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2006年12月25日 (月)

『四知』ということ

やらせのタウンミーティングや談合が話題になっていたが、こういうことは隠してやってもいずればれる性格のものである。術に得意とする者は術に溺れる。そして、そういう作為は、どこからともなく漏れる。ところで、『四知』という言葉がある。中国の後漢の時代の楊震の言葉と云われる。

彼は太守になるが、ある土地に宿泊した折、深夜、密かに、かねてから知っている役人の王蜜という男が訪ねてきて、賄賂の金を贈ろうとした。彼は、王蜜を以前その才能を見込んで、茂才(官吏登用試験に合格した人)に挙げてやっていたのだ。

しかし、楊震は、「私という人間をよく知りながら、そんなことをするとはどういうことだ」と、彼をなじり、しかし穏やかに、頑として受け付けない。そうすると、王蜜は、「ここには、先生と私しかいません。誰も気づく人はいないでしょう」と言って、更に迫る。こういう場面は、現代でもよくあるんでしょうな。

すると、楊震は、静かに相手の目を見据えながら、次のように諭した。

「天知る、地知る、子知る、我知る。誰も知らないことはない。よくそんなことが言えるな」

役人王蜜は、愧じながら、すごすごと引き揚げていった。

中国の汚職は伝統的に凄まじい。日本の比ではない。だが、基本的な汚職の構造はまさにこういうことから始まるのは、日本でも同じだろう。

しかし、関係者に取り入ろうとして、不正をしても、いずれそれは明らかになる。そういうことは、にじみ出るように、人々の噂になる。人の口に戸は立てられない。同様に、人々を作為で騙そうとしても、そんなことはいずれ露見するものだ。

為政者や官僚は、楊震のように、もっと慎重な行動が望まれる。ましてや、現代の日本は民主国家だ。それを自ら壊すようなことをする為政者や官僚に席はない。

*注)

「地知る」は「神知る」となっているものもある。なお、「子知る」とは、「君も知っている」という意。出典は、『後漢書』や『十八史略』。

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