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2006年12月14日 (木)

戦前の商業の要諦教育

よく戦前の教育に問題があったという人々がいるが、必ずしもそうではない。確かに、古事記や日本書紀や歴史物語などの題材を通じて、天皇への忠誠心を醸成する教育は行われている。しかし、そればかりではない。評価できるものもたくさんある。意外と海外の人々も評価している事実がある。それは戦前の教育を受けた日本人の質は高かったというものである。

それでは、どういう教育内容だったのだろう。例えば、尋常小学校の『国語読本』には、「商業」と題して、次のように述べている。やや長いが、引用してみる(部分的に現代仮名つかいに変更)。

「商業は之に従事する商人だけを利するものではない。商人たる者は、よく共同生活の真意義を弁え、品質のよい品物をなるべく安価になるべく敏速に供給して、広く公衆の為を計らなければならぬ。これ即ち世間の信用を博して堅実に自己の事業を発展させる道である。

買う人の無智に乗じて安い品を高く売付け、見本には精良な品を使って、実際の注文に対しては、粗悪なものを送るような事は人として為すべからざる事である。又単に損益の点から見ても、かような仕方は唯一時の利益を得るに止まって永続することができないから、つまりは小利をむさぼって大損を招く結果になる。

外国貿易に至っては、之に従事する者の心掛け如何の影響が更に大きい。即ち、一人の貿易商が外人の信用を失うような事をすれば、忽ち国全体の商品の信用に関係して、貿易の不振を招き国運の発展をさまたげることになる。外国貿易業者はかえすがえす深くこの点に注意しなければならぬ。

昔は個人の利益を営むのが商業であると思われていた。それ故大多数の商人は、自己の利益を除いては、殆ど何物をも眼中に置かず、忍耐も努力も要するに皆自己のためであった。彼らが町人といって賤しめられたのも其の為であろう。これはひっきょう(畢竟。これはひらがなになっている)文明の程度が低いために、共同生活の意義が明らかでなく、随って商業の本質が理解されず、商人の人格が重んぜられなかったからである。文明の進んだ今日尚このような考えを持つのは、大きな誤りといわねばならぬ」

どうです。小学校の読本教材ですよ。商業における信用の重要性と、公益性を論じている。今なら、どこかの経済団体が、経営者に警鐘しているような内容です。やたら利益を貪ったり、詐欺まがいのビジネスをしている経営者は耳が痛いのではないか。

戦前は、そういうことを小学校の段階で教えていた事実がある。これだけでなく、多くの歴史逸話を通じて、人間のあるべき姿を説いている。これは亡き父からもらったものだけど、流風の頃の小学校の教科書には、このようなことは書かれていなかったと思う。当時、父が私の教科書を見ながら、最近の教科書は実がないなあ~当時、流風は父の言う意味がわからなかった~と言っていたのを思い出す。子供時代に正しい見識に触れることは、たとえ、その時、真の意味がわからなくても、重要なことと思います。

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