは日米の政治状況にやや不安を覚えるからである。

まず米国の外交理念について、とやかく言うつもりはないが、外交手法はお粗末と言わざるを得ない。現ブッシュ政権だけでなく、それは、どの政権でも言えることだろう。米国は不思議な国で、外交ブレーンはしっかりしているのに、政策遂行組織の政府は、度々大きな過ちを犯す。

指導者に哲学が不足しているのだろう。政治姿勢が非常に軟弱だ。そして、このような国が、いつまでも世界のリーダーなのだろうか。米国が、このような状態で、尊敬される国家には、まずなれることはない。

覇権を求め、王道を行かないものが、真のリーダーになれる可能性は低い。多分そういうものを目指していないのだろう。世界各国は、表向きは、米国に、お上手を言っても、皆、馬鹿にしているだけだ。

米国政府は、一見筋が通っているようで、基準があやふやだ。相手方の出方で変化する。それが世界を混乱させている。日本政府は、米国の要求が全て正しいと判断しているのかどうかわからないが、むやみに追従しているように、国民には、そう映る。否、むしろ何も考えずに従っているように感じる。共に身体だけが大きいだけで、頭のない政権と言えるかも知れない。

それはさて置き、米国は、彼らの外交ミスのカバーを度々、日本に押し付ける。国民にとって、非常に不愉快な国には違いない。単なるコミュニケーション・ギャップだけではあるまい。日本に対する差別意識も感じられる。このような国と真の同盟関係なのだろうか。日本は米国にとって都合がいいだけの国ではないか。

そういった環境下、今後も、日米同盟は果たして機能するのであろうか。少し前の報道によると、日米同盟に絡めて、米国高官が、日本の憲法解釈変更を迫っている。それは、「政府の憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使とミサイル防衛」に関するものだ。「ミサイルが米国に向かうことが明らかで、日本がそれを打ち落とせるのに落とさないのはクレージーだ。そんなものは日米同盟ではない」と言っているそうだ。

「日本に米国に向かうミサイルを打ち落とせ」と迫っているのだ。そんなことになれば、戦争になるだけのことなのだ。ミサイルを、おもちゃのように考える米国の高官の思考には、非常に幼いものを感じる。

それに日本には、そんな技術もないし、第一、彼らは、その技術を秘匿し独占しているではないか。情報だって、日本が米国より先に入手することは現状ありえない。米国は情報操作も可能だ。この発言は、夢想で、全く、馬鹿げている。思慮の浅い高官が米国政府にいることに不安を覚えざるをえない。

しかしながら、お追従で、馬鹿な発言をする日本の政治家もいるのは残念なことだ。このような思考で突き進めば、いずれ米国は衰退の道を加速させるだろう。その時、日本は、追随すれば、同じ憂き目に会うだろう。そして、皮肉にも、米国への日本のお追従が米国を弱体化させるのだ。

確かに、「同盟」とは、「軍事同盟」の意味を持つのだろう。しかし、同盟の程度は曖昧だ。例えば、仮に、日本が第三国から侵略された場合、米軍が日本を救ってくれる保証は何もない。彼らは日本駐留の米軍は救うだろうが、その他の日本人は救済するつもりはないだろう。私達は、常にそのように考えておかなくてはならない。

自国民を救うのは自国でしかありえない。他国が援けてくれるというのは、所詮、希望や願望に過ぎない。それは歴史が物語っている。そう思っていて、意外と同盟国が救ってくれれば、ラッキーなのだ。それくらいの考え方をして、いかに自国を守るかを考えなければならない。日本政府は、過剰に米国に期待しすぎている。

つまり、日本が侵略されたとしても、彼らは、せいぜい侵略された後、国連を動かして、支援の旗振りはするかもしれないが、米国は、せいぜいビジネスになりそうなネタを探して、「支援」と見せかけて、援助するだけだろう。それは日本だって、同じことだ。米国が第三国に侵略されたとしても、米国同様のことしかできないだろう。せいぜい資金や物資の援助ぐらいだ。

同盟というものは、絶対ではない。日本がまず考えなければならないことは、日本が主体となった外交力の強化であって、ミサイルを打ち落とすことではない。そして同盟のあり方を考える必要がある。

もちろん国際平和を保つには、確かに奇麗事だけではすまない。しかし、それでも、どのように平和に導くかという理念と行動がなければならない。それが日米両首脳に欠けている。

それでは、同盟国は、世界平和に対して、どういう理念を持ち、行動をとるべきなのか。はっきりいえることは、政治とは、目先のことを考えるだけでは意味がないということだろう。世界の歴史の絶えなる観察と共に、常に長期的波動を理解し、いかに短期に対応するかが求められる。そういうことを両国民が共有する必要がある。

その上で、日米は、世界の国家を睥睨して、同盟の観点から、各国の現在・未来の国力・民力を精査すべきである。そして、それに対する予防外交同盟が本来の同盟のはずだ。軍事が手を出さざるを得ないのは外交の怠慢なのである。

混沌とする国際政治に対して、日本は外交でどのように対応すべきなのか。一般国民も、放置できない状況であることを理解すべきだろう。

*平成26年3月28日追記

安倍首相が、相も変わらず、憲法を修正せずに、解釈変更で集団的自衛権を認めるよう主張している。どうも彼は戦後の日本の立ち位置を理解していないようだ。日本は、戦後、「平和国家」を標榜し、「平和の配当」を受けてきた。これに、どんな問題があるというのか。日本は、わざわざ他国の争いに巻き込まれる必要はない。

また日米同盟は、米国が利用価値があるから、結んでいるのであって、それ以外の意味はない。過剰に米国に思い入れしないことだ。日本の領海・領空上で、米国軍が被害に遭えば、米国は単独で処理しうるし、それだけの能力を持っている。日本が介入する余地はないはずだ。安倍首相は、何か勘違いしていると思う。

|

« 『四知』ということ | トップページ | 餅つきの思い出 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/99784/13204905

この記事へのトラックバック一覧です: 日米同盟と日本外交:

« 『四知』ということ | トップページ | 餅つきの思い出 »