« 教員免許の国家試験は有効か | トップページ | 五千歩、手ぶらで »

2007年1月28日 (日)

政治とマスコミ

真っ白な社会は理想ではあるが、きれい過ぎる社会は逆に危い。水清ければ魚棲まず、という言葉を噛み締める必要はある。

政治というものは、そもそも黒と白の間の解決に努めるものであり、基本的に灰色の部分を扱う。それは法律が、そういう部分を持っているからである。だから、あまり政治家に、真っ白な状態を迫るのはどうかと思う。

清廉潔白が望ましいが、それだけでは社会をうまくまわすことはできないだろう。そんなことをすれば政治活動が停滞してしまう。政治は結果であり、社会がうまく回ればそれでいい。

もちろん、政治が明らかに黒になりそうになれば、徹底的に糾す必要はある。それが時代の雰囲気で判断されることも否定しない。時代によって、灰色の強弱は変化する。そのことに鈍感な政治家は残れないことも事実だ。

そういう意味では、政治献金の献金者リストと政治家の発言はチェックする必要はある。それは政治家のためでもあり、国民のためでもある。マスコミは、その点を監視・報道し、政治家にブレーキをかけなければならない。

そして、もっと糾すべき問題は、官僚たちが、政治家に引き摺られて、灰色になったり、黒くなったりすることである。官僚たちに求められるのは、清廉潔白であることなのだ。マスコミは、むしろ、その点にもっと監視を強めるべきだろう。

以上から、言明できることは、社会に灰色の部分があるから、政治の領分があると言って間違いないだろう。だから政治家は、常に危い立場にあることを再認識すべきで、献金の受け取りやその発言には慎重さが求められる。そして、マスコミは、政治家の周辺(政治献金者、官僚など関係者)の監視強化が求められ、もっと報道するべきだろう。

|

« 教員免許の国家試験は有効か | トップページ | 五千歩、手ぶらで »

マスコミ評論及び各種書評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 教員免許の国家試験は有効か | トップページ | 五千歩、手ぶらで »