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2007年1月31日 (水)

出た!猪より大きいもので大騒ぎ

子供の頃、男の子であれば、怪獣のゴジラとかモスラ、キングギドラに夢中になった人は多いだろう。怪獣ごっこをやったのも懐かしい。流風は、何かわざとらしいのがあまり好きになれなかったが、それでも、無関心ではいられなかった。あれを考えた当時の大人の方たちに感心する。ああいう発想はどこから出たのだろう。

さて、あの猪の牡丹鍋で有名な兵庫県の丹波で大変なことになっているらしい。それは今年になって大きく報道された日本では珍しい恐竜の化石の発見。化石が出てきたということは、原始時代の日本に恐竜がいたことがはっきりして、なかなか面白い発見だ。

丹波在住の定年退職者のお二人、村上茂氏と足立洌(きよし)氏の両氏により発掘された。お二人とも、趣味でそういうことをされたらしいのだが、偶然の発見にしては、大きい成果である。余程、前世でいいことをしていたのだろう。専門の研究者は悔しいだろうが。

ところで、この発掘結果は、しばらく騒ぎが大きくなるので伏せられていたようだ。早く公開したかっだろうな。5ヶ月も話するのを辛抱するのは、流風にはできそうにもない(笑)。

昨年8月7日に両氏が篠山層群中(丹波市山南町)に恐竜の化石を発見された。山南町が合併して丹波市になっていたのは迂闊にも知らなかった。昔の氷上郡山南町だ。旧氷上郡には、名前からして、恐竜が出てくるような感じがしないでもない。そして、その場所は、昔、水力発電所だった跡地らしい。

これから、兵庫県立人と自然の博物館の研究員と共に、さらに範囲を広げて発掘作業が行われる。仮に全ての骨が出てくれば、どでかい話である。恐竜はティタノサウルス類と推定されている。全長14メートルくらいの恐竜だ。

男と子供は、恐竜を聞くとワクワクする。ロマンを感じるのは男と子供と相場は決まっている。こういう話をすると、女性は一般的に無関心である。何でそんなものに関心を示すのかわからないと彼女等は言う。

ところが、本格的に、化石の全容が明らかになれば、便乗商法も出てくるだろう。こういう話になると、女性はすぐ飛びつく。現実的だ。まあ、それもいいけど。丹波米、黒豆、栗、猪などを利用した恐竜弁当、恐竜煎餅、恐竜餅がまず浮かぶ。

でも、そういうものを全て呑み込んでしまうような大きな出来事には違いない。さあ、これからどのように展開していくのだろうか、楽しみだ。もっと多くの恐竜の化石が出てくるだろうか。そして、丹波は恐竜の名所になるのだろうか。

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2007年1月30日 (火)

襖絵の鑑賞

子供の頃、留守番中、友達と家の中で騒いで、襖に穴を開けて、どうしようと困ったことがある。手で撫でて元に戻そうとするが、どうしても戻らない。あの時、色々思い悩んだことを思い出す。

結局、両親が帰ってきて、こっぴどく叱られ、父には尻を叩かれるし、襖の中の暗い押入れの中に入れられて怖い目をした。後で、母が食事を運んでくれたが、当日は一人で夕食を摂ることになった。それも遠い記憶だ。

また襖絵がどういうデザインであったか覚えていない。多分、ありふれたものだっただろう。さて、先日、少し時間が空いたので、京都国立博物館で開催されていて、初公開という『京都御所障壁画』というものを駆け足で鑑賞してきた(実際は短い時間なので、鑑賞になっていないが)。要するに御所の襖絵である。1855年に造営された京都御所の御常御殿と御学問所の襖絵を公開しているのだ。

以下、素人的見解で、専門家ではないので、間違った見解かもしれないが、一応記しておく。

全体として、彩色がかかっているが、多くが多少くすんでいる。しかし、構図や手法は一般の水墨画と同じだろう。それに彩色させたということだろう。日本の水墨画自体は、中国の画家の影響がある。日本の水墨画が盛んになった室町時代は、当時の文化先進国であった中国の影響が大きいと言われる。

専門家によると、当時、「山水図」や「芦雁図」に、夏珪、牧渓、馬遠、孫君沢、玉澗などの作家の様式を真似たようだ。そして後世の画家もその流れの影響を受けている。この展覧会の展示された襖もその流れを汲むものであろう。

また大体が水墨画に多く見られる「山水図」や「芦雁図」と思っていたが、結構人物画も多く、中国の帝王を参考にした絵もあった。基本的には、帝王のあるべき姿を描いているのだろう。皇室は、いかに国を治めるかについて、御所の内部にも、こういう配慮をしていたことがわかる。

人間は環境に影響される。こういうものを見ていると、何をしなければならないのかを意識させられるのだろう。単なる水墨画として見るのとは異なり、襖の絵を、どういう観点からこれらの意匠にしたのかを考えて見ると、また違った趣が感じられた。

しかし、襖は建築物にあって、初めて価値が認められるものであろう。描かれているものには、確かに価値は認められるが、芸術という意味では、こういう企画は限界があるのかもしれない。やはり建築物での展示が求められる。無理だろうけど。

なお、この展覧会は2月18日まで。

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2007年1月29日 (月)

五千歩、手ぶらで

京都で粋な企画をしている。それは、もうすぐ終わってしまう催しだが、「銭湯に向かって走れ!キャンペーン」(期間:1月11日~31日)というものである。これは、指定の銭湯に予約を入れ、荷物を預け、歩数計をもらって5千歩以上、走るか歩くかすると、入浴料が無料になるらしい。

定員はあるそうだが、1時間以内に戻って、歩数計を銭湯に提出すればいいとのこと。定員がなければ、流風は、毎日2回入れる勘定になる。まあ、京都まで行くのが、玉に瑕。遠すぎる(笑)。

でも、この企画、各地方で真似して実施できる内容ではないか。神戸だったら、有馬温泉、何とかなりませんか(笑)。1時間に周辺をうろうろするわけだから、顧客は、いろんな施設に接し、地域を認知される機会も増え、それは地域を活性化することにもつながるだろう。

なお、企画は、財団法人京都府生活衛生営業指導センターという長い名前のところがやっている。お堅いところも、こういう企画するんですね。ただ、この企画、試験的なものかしらないが、期間が短すぎる。それとも、予算の枠が限られているのかな。

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2007年1月28日 (日)

政治とマスコミ

真っ白な社会は理想ではあるが、きれい過ぎる社会は逆に危い。水清ければ魚棲まず、という言葉を噛み締める必要はある。

政治というものは、そもそも黒と白の間の解決に努めるものであり、基本的に灰色の部分を扱う。それは法律が、そういう部分を持っているからである。だから、あまり政治家に、真っ白な状態を迫るのはどうかと思う。

清廉潔白が望ましいが、それだけでは社会をうまくまわすことはできないだろう。そんなことをすれば政治活動が停滞してしまう。政治は結果であり、社会がうまく回ればそれでいい。

もちろん、政治が明らかに黒になりそうになれば、徹底的に糾す必要はある。それが時代の雰囲気で判断されることも否定しない。時代によって、灰色の強弱は変化する。そのことに鈍感な政治家は残れないことも事実だ。

そういう意味では、政治献金の献金者リストと政治家の発言はチェックする必要はある。それは政治家のためでもあり、国民のためでもある。マスコミは、その点を監視・報道し、政治家にブレーキをかけなければならない。

そして、もっと糾すべき問題は、官僚たちが、政治家に引き摺られて、灰色になったり、黒くなったりすることである。官僚たちに求められるのは、清廉潔白であることなのだ。マスコミは、むしろ、その点にもっと監視を強めるべきだろう。

以上から、言明できることは、社会に灰色の部分があるから、政治の領分があると言って間違いないだろう。だから政治家は、常に危い立場にあることを再認識すべきで、献金の受け取りやその発言には慎重さが求められる。そして、マスコミは、政治家の周辺(政治献金者、官僚など関係者)の監視強化が求められ、もっと報道するべきだろう。

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2007年1月26日 (金)

教員免許の国家試験は有効か

教員は、新人の頃はともかく、段々惰性で教えるようになれば、知識も錆びてくる。それは学生は敏感に感じ取る。時代の流れをより敏感に察知する必要が教員には求められるが、日々の活動に終われるとなかなかそれが難しくなる。

そして教育再生会議の議論でもあったようだが、教員免許更新に際して、節目節目ごとに体系的な追加講習を3年毎に義務づけることがまず求められる。追加講習は大学または大学院が担当すればいい。

さらに社会人の補助教員に対しても簡易講習で教員免許が付与される仕組みを作ればよい。そういう仕組みを作らないと、教員の負担は小さくならないだろう。そうすることで、やっとまともな教育に取り組む余裕を持つことができる。

ただ、教員免許の国家試験が検討されているらしいが、有効だろうか。結局、利権を生むだけではないだろうか。それは自動車免許のための教習所みたいなところを流行らせるだけの結果になるかもしれない。

新しい政治献金を期待しているのだろうか。結局、受験のテクニックが蔓延るだけだろう。そういった制度で、望ましい教師が生まれるか疑問を持たざるを得ない。教員免許の国家試験化をしても、教師のレベルが上がるとは考えにくい。安易な試験発想は避けるべきだろう。

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2007年1月25日 (木)

昔の彼女(彼)のもの

昔付き合っていた異性に関係するものを残す人がいるらしい。流風は、付き合いがなくなったら、バッサリ処分するので、そういう方々の考え方はわからない。残せば、新しいパートナーに、嫌な思いをさせるのではなかろうか。

また、ものではないが、たまたまラジオを聞いていたら、ある女性が自分の子供に、昔愛していた彼氏の名前をつけたと聞いて、唖然としてしまった。どういう神経なのだろう。女性は男の浮気をとやかく言うが、これはもっと悪質だろう。これが本心だとしたら、どういう事情があるか知らないが、恐ろしい。深い訳があるのかもしれないが、それなら一緒に住むこともなかろう。

一般に、女性ほど、昔の思い出に浸る様子は、女性の投書にもよく見られる。男の場合も、昔の彼女を思い出す人もいるかもしれないが、一般的には、関係性の強弱にもよるが、口で言っても、概ね淡白だろう。それが男と女の違いかもしれない。

映画にも、そのようなことを描いたものがある。但し、これは男の場合である。また話も入り組んでいるので、単純な話ではない。それは、戦前の米国の映画『レベッカ』である。戦後、日本でも上映されたようだ。流風も実際、映画館では見たことがない。確かテレビで見た記憶がある。古い映画だが、DVDも販売されており、若い方でも見た人はあるかもしれない。歌手じゃないよ。

あらすじは、身寄りのない平凡な田舎娘キャロライン(ジョーン・フォンテイン)は、叔母の付き添いでモンテカルロのホテルにやってくる。そこで、ヨットの事故で妻のレベッカを亡くしていたイギリスの大富豪マクシム(ローレンス・オリヴィエ)と出会う。

後日わかることだが、亡き妻レベッカはきれいで美しく、知性豊かに賢く、愉快で、家柄もよく、一応、申し分のない女性だった。マクシムは、キャロラインがレベッカに容姿が似ていることに強い興味を覚える。しかし、キャロラインはレベッカの資質は持ち合わせていなくて、ただあるのは、優しくて、誠実だということだけだった。

キャロラインも現在の生活が嫌で、またマクシムに強く惹かれるものもあり、マクシムの気まぐれな求婚により、結婚して、後妻になる。

そして、彼の大邸宅マンダレーに行く。しかし、彼女を待ち受けていたのは、レベッカ付きの使用人で邸宅を仕切るダンバース夫人だった。彼女はキャロラインを受け入れようとしない。旧主のレベッカへの思いが異常に強く、何かと比べようとする。そして、キャロラインを精神的に追いつめていく。

これ以上書くと、浜村淳さん(映画のあらすじを全て話してしまうことで有名)になってしまうので、ここら辺で止めておく。ネットであらすじが公開されているかもしれないが。

この映画で、キャロラインが大変気にするのが、レベッカの部屋が残されており、その中にある持ち物も全て残されていることだった。つまりレベッカに対して嫉妬を覚えるのである。そして、マクシムが真に自分を愛していないのではないかと思い悩む。そりゃ、逆の立場でも、そうでしょう。

やはり新しい異性に合う前に、前の異性のものは処分する方が望ましいと思いますが、結婚後も思い出として残されていますか。独身の皆様はいかがされていますか。

*追記

ちなみに、『レベッカ』の原作は、ダフネ・デュ・モーリアによるものである。映画としては、ヒッチコックが1939年に英国から米国に渡ってからの第1番目の作品である。この映画は、流風的に見ると、米国の国策映画(言い換えれば、米国国民に第二次世界大戦への参戦を促す映画)のようにも感じられる。かなり意味深に作っている。

つまり、キャロライン=米国、マクシム=英国、レベッカ=フランス、ダンバース夫人=ドイツ、レベッカのいとこで、彼女の浮気相手であるファベル=オーストリア、と見れば、当時の国際社会が見えるように思う。

そうすると米国の自己評価がやや気になるが(笑)、これは英国出身のヒッチコックの目線として捉えれば理解できる。なお、ファベルはレベッカの死後、ダンバース夫人を恋人としている。またマンダレー(ビルマ=現ミャンマーの都市名にもある)という名前も何か意味がありそうだ。

少し、穿ちすぎか。映画の最後まで見れば、キャロラインとマクシムがどのようになるか、映画では示していないが、おわかりになるではないか。

*追記

『レベッカ』の鑑賞は、DVDでもできる(図書館にもあるかもしれない)が、映画上映も時々している。神戸市立博物館では、次の日程で上映するようだ。

日程: 平成19年2月23日~24日 

上映時間: 午前10時30分~ と 午後1時30分~の2回上映

場所: 神戸市立博物館 地階講堂 西入口から入場 正門からは入場不可

入場料: 一般 1,300円 (前売り 1,000円)

主催: NPO神戸100年映画祭事務局(078-332-7050)

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2007年1月24日 (水)

神戸の獅子舞

先日、獅子舞を久しぶりに鑑賞してきた。獅子舞を見るのは、実に数十年振りである。それほど長い期間見ていなかった。ただ正確には、旧正月に、南京町で催される中国の獅子舞は毎年よく見ている。

今回は、神戸市立博物館で催されたもので、熊野神社神楽保存会(神戸市北区長尾町)による「獅子舞い神楽」のその一部であった。実際は、神楽の種類として10種類あるそうだ。本神楽、剣の舞い、寝獅子、五尺踊り、猿獅子、御多福獅子、鼻の舞い、京句、天狗獅子、背継獅子。

当日、初めの部分は見ることができなかったので、どれかわからない。実際全て鑑賞したのは、「天狗獅子」で、獅子と天狗が格闘した末、獅子が天狗に負けて転んでしまうというもの。

しかし、流風の知っている獅子舞とは違い、動きが非常にゆっくりしており、まるで太極拳か京舞のようだ。あのゆっくりした動作は力が要るぞと思っていたら、獅子を舞っているのは背の高いイケメンの若い男性でした。やはり若くないとできない。イケメンでなくてもできるだろうが。

これらの舞は、大旱魃に見舞われて田植えができなくて苦しんだ農民が、雨乞いと五穀豊穣を祈願するため、わざわざ越後の国から獅子舞神楽を呼んで、熊野神社に奉納した歴史があるらしい。

最後に、見に来ていた可愛いお嬢ちゃん二人が獅子に咬んでもらっていた。あれは流風も、子供の頃、経験がある。当時は怖かったけど。咬んでもらうと、子供は丈夫に育つと云う。彼女たちも丈夫に育つでしょう。流風は、その割りに丈夫ではなかったけど。今まで生きて来れたことをよしとするか。

その後で、一人のお嬢ちゃんがご祝儀(おひねり)を渡していた。お母様の配慮でしょう。ああ、そうだった。そういうと、子供時代に町内会の獅子舞が自宅まで来て、同じように咬まれていた。母も、その後で、ご祝儀を渡していたことを覚えている。

この獅子舞も、最近は兼業農家が多くて、保存には苦労されているようです。今後も、子供たちに見せることができるようにして欲しい。大人も楽しめるし。それには、こういう発表の場を与えることが大切で、今回の催しを企画された方や市立博物館には感謝したい。

*追記

なお神戸市立博物館では、「特別展 神戸の文化財Ⅱ」が開催中である。2月17日には、北区を中心に神戸の文化財めぐりをするようだ(定員45人、参加費3,000円)

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2007年1月23日 (火)

日本三大嫉妬婦人 その三

日本三大嫉妬婦人として、最後に村上天皇の皇后安子を取り上げよう。彼女は藤原師輔の娘で、縁者は、そうそうたる人物で占められ、例えば、兄弟は、伊尹(これただ)、兼道、兼家などであり、甥には、道隆、道兼、道長などである。

村上天皇は、本来なら天皇になる可能性は低かった。なぜなら、醍醐天皇の14番目の皇子だったからである。それが、上の皇子の次々の死により、あれよあれよという間に天皇になられた。歴史的には、時々そういうことがある。あの吉宗もそうだろう。人間の運命はわからない。それが幸せかどうかは、別の問題だが。

もちろん、天皇になっても、実権は藤原一族が握っていた。いわゆる閨閥である。安子を皇后にした他に、藤原家から、女御や更衣を迎えている。その他から迎えているのを加えれば、皇后のほかに、女御四名、更衣三名と云われる。もちろん記録外の女性もいただろう。

この中で、美人の誉れ高い女御藤原芳子がおられた。天皇は、ぞっこんで寵愛していたが、安子皇后は当然の如く嫉妬の炎を燃やした。実際、かの女御がどれくらい美人なのか直接確認しに行っているほどなのだ。しかし、その美しさに絶望する。そして取った行動が、土器をこわして、壁の穴から女御の方に投げているのだ。

このことは、『大鏡』に詳しい。中学生時代、恐ろしい女性がいるもんだと妙に感心したものだ。学校の古文には関心がないのに、書店でたまたま見つけた『大鏡』になぜか惹かれて購入し読んだことを思い出す。しかし、手元にはもうないので、記憶は定かでなかったので、ネットで確認したら、大体合っていた。学校の勉強はせずに、当時は脱線だらけ。

さて、このことを知った天皇は、皇后の兄弟の差し金と理解し、殿上差し止めをしたが、逆に皇后を怒らせ、勅勘取り消しを天皇に迫っている。結局、この問題はうやむやに終わってしまった。藤原家に全てを握られ、天皇としては何もできない状態だったのがわかる。現代でも、いますよね、こんな夫婦。いや、多くはそうか(笑)。

村上天皇は、摂関政治を抑え、文化の向上や倹約に勤められたと云うが、摂関政治を抑えることは実際、難しかったのではないか。その後、安子皇后の生んだ皇子が、次々と天皇になり、藤原氏黄金の時代を迎えている。

でも、国家としては、歪んだ体制になっていた。そして、藤原体制は崩壊していく。安子皇后の嫉妬は、間接的に藤原全盛期を作り出すが、それは崩壊の萌芽でもあったようだ。しかし、歴史は女性が相当関与しているとも言える。現代の女性は、どんな歴史を残すのだろう。やはり嫉妬によって残るのかな。男は付き合いきれないなあ。

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2007年1月22日 (月)

政治家の条件

政治家に立候補する人々には、その持っている資質と共に、政治学の学習が欠かせない。従来の、官僚出身者、労働組合出身者、タレント、スポーツアスリートなどの立候補者の中には、政治家として適格でない人も多かった。単に既成政党の思惑で、立候補を要請された人も多い。政治学をきちんと学んでいない候補者も多いことだろう。

今回の、宮崎県知事選で、そのまんま東氏が選ばれたことは、過去としがらみがないこともあるが、彼が政治学をきちんと学んでいることがも影響していると思う。そのまんま東氏が立候補した時点で、もしかしたら、という感じは受けていた。

彼は、タレントとして失敗後、自分の過去と決別するべく、大学で政治学を学んでいる。だから、政治に対する問題意識も高く、過去の政治手法に疑問を感じていたに違いない。だから、彼の演説を聞いて、納得して、投票した人が多いだろう。

彼が単なるタレント出身では、無党派層が支持したかどうかはわからない。一昔前なら、タレントというだけで、票を集めて、当選したかもしれないが、現在は、そういう方達の限界を知っているので、同様な投票行動をしたとも思えない。

政治家になる本当の条件があるかという個人の資質が問われているのだ。これからの立候補者は、立候補する前に、きちんと大学等で政治学を学んでから、立候補するべきだろう。既成政党も、立候補の条件に、それを課すべきである。

政治家になってから学ぶなどと、ほざいている候補者がいるが、それは国民を愚弄するものである。国民は彼らに報酬を与えるのを忘れないでもらいたい。費用対効果という意味で、時間当たりの政治の質を高めるためにも、是非そのようにしてもらいたいものである。

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2007年1月21日 (日)

マスコミの健康番組の欺瞞性

納豆の健康情報が流れて、店頭から納豆がなくなっていた。流風は関西人でありながら、比較的、常食しているので、迷惑なことだ。そして、明らかになったことが、この放送局が流した情報が捏造されたものであったとのことである。

もともと健康情報なんて、流風は一切信用していない。しかし、マスコミから流される健康情報を鵜呑みする人たちも多い。これは、テレビ独特の催眠術にかかって、一種の詐欺に引っかかっていると認識すべきだ。

しかし、テレビ局も、本当に視聴者を馬鹿にした番組作りもいい加減したらどうか。そして結局、視聴者も、テレビの視聴率稼ぎに一役を担わされているだけだと認識するべきだろう。視聴者はもっと冷静になる必要があるが、このような番組を流すテレビ局が諸悪の根源かもしれない。

そしてメーカーの意向を汲んで番組づくりするマスコミも悪いが、スポンサーも悪い。マスコミに情報提供している人たちも作為がありすぎる。こんなテレビ局にスポンサーについている会社の不買運動をしてみたいものだ。

スポンサーは、番組をもっと精査すべきだろう。単に視聴率がいいから、番組に協賛する姿勢は改めてもらいたい。それにテレビの広告はすでに価値を落としている。スポンサーも、費用対効果を考えると共に、スポンサーになることに、大きな社会的責任があることを再確認してもらいたい。

まあ、テレビを見なければ問題は無い。流風はテレビをほとんど見ないが、時々、こういうことで間接的に迷惑する。業界だって、急に売れたところで、熱が冷めた頃には、売れ残りが出るのは目に見えている。経営のためには、よい影響をもたらさない。

この放送局に限らず、他局の健康情報番組にも捏造体質があるのだろう。他の番組の情報も信用できないということになる。こういうことが続けば、テレビは坂道を転げ落ちる存在になるのだろう。マスコミへの不信感はより一般にも広がっていくだろう。旧態依然たるマスコミ体質は、変わっておらず、ホリエモンに買収された方が良かったのかもしれない。

(本日は投稿予定ではなかったが、あまりにも腹が立ったので、アップした。)

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2007年1月20日 (土)

偕老同穴のいきさつ

偕老同穴(かいろうどうけつ)という言葉とその意味は知っていたが、不勉強で、その原典は読んでいなかった。偕老同穴の意味を、念のために記しておくと、夫婦が共に生きて老い、死んでも同じ穴に葬られようと誓うことだ。

原典は、中国の『詩経』である。学生時代、文学青年でなかったので、あらためて読むと、なかなかいいものだと感じさせる。『詩経』は日本の『万葉集』にあたるという。この部分は、中国・河南省の民謡だと云う。最近、読んでみると、その背景は辛いものがある。

そして、この偕老同穴は、「偕老」と「同穴」という別々の単語が合わさったものだと初めて確認した。流風の不勉強をわざわざブログに記すこともないのだが、一応知識の整理として記しておく。

最初の「偕老」は、詩「邶風・撃鼓」から出ている。これは出征した兵士の嘆きである。いつ故郷に帰れるかもわからず、馬とも死に別れ、自分にも死が寸前に迫り、田舎の女とのことを次のように思い出したが、全ては泡にになってしまったことを絶望的に詠んだものらしい。

     死生契闊(けいかつ)

           子(し)ともに説(ちかい)をなす

     子が手に執って

     子と偕(とも)に老いん

「死生契闊」は、どんなことがあっても、死んでも生きていても一緒という意。「子」は、「お前」の意。かつて戦場に出た人に話を聞くと、死の直前には、母親が浮かぶらしい。その点、この兵士は故郷の女を思い出している。

後の「同穴」は、詩「王風・大車」から出ている。戦争に敗れた国の君主が捕らえられ、夫人が、相手国の王から所望され、宮廷に入れられた。彼女が、捕虜になっている夫の元君主にたまたま出会い、次のように詠んだと云う。

     生きては すなわち 室を異にすれど

     死しては すなわち 穴を同じゅうせん

     予を 信ならずといわば

     皦(こう)日のごときことあらん

「皦(こう)日のごときことあらん」というのは、太陽の如く明らかだ、という意。『詩経』を読もうとしたら、難しい漢字が出てきて大変。漢和辞典が必携だ。

さて、この歌を詠って、彼女は夫の止めるのも聞かず自殺する。そして夫も後追い自殺したと云う。それにしても、彼女の強い意志が感じられる。差し迫る状況になると、人間、本心が出てくる。それに対して、後追い自殺しているが、夫はそれほど強い意志は感じられない。夫人ほどの愛の強さはなかったかもしれない。多分、生前の夫婦関係もそうであったのでしょう。

諺も、こうして原典を読んでいくと、深い意味が感じ取れる。ただ流布している意味だけでは、いけないなあと感じる流風です。

*注

「偕老」については、「鄘(よう)風・君子偕老」、「衛風・氓(ぼう)」という詩にも見える。

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2007年1月19日 (金)

地域図書館の方向性

流風は、定期的に図書を処分しているが、雑誌等は資源ごみに、書籍は古本屋に売却しているが、内容によっては図書館に寄贈もしている。その判断基準は、将来も必要とされるものは、古本屋に、短期的に役立つものは図書館としている。

さて、報道によると、福島県矢祭町が、『矢祭もったいない図書館』を、開設したようだ。全国から寄贈された本、約29万3千冊で運営されるそうだ。しかし、図書館に並べたのは、その内、3万6千冊だけというから、いかに予想以上に図書が集まったかを示している。

図書のようなものは、全国に声をかければ、集まるということだろう。震災の時も、多くの図書が地方に寄贈されたと聞く。個人の蔵書は、それほどに手元において価値のあるものは限られるという証左であろう。

また、その図書館も経費節減のため、剣道道場を改修したとのこと。そうすると新築の8分の1で済むそうだ。こういう発想は、全ての自治体に求められる。かつて金にあかせて、豪華な施設を作った自治体が多かったが、ほとんど利用されていない施設も多いと聞く。施設の有効活用は大切だ。

個人の蔵書を集めて、地域の図書館の充実は今後求められるかもしれない。しかし、ここで注意すべきことは、地域に密着したテーマを持つことだろう。何でも集めればいいというものでもない。あそこに行けば、「テーマ」に関する書籍があると思わせることが望ましい。そこから人的広がりが展開されることがベストだ。そういう意味では、「地域専門(テーマ)図書館」を目指して欲しい。もちろん、寄贈本だけでは限界があることを知るべきだろう。

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2007年1月18日 (木)

節分に豆まきしますか

まもなくやってくる2月3日の節分に皆さんは豆まきをされるのだろうか。流風は、相当長い期間やっていない。そして、近所からも、豆まきの声も聞こえてこない。皆さん、どうしているのだろう。

子供の頃、「福は内、鬼は外」と豆まきしたのは、いいが、後で、母に掃除を命じられて大変だったことを思い出す。また豆を先に炒ったのか、後で炒ったのか(*追記参照)、はっきり覚えていないが、あまり美味しいものではなかった。結局、子供時代に2~3回しただけだろうか。

最近は、節分には関西でも、昔は習慣がなかった、恵方巻(*注参照)などを食べることをやっているようだ。某コンビニが広めたものらしい。この頃は、スーパーでも売っている。流風は、馴染めないので、買わないが、結構毎年買っている人も多いようである。

恵方の方向を向いて食べるそうである。ちなみに、今年(2007年)の恵方は、「丁壬 壬の方位」ということで、つまり北微西ということらしい。本によっては、北北西と説明しているものもある。

この「北北西」で連想するのが、映画『北北西に進路を取れ』というものである。まあ、単純な発想(笑)。古い映画(1959年製作)だから、若い人はご存じないだろう。あのアルフレッド・ヒッチコックが監督である。ただ、話のテンポが速かったので、正確な筋は覚えていない。

覚えている筋は、広告会社を経営する主人公(名前は忘れた。俳優はケーリー・グラント)が、見知らぬ男に間違われて、命を狙われることからストーリーは展開し、諜報活動組織まで絡んで、美女とのロマンスありという、ジェームズ・ボンドの007ばりの映画であった。

違いは、主人公がスパイでないこと。でも、一般人があそこまで頑張れるか、というのが娯楽映画。それでも印象としては、最近の映画と比べても、遜色はなかったと思う。

豆まきから、話が大きく脱線してしまったが、今年は豆まきの代わりに恵方巻を買ってみるとしますか。方角は北北西で。

*注 恵方巻

関西が発祥の地(大阪の船場)らしいが、関西人にも、馴染みは薄かった。それを東京系のコンビニが全国に広めたのは、ちょっとした事件かもしれない。他の地区の廃れた風習を全国に広めるというビジネスは今後もあるかもしれない。

*追記 豆まきは、炒ったものをまく。それはそうだが、生豆は、こぼれて芽が出たらダメらしい。だから生豆はまかない。この理由は知らなかった。ココログのメールで、この歳になって初めて知った。ありがとう。

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2007年1月16日 (火)

戦後の状況と傷痍軍人の思い出

若い人に、傷痍(しょうい)軍人と言ってもわからないだろうが、先日、新聞を読んでいると、傷痍軍人の家族の方の投書があったので、少し、思い出したことがあるので、記しておく。そこには傷痍軍人になって投げやりになっているお父様のことが書かれてあった。

戦後生まれの流風も幼い頃は、まだまだ戦争の焼け跡が多く残っていた。皆、貧しかった。時々回ってくる托鉢のお坊さん、虚無僧、ルンペンの人たちがいた。母は、彼らが通られると、明日の米に不自由している~(母が父の給料前に質屋に行っていたの確かだ。それを今言うと、そんなことはしていないと言うが、流風は、はっきりと覚えている。父の給料後、質札のついた着物を取り返していたのを見ている)~のに、米びつの中から一握りの米を取り出して渡していた。

場合によっては、何もなくて、おにぎりだけのこともあった。時には、小銭のこともあった。父が読んだ古新聞等の売却で得た小銭も、流風の了解(古新聞の売買は流風が一応担当)を取って渡していた。

当時は、皆、自分の生活で精一杯だったと思う。しかし、苦しい生活の中から、ほんのわずかではあるが、米などを提供していたのは、子供心にも、何となく、いいことだなと思ったものである。それは母だけの行為ではなかった。皆、苦しい中から、助けあわな、という意識があったのだろう。

そういった中で、腕や足のない傷痍(しょうい)軍人の方々が、町の中にたくさんいた。行き場のない人たちのようであった。両腕のない人、片腕のない人、両足のない人、片足のない人などである。「何で、あの人は、足や腕がないのか」と母に聞くと、「皆、戦争で失われたんや」と言う (ただ、全ての人が軍人であったかどうかはわからないが、戦争の被害者であることには変わりない)。

いかに戦争が多くの人々を傷つけるかを目の辺りに見せつけられた。そういう方々を見るのは正直辛かった。子供心にかわいそうだな、と思ったものである。戦争はしたら大変なことになるのやな、と思ったものである。

そして、母は、「私たちのために戦って、そうなったんやから、感謝せなあかんのやで」と、涙もろい母は、時々涙を浮かべながら、よく言っていた。それに「戦争で、もっと多くの人が亡くなっているんや」と言い、「そやけど戦争は何一つええことない」とも言っていた。

時々、小銭を恵んでいた。そんなことを言えば、傷痍軍人のプライドを傷つけるかもしれない。ただ大きく違うのは、家の前に来るか、来ないかの違いだった。傷痍軍人のプライドにおいて、家の前に来て、彼らは物乞いするようなことは決してなかった。

そして、身体の不自由な方を、指差したり、軽蔑してはいけません、と厳しく言われたのを思い出す。皆、戦争で傷つかれたのだし、運命でそうなのだし、頑張って生きておられるのだと。皆さんのお陰で、今の苦しいながらも、暮らしていけるのだからと。

戦争は、多くの死者をもたらすが、戦争が終わって生き残っても地獄の人々を生む。戦争で死ぬのも地獄だが、生きるのも地獄なのだ。為政者は、大抵が彼らをほったらかしにする。ああいう状況下では、弱者は放置されるのは、いつの時代も変らない。

こういう辛い思いをさせないためにも、戦争の悲惨さを若い為政者は、歴史からもっと学んで欲しい。若い為政者の軽々しい発言には、苦々しいものを感じる。

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2007年1月15日 (月)

日本三大嫉妬婦人 その二

日本の歴史上で、三大嫉妬婦人(略して、三妬婦)のうち、前回は、大国主命の須勢理比売を取り上げた。今回は、同じく嫉視深かったと云われるのが仁徳天皇の皇后の磐媛(磐之媛命、石之日売命)を取り上げてみる。

彼女の場合、須勢理比売と違って、仁徳天皇の間に、四人の子供に恵まれている。そして、磐媛皇后の産んだ皇子から3人も天皇を出していることは特筆すべきだろう。しかし、仁徳天皇は英雄、色を好む、その人であったようだ。そこから、磐媛の嫉妬が生まれる。

さて、その磐媛皇后のことは、『万葉集』や『古事記』に詳しい。まず『万葉集』巻二・八十五~八十八の四首の歌が彼女のものと伝えられる。

八十五では、出かけている彼を迎えに行くか、待つか迷っている気持ちを詠っている。

  君が行き 日(け)長くなりぬ 山たずね 迎へか行かむ 待ちに待たなん

八十六では、待つことの辛さより死んだ方がましだと、若干錯乱気味?

 かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐根し枕(ま)きて 死なましものを

八十七では、気分の高揚を抑制的に詠っている。

 ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまで

八十八では、朝霧はいつか晴れるのに、自分の気持ちは、鬱々として一向に晴れない気持ちを詠っている。

 秋の田の 穂の上(へ)に霧(き)らふ 朝霞 何処辺(いずへ)の方に わが恋ひ止まむ

以上を見ていくと、特に嫉妬深いというより、標準的女性かなと思う。気持ちの揺れが激しいので、幾分情緒不安定と見る向きもあろうが、当時は、現在の時代の浮気とは異なり、一夫多妻制の時代であったことを考えれば、待つことの辛さを納得できなかった女性の気持ちがうかがえる。

正妻なのに、常に不安定な状態をよく表している。それを表現することは、当時としては、進んでいたのかもしれない。だから、磐媛皇后は、後世、辛抱の利かない嫉妬深い女性と評価されたのかもしれない。

仁徳天皇は、皇后のほかに、三人の妃を持ったが、彼女達は、磐媛皇后の嫉妬を怖れたという。彼女等以外でも、侍女たちでも、振る舞いが少しおかしければ、疑ったという。それでも、仁徳天皇は、彼女の目を潜り抜けて、いろんな女性を招きいれている。

特に美貌の評判が高かった黒日売の場合は、ちょっとした事件になっている。それは、『古事記』で確認して欲しい。黒日売も最初は逃げ気味だったが、最終的には仁徳天皇の愛を受け入れているのだが、それはかなり遠慮・警戒しながらである。それほど、磐媛皇后の嫉妬が恐ろしかったと見える。でも、相聞歌の内容を見ると、女性特有の、愛を受け入れた後は厚かましくなっていると思うのだが(笑)。

さらに、その後、八田若郎女(異母妹)を磐媛皇后がいない間に宮中に入れて(異母妹との結婚は、当時は認められていた。同母の場合は不可)、磐媛皇后に、注進する者がおり~いつの時代でもいますよね、こういう輩~、すったもんだして、磐媛皇后は彼女の実家方面に籠り、天皇からの愛の歌も頑なに拒んで、そこで亡くなったようだ(ただし、『古事記』では、そこまで描いていない)。

これは、愛に疲れたのだろうな。仁徳天皇よ、もういい加減にしなさいと。私はあなたとは一体だとお互い言っても、天皇の歌で詠うことと、することとは違うじゃないの。長い間、辛抱したけど、もういいわと。

時代が違うとはいえ、こういう感情のすれ違いががあったのだろうね。最近の熟年離婚に近い関係に通ずるものがあったのかもしれない。意識の差は時間と共に広がっていく。気づいたときには、既に手遅れなのだろう。夫婦の有り様は今も変らない。今も、どこかで、同様な夫婦が見られるだろう。

それはそれとして、仁徳天皇・磐媛皇后の関係は、犬も食わない夫婦喧嘩でも、丁々発止の駆け引きは、他人事では面白い。でも、最近の若い人は、万葉集も、古事記も読まないか。彼らが、仮に読んだとして、仁徳天皇・磐媛皇后から、何を学ぶだろう。

 

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もうすぐ1・17

もうすぐ、あの忌まわしい震災があった1月17日。今では、阪神・淡路大震災記念日だ。そして、防災とボランティアの日でもある。そこへ、先日、あの千島沖地震が起こった。規模も大きかった。地震と聞くとぞっとする (本件は、17日にアップする予定だったが、ココログが16~17日メンテナンスなので、本日アップする)。

あの時も、余震は、相当長い期間続いた。また大きな地震が来るのでないかと、夜もおちおち眠れなかったのを思い出す。頻繁に地震の報道に接すると、日本がいかに地震国か再確認する。

危機対応システムができていない当時の政府の対応はとても大変鈍かった。中央官庁の冷たさは、神戸の財界人も含め、強く感じたことだろう。今では、ある程度仕組みも改善されていると思うが、安閑とはしておれない。

結局は、地域で助け合うしかない、という覚悟が求められる。もちろん、多くの企業や人々から支援を受けたことは有難かった。でも最終的には、お金の支援が必要だが、それだけで解決しないことは、皆確認した。

日本では、地震が起こることを前提に暮らさなければならないのは、辛いが、それは日本に生まれた以上仕方がない。それに対応しうる仕組みと心構えを持ち続けるしかない。地域との共存は利己主義に陥っていた人々に再確認させた。

そして、あの震災を機に、ボランティアが認知された。多くの若いボランティアが活躍した。また彼らも、自己を再発見する場ともなった。いろいろ問題はあったが、若者が参加した意義は大きかった。

もちろん、防災は確かに必要だが、それだけでも、どうしようもない場合もある。防災意識と共に、共に助け合う意識が日本では必要だ。そして、人々は、誰でも、自分なりに、誰かに手を差し伸べるという貢献ができることを確認した。

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2007年1月13日 (土)

落語 『三枚起請』と遊び

「遊びは遊び、そやけど素人さんには手出したらあきまへんで」は、祖父の口癖だった。「そやけど、今は、素人はんと玄人はんの区別が難しいですなあ。遊びにくい時代ですわ」と遊び人の話。流風とは違いまっせ。

ところで、『三枚起請(きしょう。ぎしょうと濁る解説もある)』は、最近あまり演じられない落語がある。昔の遊びをいちいち説明しないと、観客が理解できないからかもしれない。舞台は江戸の下町だ

これは要するに、吉原の遊女が男達を騙す話だ。今でも、よくありますね。遊びに行って、遊びで割り切れず、本気になってしまう若い人。中年のおっさんもいるかも。彼女らはビジネスだということを忘れてしまう。まっ、わからんこともないけど(苦笑)。

ところで「起請」とは、「起請誓紙」のことで、文字通り、神仏に対して嘘偽りがございませんと書いた誓いの文書のことで、約束を破ったら、血を吐いて死ぬと言われた。裁判所の尋問で、誓約するのと似ている。どういうわけか、熊野権現が関わりがあるということらしいが、ここでは省く。

内容は、大工の棟梁と、唐物屋の息子、質屋の倅が、雑談していると、三人とも、小照という遊女から、それぞれ「末は夫婦になろう」という起請文をもらっていることがわかった。そこで、三人は仕返しとして、謀議?により、彼女を責めることを決定。まあ、気持ちもわからんでもない。

早速、御茶屋に出かけ、女将に言い含め、小照を呼び出し、三人揃って、起請文を突きつけなじる。そこは、海千山千の小照は、全く詫びる様子もなく、「騙される方が悪いのや」と言う。現代で言えば、結婚詐欺師の常套文句ですな。

そこで、大工の棟梁は、「わしはともかく、若い者を騙すのは良くねえ。起請文など、後に残るものを書くのは、若い者が本気にするじゃないか。起請文なんて書く時にゃ、熊野鴉が三羽死ぬって昔から言うじゃねぇか。そういう罪作りなことはおやめなせぇよ」と言う。

そうすると、小照、返して言うには、「いや、わたしは熊野鴉どころか、世界中の鴉をみんな殺してやろうと、思っていやすん」「そりゃ、どうことかい」と棟梁。小照が言うには、「勤めの身じゃもの、朝寝がしたい」とオチ。職業柄、わかるような気もするが、さすがにしたたか。そうでないと、生きていくには、止むを得ない選択かも。

また、このオチは、以前、桐野利秋の言葉として紹介した、「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」が原点になっているのだろう(高杉晋作の都々逸とも言われている)。

なお、この演目は、上方では、場所を難波新地などにして演じている。筋はほとんど変らない。ただ、大阪弁のため、どこか騙されても言葉が柔らかい。それに遊びは遊びで、割り切っているし、遊女への抗議も遊びの一部と思っているフシがある。遊女の言うことを本気にする奴がアホやでという雰囲気がある。

でも、この程度で騙されたら、アホでっせ。若い時は、しょうないけど。流風も、若い時、ちょっとボーナスもらって、この落語と事情は違うけど、スッカラカンになった。高い授業料払いましたで。あんまり人のことアホやでとは言いにくい(苦笑)。

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2007年1月12日 (金)

国連の常任理事国になる意味

安倍政権の憲法改正への意欲の源泉は、結局、国際連合での常任理事国目当てのようである。つまり世界に軍を派遣して、力を発揮しなければ、常任理事国になれないと思っているらしい。そんなに戦勝国による古い体制の国際連合の常任理事国になることが大切だろうか。単なる政治家や官僚の面子に過ぎないのではないか。

政府は、国防の解釈を誤っているように感じる。平和国家として、自衛隊は極力海外に出さないのが国益であるということがわかっているのだろうか。自衛隊を海外に出すということは、いずれ戦闘が避けられない事態が生じるということだ。戦うということは、相手に恨みを残すことだ。

もちろん、兵器や弾薬など消耗品など軍事費が余計にかかることになる。結局、一部の国内の軍需産業も含めて、米国等の軍需産業に貢献することになる。安倍政権は、軍需産業を育成しようとしているのだろうか。それが日本にとって、それほど大切なのか。

日本は、戦後、平和産業で潤ってきた。それは特殊な環境だったという人がいるかもしれない。しかし、日本にとって、世界が平和であることが望ましいのは、今でも変らないだろう。常に国外に敵国を想定しなければならない国々とは違う。どうも現在の戦争を知らない為政者(官僚含む)達が、軽率に、アングロサクソン的外交を真似することに、危さと恐さを感じる。

また、世界の争いに参加することは、国家や国民が、敵対者から狙われることも意味する。それは、最早、中立国として見てくれないということだ。国内でテロ行為も行われるかもしれない。日本は、常任理事国になって、それを望むのだろうか。果たして、国民はその覚悟ができているのだろうか。

さらに国民は、日本が常任理事国になれば、世界の紛争に巻き込まれて、相当な負担を強いられそうである。そのことに対して、国民に負担がかかることを国民は理解しているのだろうか。そうでなくても、国債残高という借金の多さは、増税リスクが大きい。それなのに、更に国民に負担を課すのであろうか。

政府は国民にリスクを何も具体的に説明しない。また小泉前首相のように国民を騙すのであろうか。日本には、日本的な世界への貢献の仕方があるはずである。何も欧米諸国の真似をする必要はないはずである。古い体制のリーダーになることを目指すのではなくて、もっと新しい目標を持った世界の平和体制の構築に日本的に関与していくべきだろう。

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2007年1月11日 (木)

薮入りと丁稚修業 (下)

それにしても、丁稚の修業は大変だ。親類の人から聞いた話では、夜遅くまで仕事をすると、子供のことだから、うとうとして眠くなる。そうすると先輩から、きつく叱られたり、苛められたりしたそうである。

時には、先輩達に仕事をみんな押し付けられ、先輩達は、遊びに出かけたということもあったらしい。彼らが帰ってきて、仕事ができていなかったりすると、すぐさま苛められる。しかし、どうせ彼一人では、できないだろうことはわかっている。

そして、残りの仕事は、彼らによってすぐ要領よく片付けられる。そういうことを見て育つから、人間も練られるわけだ。もちろん失敗したり、あるいは、そのために先輩が失敗したりしたら、拳骨や平手打ちなどは常だったらしい。

さすがに、店主とか番頭さんに手をかけられることはないが、口うるさく言われる。問題は本人がどう受け止めるか。そういうことが、後々まで影響してくる。自分のためと理解すれば、それは進歩につながる。単なる苛めや嫌がらせと捉えれば、そこで進歩が止まる。同じ子供でも、受け止め方は微妙に異なる。そういうことが将来に差が出てくる要因のようだったと言っていた。

また御飯も麦飯と汁だけで、おかずもほとんどなかったという。だが、これは上も下もなく、皆同じものを食していたらしい。布団もくさい臭いのする煎餅布団で、掛け布団といっても薄いものだから、冬は大変寒くて大変だったという。

もちろん逃げ出す者も多く、残る者も少なかった。しかし、彼は、逃げ出す先もなかったので辛抱したとのこと。その結果、勤め上げ、先輩を追い抜き、責任者に据えられ、やがて店を持った。彼の人生訓は、結局、人間辛抱。残った者が勝ちだそうである。

それでも薮入りは確かに嬉しかったそうで、家は貧乏なので何かしてもらえるわけではないが、心の洗濯ができたようだ。家族といろいろ話ができることが明日への活力になったのだろう。

とは言うものの、最近は、「薮入り」という言葉はほとんど使われない。それは、戦後の義務教育の延長や労働法規の整備が影響した結果、丁稚という仕組みがなくなったからだ。子供を労働力として使うことは、実際問題として、できなくなった。その結果、子供が、他人様の飯を食って教育される機会を失ってしまった。

しかし、この薮入りの習慣は、戦後も、盆休みとお正月の休みとして残り、ボーナスもその名残と云われる。サラリーマンは、戦前まで営々と続いた丁稚制度の恩恵を受けているとも言える。長期休暇に旅行とか買い物に行くのもいいが、家族と仕事について話し合うのもいいかもしれない。家では仕事の話はしないなんて言わずに。

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年賀状を止めた結果

昨年末、年賀状を出すのを止めた。そうしたら、気持ち的に非常に楽で、年賀状がないとこんなにも違うのかと思った。せわしない年末がゆっくりと過ごせたのだ。

今までは、惰性で出していたが、昨年の元旦(1月1日の朝)に年賀状が着かなかったため、年賀状を止めようかとブログでも書いたが、その他の事情も絡まり、結局止めることにした。

それで、わかったことは、年賀状を出そうが出さまいが、人間関係は変らないということ。もちろん、切れてしまう人もあるかもしれないが、それはある意味どうでもいい人。

年賀状を見直すことは意味があると思う。もちろん、年賀状に価値を見出す人もあるだろう。それはそれでいい。各人考え方は様々だ。

今回は、賀状が来ても返事もしていない。いずれ、文書で通知の予定だが、今後はメールで済まそうと思う。

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2007年1月10日 (水)

薮入りと丁稚修業 (上)

もうすぐ、1月16日から、昔で言えば薮入りの季節である。本来、薮入りとは、嫁や入り婿が、盆と正月に実家に帰ることを指す。しかし、その後、商家では、丁稚が正月とお盆に実家に戻れることを指すようになった。薮入りは、住み込みから3年経過した (3年間は実家に帰ることを許されない) 後、丁稚が正月とお盆に実家に戻れることを指すようになった。衣類とお小遣いが渡された。

仕事見習いのため、丁稚が基本は13歳ぐらい(実際はもっと小さい子供で10歳前後の場合も多かった)で商家に入っていた。住み込みで、粗末な食事と衣服があるだけで、少しの小遣いはある場合もあるが、基本的に報酬はなく、ただ働きだった。年季は10年だった。年季が明けると暖簾分け等で独立が許された。

江戸時代はもちろん、戦前でも、貧乏な家庭は、もっとひどく小学校もほどほどにして、丁稚に出されていた。そこで商売に接することで、いろいろ教えてもらって一人前の人間にしてもらっていたのだ。

子供には、丁稚は先輩から徹底的に苛めに近い形で、しごかれるので、大変辛い仕事であった。だから4年目にして、実家に帰れることは当人は大変嬉しかった。それは何とか3年を勤め上げた自負でもあっただろう。そして親達も、子供が丁稚として辛抱できたことを喜び、嬉しい気持ちで迎えた。

ところで、落語にも、『薮入り』というものがある。時々、演じている。あれの筋は、薮入りで親は帰ってくる息子のために、用意万端整えて、息子を待ち受ける。帰ってくると、体も大きくなり、親の目には、しっかりしたように見え、大変嬉しい。早速新しい着物を着せ、風呂に行かせる。そして、荷物から札入れが覗いていたので、ふと見ると大金が入っている。そこで、親の心配が始まる筋である。

これは別名『ねずみの懸賞』というのだが、実は、ねずみを警察に持って行って、ねずみの懸賞に当たったお金と聞いて一安心。親はホッとして、「これからも、ご主人を大事にしなさい。これもチュウ(忠、ねずみのチュウをかけて)のお蔭」と落ちる話である。

次回に続く。

*注記 落語『薮入り』について

この落語は、話からわかるように、警察が出てくるので、明治以後の話となっている。しかし、実際は江戸時代から演じられていたが、その当時は猥談であったという。猥談の中身というのは、いわゆる丁稚が番頭に可愛がられる話だったそうである。それがどういうわけか、明治時代に練り直して改作されたそうだ。

*注記 ネズミ捕りについて

ネズミ捕りは、戦後の流風の子供時代もあり、警察ではなかったが、保健所に持って行くと何がしかのお金をもらえたのを覚えている。父はネズミ捕りを購入し、朝になると、入っており持っていったようだった。ただ懸賞があったとは記憶していない。

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2007年1月 9日 (火)

日本三大嫉妬婦人 その一

男女関係において、必ず男が経験するのが、女性の嫉妬である。女性においては、嫉妬というのは、切り離せないものらしい。きれいな花にに棘があるというが、人間世界では、どんな花にも嫉妬がある。

しかし、男にとって、女性の嫉妬ほど気分が滅入るものはない。女性は、嫉妬は愛情の裏返しだというが、いい加減にしてもらいたいものである。もちろん、いくら流風が言ったところでなくなるものでもあるまい。そうかといって、女性とお近づきにならないというのも辛い。

そこで、日本の歴史上で、三大嫉妬婦人(三妬婦)を取り上げてみよう。まず、今回は、須勢理比売を見てみよう。一応、神話の『古事記』の登場人物ということになっているが、昔、似たようなことはあったのではないか。口伝えだから、いろいろ尾ひれはついているだろうし、真偽の程はわからない。

一応簡単に説明すると、八千矛神(大国主命)の須勢理比売は、須佐之男命の娘である。彼女が八千矛神と一緒になったきっかけからして、彼を強く愛していたに違いない。八千矛神への彼女の父からの迫害(実はテスト)に対して、度々手を差し伸べて助けているからだ。なお、「大国主命」という名は、そのテストに合格した後、八千矛神に対して須佐之男命が命名したものである。

それにしても、これは単なる神話とも思えない。娘をやる父親の心境としては、彼が適格かどうか一応テストしてみたくなるのは、現代の父親でもそうであろう。娘を持つ父親であれば、誰でもそういう気持ちになることであろう。でも、いくら神様の世界とはいえ、須佐之男命は少しやり過ぎであろう。神話としては面白いが。

だが、その愛していた彼も、新しい彼女へと浮気する。彼は、明確な理由はわからないが、彼女との間に子供ができなかったと云われている。男は、いつも遺伝子の継続を本能的に望む。

そして、いろいろ女性を捜し求めるが、なかなか適当な女性が見つからなかった。しかし、ついに、高志(越の国。注*参照)に大変な美女(沼河比売)がいると聞き及ぶ。彼は早速、婚(よばい)に出かける。

そのことに対して、須勢理比売は嫉妬したしたと言うが、それが尋常ではなかった。彼女自身子供ができないこともあり、非常に辛い立場だったのから、相当ショックだったのだろう。でも、八千矛神からすれば、彼女は異母妹。遺伝学的には、子供ができなくて良かったのかも。

そのような複雑な心理描写を『古事記』で読み取れる。ここでは、具体的に記さないが、彼女が男の浮気を散々詰っている様子が伺える。また彼の詫びる歌も残っており興味深い。

彼は切実に子供が欲しかったのだろう。しかし、女性としては、わかっていても許せない。そして、女性の嫉妬には、哀しみが含まれる。当時の女性の気持ちを表しているのだろう。これは現代でも、通用する話だろう。男女問題は、時代を経ても変らない。

続く

注* 越の国について

ちなみに越の国とは、現在では、富山、石川、新潟辺りを指すのであろうが、当時は、もう少し範囲が広く、山陰地方も含まれている。

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2007年1月 8日 (月)

神戸文学館訪問

昨年オープンした「神戸文学館」については、昨年11月20日付けで、「神戸文学館、間もなくオープン」でブログに記載したが、たくさんのアクセスがあった。一応訪問したので、報告しておく。

神戸文学館が入っている建物は、もともとチャペルだったそうで、以前王子市民ギャラリーを訪問した時には、あまり建築物には注目しなかったのだが、あらためて見ると、いかにも宗教施設の名残が感じられる建物である。

ところが、まず入るのに手間取った。「ご自由にお入りください」と張り紙がしてあったが、押しても引いても扉が開かない。う~ん、ちょっと困ったぞ、と帰りかけたのだが、もしかしてと思って扉についている錠を上げると開いた(笑)。そそかっしい流風の性格そのままでした。

ほっとして入り口を入ると、左手に、本棚とサロンがあった。そしてトイレ。ここは今回眺めるだけにして、右側に行くと、常設展示ゾーンがあり、時代ごとのテーマに分けて(*参照)、ガラスケースに収まった作家の資料がある。

ただ天井が高いので、空間がゆったりしていると言えばそうだが、だだ広い空間は、少しもったいない感じがする。なぜなら、水平面展示に限界があるからだ。もう少しテーマを絞って、定期的に展示替えすることによって、ガラスケースを減らすことは可能だろう。そして垂直面のパネル展示や立体展示も求められる。

次に、竹中郁などの文学者の遺品などが展示されていたが、これは展示企画でいいと思う。特定の文学者の遺品を常設展示する必要もなかろう。

さらに進むと、展示企画ゾーンがあった。1月末まで「陳舜臣と神戸」展を開催している。陳舜臣氏と神戸との関わりを展示と映像で紹介している。だが、ここも間仕切りも何もなく、集中して見ることができない。そういう工夫が欲しい。予算の制約があるのなら、移動式の簡易間仕切りでも設置してもらったら有難い。

そして、奥にセミナーエリアがあったが、当日は何もしていなかった。近くの壁に、神戸出身の作家や、神戸を題材にした作家のリストが展示してあった。セミナーがない時は、朗読会やコンサートや各作家の時代に合ったレコード鑑賞などいかがであろうか。ラジオ関西の『名曲ラジオアワー』などの催しもいいだろう。

展示の全体的な印象は、あまりお金をかけられなかったのか、シンプルな展示だった。予算の制約があれば仕方ないが、もう少し工夫が欲しい。流風は、市立博物館の展示が個人的に好きだが、あそこまではお金をかけなくてもいいが、改善の余地はあると思う。

また施設の運営上、可能なら、関連図書の販売もして欲しいし、古書の販売も定期的にして欲しい。また神戸文学館の資料・ビデオ・CDの販売もして欲しい。それに展示スペースを絞って、できれば喫茶コーナーも欲しい。無理かな。でも、やれば運営資金の多少の足しにはなるのではないか。また他の文学施設との連携も期待する。運営の更なる進化を望みたい。

帰りに、入り口近くのパンフレットコーナーで、神戸市が発行している「花を巡る文学散歩」のパンフレットや、「ネットミュージアム兵庫文学館」のパンフレットが置いてあったのでもらって帰った。対面に、「原田の森ギャラリー」があるので、そこの見学もしてみたい。

散歩コースとしては、阪急王子動物園前→神戸文学館→原田の森ギャラリー→JR灘駅がいいかもしれない。もちろん、コースに王子動物園を挟むのもいいだろう。

* 常設展示ゾーン「みなと神戸の文学風景」のテーマ

    ⅰ 明治 「神戸開港と近代文学」

    ⅱ 大正 「神戸ロマン文学の勃興」

    ⅲ 昭和戦前 「深まる神戸の現代文学」

    ⅳ 神戸大空襲 「焼け跡の中で書く」

    ⅴ 昭和戦後 「廃墟からの文学復興」

    ⅵ 阪神・淡路大震災 「震災ルネサンス」

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2007年1月 6日 (土)

『ゑびす・大黒 大集合』展

酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)で開催されている『ゑびす・大黒 大集合』(堀内ゑびすコレクション)展を鑑賞してきた。

福の神の代表である、ゑべっさんと大黒さんが大集合した展示。ユーモアたっぷりのゑべっさんと大黒さんがいっぱい。笑わせてもらいました。幟、絵図、いろんな型、もの、木彫り、人形、版木、羽織、読本、入増盛算、羽子板など見ていて飽きない。よくこんなに集められたものだ。

ほとんど江戸時代の作品と思うが、当時の人は、ゑべっさんと大黒さんをネタに遊んでいたのでしょう。神さんも、適当に遊ばれている。それだけ、庶民と近い存在だったようです。見ているだけで、ユーモアがいっぱいで、気分がほんわかします。

もうすぐ、「えべっさん」(1月9日から11日まで)が始まるが、ここで、予備知識をつけて?から、えべっさんに臨んだ方が、倍面白くなるかもしれない。場所が西宮なので、えべっさんで有名な西宮神社にも近い。逆に当日、西宮神社にお参りしてから、行く方がいいかもしれない。

その他に、「酒資料室」の展示では、上戸と下戸の言い分など、集められていた。まあ、それぞれ言い分があるんでしょう。基本的に平行線かな。

また、このミュージアムを運営している白鹿の昔の宣伝用ポスターも展示してある。かなり歴史を感じさせる。

「笹部さくら資料室」の展示では、水上勉の『櫻守』のモデルである笹部新太郎氏の笹部桜コレクションが展示してある。彼は日本古来の山桜や里桜の保護、育成のために生涯のほとんどを捧げたそうである。ここは以前にも見学したことがあるが、あらためて、笹部氏の偉業に頭が下がる。ただ今回は一部だけの展示。桜のシーズンになれば企画展が開催されるのだろう。

なお、1月31日からは、「節句の人形」展が開催される。3月5日まで。火曜日休館。

帰りに、昔の酒造工程の館を一通り見学して本日は終了した。いろんな酒造会社の公開施設を見たが、ここほど充実しているところはないと思う。場所は、阪神西宮駅から南に徒歩15分。バスも出ているけれど、歩いていける距離と思う。歩く沿道にはスタバやアンリ・シャルパンティエもあり、ちょっとした散歩には適切なコースだろう。

またミュージアムの近くに「白鹿クラシックス」として、レストランもあるし、ショップもある。入場料400円だが、当日は、福ゝしい気持ちにさせてもらった上に、お土産もついており、ちょっと得した感じ。もうすぐ、えべっさんだ。さて、どこに行こう。やはり今年は、西宮神社にしよう。

 

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2007年1月 5日 (金)

恋愛の十段階

ご存知、『カーマスートラ』は、男性諸氏なら、一度は関心を持たれた書であろう。若い人はどうだろう。そこに、恋愛の十段階が示されている。以下、未読の人たちのために、若干、流風的解釈を交えて、それを少し示しておこう。

まず第一段階 恋う人を見て嬉しいこと

確かに好きな人がいると、それだけで、わくわくして嬉しくなることは間違いない。好きになるのは、情が移った結果のこともあるが、度々瞬間的判断による場合もある。その判断基準は、どのように養われるのだろう。しかし、人は生まれつき、そのような資質を持っているようである。そして好きになるのに個人差がある。

第二段階 意の執着

特定の異性をより強く意識するようになる。何とか接触したいと悶々とする。そして一方的好意が生まれる。それは一種の本能であるのかもしれない。どのように、より分けて対象を好きになっているのかは謎である。

第三段階 恋人を得たいと意図すること

第二段階が進化すると、男は、どうかして自分のものにならないものかと妄想するようになる。女性の場合は色気が出てくる。急におしゃれに気を配ったり、化粧し始める。これは動物の世界と同じですな。

万葉集に次の歌がある。これは女性の歌。彼の手を取りたい気持ち、わかりますね。

      さ檜隈(ひのくま)   檜隈川の 瀬を早み

        君が手取らば 言寄せむかも

                         (巻七・一一〇九)

第四段階 不眠になる

心の中で、妄想が暴れだして、眠れなくなる。対象の異性とあーなって、こうなってという想像力が働く(笑)。その結果、眠れなくなる。そして、集中力散漫になる。大体、いろんな失敗をして、周囲が何かおかしいと感じ出す。

そういうと、柿本人麻呂も『万葉集』で、次のように詠んでいる。眠れぬ夜。そんな題で歌にもあったような。

      古(いにしへ)に ありけむ人も わがごとか

        妹(いも)に恋ひつつ 寝(い)ねかてずけむ

                           (巻四・四九七)

第五段階 痩せること

想いが募りすぎて、物が食べられなくなる。結果として、たびたび健康を害す場合が多い。周囲はいろいろ手を打つが効果なし。いわゆる、恋煩い。この病に薬は効かない。

「愛しているのに愛されないのは確かに辛いことではあるが、もはや愛していないのに、愛されているのに比べたら、もののかずではない」(クールトリーヌ「哲学」)

第六段階 他の対象に対して、無頓着になる

一人の異性以外、目に入らなくなる。恋は盲目。恋という暗黒の世界に迷い込む。世界は二人のためにあると思い始める。昔、そういう歌がありましたな。駆け落ちなんて行動も起こす。

万葉集に次の歌がある。あなたという人は二人といないと思い込んでいる様子がよくわかる。

             磯城島(しきしま)の  大和の国に 人二人

        ありとし思はば 何か嘆かむ

                                 (巻十三・三二四九)

第七段階 恥を忘れること

異性と一緒に、いられるなら、世間体など全く気にしなくなる。恥も外聞もなく、異性のためなら何でもしてしまう。世間が、どう噂しようと、相手のために尽くすことができるなら本望と考える。

福永武彦は、「愛することの少ない方が、常に愛している者の心を傷つけること、そこに愛の、謂わば中毒作用がある」(「愛の試み」)と記している。

第八段階 狂乱

環境条件が整わず、引き裂かれたりすると、錯乱する。全く正常な判断ができなくなる。

万葉集に、次の歌がある。引き裂かれた作者の執念が感じられる。

      君が行く 道の長てを 繰り畳ね

        焼きほろぼさむ 天の火もがも

                          (巻十五・三七二四)    

第九段階 失神

対象が、遠い世界に行ってしまう可能性を感じ取り、ショックを受けやすくなる心理状態になり、失神。

第十段階 死

恋人に絶望し、生きる望みを失い、死に至る。

さて、あなたは何段階?恋の病は怖いよ。ほどほどにと言いたいが、坂口安吾は、「恋愛論」で、次のように語っているそうだ。

「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ」

そして、伊藤整は、下記の如く忠告している。「愛の実体を追求しすぎることは、ラッキョウの皮をむくようなもので、ムキ過ぎるとなくなってしまいます」(「女性に関する12章)」

う~ん、やはり恋愛を解明するのは難しい。やはり相性だろうね。そして相性は天の配剤。どうすることもできない。若い人も、機会をつくることは大事だけど、結果は覚悟して諦めて(笑)。

* 万葉集を除く、文学者の引用は、母の蔵書だった『愛の迷宮(文芸春秋編)』より。

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2007年1月 3日 (水)

百人一首と歌人のライバル

お正月に、百人一首をされる家庭がどれくらいあるのだろう。子供の頃、時々、百人一首のカルタが並べられて、上の句やら、下の句を読んで取り合いするが、近所のお姉さんが圧倒的に強く、流風は、手前に置いたカルタをお情けで取らせてもらえるだけだった。

その後、勝気であれば、その後精進して?勉強するのだろうが、そういうこともなくて今日に至っている。自宅に百人一首はあったが、親世代を除けば、熱心にやったという印象はない。それほど、熱心に覚える努力もしなかった。せいぜい、坊主流しか、姫流しをした程度(笑)。

百人一首に関心を持ち始めたのは、つい最近のことである。流風と同じ気持ちの世代は多いはずだ。流石に選ばれただけあって、それなりによい歌が多い。またカルタ取りは知的なゲームである。何しろ日本文化が味わえる。そう考えれば、子供の時、努力をしなかったことは、少し後悔として残る。脳内開発にもいいかもしれないし、今からでも、覚えるとしますか。

それはそれとして、本題に入ろう。その百人一首の中で、歌人のライバルとして、有名なのは、平兼盛と壬生忠見だろう。天徳四年の内裏歌合せの最終番で、彼らは競った。どちらも秀逸で、判定はしづらく、百人一首では、一応平兼盛が勝ったことになっている。ただ『拾遺集』だと、確認していないが、逆になっているようだ。選者の苦肉の配慮の跡がうかがわれる。

平兼盛の歌(『拾遺集』、及び百人一首四十番)

         しのぶれど 色に出にけり わが恋は

             ものや思ふと 人のとふまで   

(密かに思う心を隠していたが、顔色に出てしまったよ、私の恋は。人が、物思いしているのかと尋ねる前に) 

流風の若い時の経験でも、いいなあと思う女性にはすぐ反応して、友人や同僚にすばやく見抜かれていたように思う。 

壬生忠見の歌 (『拾遺集』、及び百人一首四十一番)

         恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり

             人知れずこそ 思ひそめしか

(恋をしているという私の噂は、早くも立ってしまった。人にわからないように、密かに思いを寄せ始めたばかりなのに)

社内恋愛の禁じられている企業では、こういうことはよくある。しかし、ちょっとした仕草や行動で、その種の情報に詳しい人々にわかって噂を流されてしまう。くわばら、くわばら。

実体験を交えても、どちらがいいか判定しづらいですなあ。またライバルをもって切磋琢磨すれば、すばらしい作品が出来上がる事例とも考えられる。皆様は、いいが?

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2007年1月 2日 (火)

七福神から福をお取り寄せ

皆様、初夢はいかがでしたか。でも、よい夢をみるのに効果があるという宝船の絵を枕の下に入れて寝る人は少ないかもしれない。そこで七福神について、それほど興味がなかったのだが、少し思い出したので記しておこう。

子供の頃、宝船に七福神が乗った置物があった。両親が誰かから、もらったものだったと思う。でも、その効果は薄く、それほど経済的には恵まれなかった。まあ、あんなもの、迷信と同じで、皆が持てば、皆金持ちになるかといえば、そんなことはありえない。それは宝くじと同じだ。少し夢を持たせてくれるという点では、それなりに意味があるのかもしれないが。

七福神について、流風の知識は若干心もとない。一応、確認してみると、毘沙門天、弁財天、大黒天、恵比須、福禄寿、布袋、寿老人ということである。

では、この中で日本の神様は誰でしょう。若い方は、意外とご存知ないということだ。そんなに自慢できないが、これだけは、流風は知っていた。釣竿と鯛を持った恵比須様で、関西では、「えべっさん」でお馴染みである。なんて言うても、商売の神様だし。

ところで、この七福神が、どのように形成されたのかは不明らしい。室町時代に、七賢人にならって作ったとされるが、はっきりしたことはわからない。民間信仰や迷信の積み重ねで、誰かがまとめたと考えられています。

それでも、今年は何とか福にあやかりたいですな。なに、そんな気持ちでは無理と仰る。正月からそんな厳しいことを仰らずに(笑)。とりあえず、健康のため、七福神巡りでもしますか。

*参考 恵比須神を除くその他の六神

毘沙門天は、帝釈天に仕える配下の武将の一人。足利尊氏や上杉謙信が、守り神として、こよなく信奉したとされる。インドの軍神。

弁才天は、河川神で、美女で、雄弁と音楽、知恵を兼ね備える。賢くて、口うるさいだろうけど、味方につけると心強い?インドの神。こういう女性に流風は意外と好意をもたれるから辛い(笑)。

大黒天は、大きな袋が印象的。ただ、この袋はクリスマスのサンタクロースと違い、何かをプレゼントするのではなく、袋に人々の苦を集めて滅し救済するもの。右手に小槌を持ち、悪鬼を懲らしめる。もともとはインドの破壊神。

福禄寿は、人間の寿命を管理する。あの帽子のような長い頭は、印象が強い。だが背は低い。中国の仙人。

布袋は、実在の中国の禅僧で、未来を予知し、吉凶の判断が優れていたという。ある意味、哲学者だったのでしょう。子供の頃、どうしても「ほてい」とは読めなかった。

寿老人は、普通の老人という感じ。長寿と知恵を司る。福禄寿と役割がダブる。中国の神仙。

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2007年1月 1日 (月)

松飾りに思う

最近は、松飾りを見ることが少なくなった。子供の頃、松飾りはある頃までは、それぞれ規模は異なるものの、割と、どの家庭でも、置いていたと思う。ところが、ある時点で、餅つき同様廃れていったように思う。それに、この頃は、しめ縄さえも。

さて、柳田の研究では、松は本来、古語で「火」の意味があったようである。松の木を燃やして、松明にし、火を介して、神と人とを結びつけたのだろう。家の入り口に供えて、神を迎えたのが始まりだろう。

だが、火では火災の危険があるから、その名残として、「青松」に変えたのではあるまいか。現在は、正門のところしか置かない様だが、本来は全ての出入り口に置いたらしい。

確かに、松飾りも、ミニ門松などとして販売されているが、ゴミ問題などで事後の処理に困る。文化を残すことと環境問題は、トレード・オフの関係にあるのだろうか。そういうこともあって廃れているのかもしれない。

でも何らかの形で残したいものだ。残念ながら、凡庸な流風にはアイデアが浮かばない。レンタルもいいけど、正月早々盗まれても困るし。そういうことを考えながら、もう一杯飲む(笑)。そして、いつものようにウトウト・・・・。

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